kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

なんだか

2005-10-05 | Weblog
 ちょっと成長してきた気がする。もちろん、kanekoではなく選手が。今日は「明日kanekoが転勤したらどうするのか?」という話を若干しました。僕が言うからやるのか、それとも自分でやりたいと思っているからやるのかを問いかけてみました。考え方の問題ですがその辺を考えるか考えないかで全然違うと思う。

 例えば昨日のメニューなんかは、「心の準備」が必要な練習です。自分自身で「今日は乳酸をためまくる」って思わなければ絶対にできない。乳酸がたまって動かなくなったところであきらめてしまったら全く効果は上がらない。その辺を自分自身でクリアできるかどうか、きついところを乗り越えるかどうかだと思います。それって、kanekoのどうこうできるレベルの話ではなくて「選手の心構え」だとか「意欲・意識」の問題になってくるわけです。
 きついからスピードを緩めるっていうのは誰にでもできるし、普通の人はきっとそうだと思います。でもね、競技をやっていく上で絶対に乗り越えないと行けない部分がある。それは指導者の力ではなく(本来指導者に力があるのかも最近は微妙に思う)、選手自身の力です。どれだけおいしい料理が準備してあってもそれを食べようという食欲がなければ食べられません。練習もきっと一緒。「この練習をやれば効果がある(もちろん目的を理解した上で)」という練習メニューをどのような姿勢で気持ちでやるかが大事。

 人間っていつも葛藤している生き物だと思うんですよ。人生のほとんどが選択を迫られる部分であり、どちらかを選ぶかを決めなければいけない。陸上で言えば「練習をやれば速くなる」「練習をやるときつい」という選択肢があってそれを自分自身で選んでいる。ほとんどの競技選手は「練習をやれば速くなる」を選ぶのですが、その中でまた選択を迫られる。練習中に限界点が来て「ここで止めれば楽になる」「ここでがんばれば強くなる」という選択を一瞬のうちに迫られる。限界の部分でどのような選択をするかで勝負は決まると思うんですよ。人間って基本的に楽に流れる。だからこそ文明が生まれてきているんですけどね。練習ってその部分に逆行すると思うんですよ。楽に流れる部分をどのようにコントロールして追い込めるか。そこで強くなるか変わらないかが決まってくる。

 補強とかが良い例だと。適当にやっていても時間は過ぎるが、本気で追い込むとものすごいきつい。そこで止めるか続けるかを選択されているわけですよ。そこで自分自身で必要だと感じて(ここが大事)やり続けていくときっと効果は出てくる。やらないと結局変わらない。

 そんな話をしました(今日書いたうちの10分の1程度)。伝わりづらい部分かもしれません。本人達が気づくのを待つべきなのかもしれません。でもね高校3年間しかないんですよ。気づかせるヒントを与えていかないと気づかない事っていうのもある。高校3年間だけが人生ではないので、その後に気づいてくれれば良いのですが。kanekoは指導者としてまだ未熟。「待つ」という域にまで達していません。その辺がまだまだ弱い部分なのですが。この辺も自分自身で高めていかないといけない部分かもしれません。「楽」に流れているのかもしれませんね。間違いなく「待つ」ほうがきついから。それができるようになるともっと自分自身成長するのかな。

 ちょっと真面目な文章になりました。日記でなくてコラムに書くべきかもしれませんね。お許しを。
コメント (2)
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