基本的に優しい人間を自負しているのですが今日生徒と話していて「たまには切れてみるかな~」と言ったら「先生はすぐ切れる」と言っていた。切れることは少ないつもりです。切れるというか「許されるレベルを超えているから注意する」という話です。
なんでもかんでも許されるわけではないんですよ(当たり前)。切れているかどうかは不明。基本的におとなしい性格と思っています。こう見えても結構引っ込み思案だし。でもね許されることと許されないことはあるんですよ。そのことに関してはいつも話をしているのできっと伝わっているはず。やらないといけないことはやっぱりやらないといけない。部活だけではダメだし、座って勉強しているだけでもダメ。
最近読んだ本に今kanekoが考えている部分と通じる文章があった。これは中学校の時点で不登校になった少女の書いた文章で「学校は勉強ができる子=良い子、勉強ができない子=ダメな子というレッテルを貼る。学校では生活に余裕がなさ過ぎる。私はすごく有意義な時間を過ごしたと思う。自分自身に向かい合うという時間を過ごすことができた」というものである。
今kanekoが考えるのは「考える時間の確保」というものです。進学校と専門高校の違いをここに求めていくことも必要なのではないかと(キャリア教育を含む)。自分のやりたいこと、目標をしっかりと考える時間、自分自身を理解するための時間が必要なのではないか?自分の将来について考える時間がなければ学校生活を単に過ごしてしまうだけになる。「部活だけをやって記録が出た」というのでは意味がない。結局自分のことを分かっていなくて「競技」だけをやるというのでは何も成長はない。成長を求めるのではなく「考えて動けること」ができるようになる(もちろん自分たちで)ことは必要不可欠だと。それをベースにして何をしていくかはそれぞれが決めていくこと。自分の判断で生きていかなければいけないから。
「部活だけ」をやれというつもりはない。せっかく時間を使って部活をやるのだから最低限のレベルのことはできるようにならないと。その最低限のレベルができなければやっぱり誰かが注意すべきだと思う。
「先生に怒られた。気持ちを切り替えてがんばっていこう。」というレベルからの脱却をしなければいけない。人から言われてやるのか自分で考えて必要だと思うからやるのか。全く意味が違います。どのレベルでものを考えるかっていうのが大事。
なんでもかんでも許されるわけではないんですよ(当たり前)。切れているかどうかは不明。基本的におとなしい性格と思っています。こう見えても結構引っ込み思案だし。でもね許されることと許されないことはあるんですよ。そのことに関してはいつも話をしているのできっと伝わっているはず。やらないといけないことはやっぱりやらないといけない。部活だけではダメだし、座って勉強しているだけでもダメ。
最近読んだ本に今kanekoが考えている部分と通じる文章があった。これは中学校の時点で不登校になった少女の書いた文章で「学校は勉強ができる子=良い子、勉強ができない子=ダメな子というレッテルを貼る。学校では生活に余裕がなさ過ぎる。私はすごく有意義な時間を過ごしたと思う。自分自身に向かい合うという時間を過ごすことができた」というものである。
今kanekoが考えるのは「考える時間の確保」というものです。進学校と専門高校の違いをここに求めていくことも必要なのではないかと(キャリア教育を含む)。自分のやりたいこと、目標をしっかりと考える時間、自分自身を理解するための時間が必要なのではないか?自分の将来について考える時間がなければ学校生活を単に過ごしてしまうだけになる。「部活だけをやって記録が出た」というのでは意味がない。結局自分のことを分かっていなくて「競技」だけをやるというのでは何も成長はない。成長を求めるのではなく「考えて動けること」ができるようになる(もちろん自分たちで)ことは必要不可欠だと。それをベースにして何をしていくかはそれぞれが決めていくこと。自分の判断で生きていかなければいけないから。
「部活だけ」をやれというつもりはない。せっかく時間を使って部活をやるのだから最低限のレベルのことはできるようにならないと。その最低限のレベルができなければやっぱり誰かが注意すべきだと思う。
「先生に怒られた。気持ちを切り替えてがんばっていこう。」というレベルからの脱却をしなければいけない。人から言われてやるのか自分で考えて必要だと思うからやるのか。全く意味が違います。どのレベルでものを考えるかっていうのが大事。