ものすごく私の考え方に近い本を見つけた。新しいアイデアを出すために様々な話をしたり本を読んだりしますが今回はあまりの一致に驚いてます。その本は「考えないヒント」(著:山薫堂 出版社:幻冬舎新書)というものです。
「~最近オフがないなあ、休みたいなあなんてことは、まったく思いません。逆に、何もしていなかったら罪悪感を覚える。オンと言っても、「仕事をしなきゃいけない」とは思わない。していることは確かに仕事なんだけれど、もっと楽しいことなので仕事と呼ぶのはちょっと違う、そんな感じか常にあります」
これは全く同感。今やってる事を「仕事」だと思っていません。もちろん、職務としてやるべき事をやらずに遊んでいるからというわけではなく、「やらされている」感がほとんどないからです。苦手な業務もありますが、それもなんとかできるし「やらされてる」感はないですね。
「結局、僕がアイデアを出す目的は、どうすれば日常が面白くなるかという一点に尽きるように思います。…最後には、自分の作った企画を、向こうが面白いと思うか、面白くないと思うか、最後はやはりそこで決まるんだと思います。」
これまで何度かblogにも書きましたが、基本的にやることの基準は「面白いかどうか」「楽しいかどうか」です。企画する本人達が「面白い!」「楽しい!」と思えない事は他の人が「面白い!」「楽しい!」と思えるはずがない。そう信じていなければ何も生み出せないと思います。そうやって思って過ごしています。
世の中には「楽しくない」「面白くない」事だってある。押さえなければいけない基本や記憶しなければいけない情報は「楽しい」「面白い」ものではない。しかし、それを使って「何か」しようと思えば将来的には「楽しい」「面白い」ものにつながるでしょう!?そう考えたら「全ての事」が大切で貴重なものに思える。
勉強も練習も「何かを得るための手段」だと考えたら楽しい気がします。私は「楽しい」の意味を間違えてはいけないと感じています。先日、カラオケに行く機会があったんだけど(8年ぶりくらいか)、無駄な時間を過ごしているな~と感じた。これは私の価値観なので否定的な意見もあるとは思いますが…。誰かが歌を歌っている間に自分が歌う歌を選ぶ。時間を共有するなら話をしたほうが「価値」があると思います。他者の話を聞く事で自分の成長があると思うから。私は人と話す方が何倍も「楽しい」と感じます。個人的な価値観ですが…。
ハレとケガレの考え方(哲学的な話しになるので興味のない人は飛ばして下さい)では、ハレがお祭りでケガレが日常生活です。昔は辛く退屈な「農耕生活」があり、その気晴らしをするのが年に1度の「お祭り」だった。だからその「ハレ」の日が楽しい。毎日が「ハレ」だったらその意味は全くない。毎日「お祭り」だったら間違いなく飽きてしまいます。人間ひたむきに努力し続ける日々があって、何度か「ハレ」があるから価値があるのでは?勉強するのは嫌、辛い事をするのは嫌では何をして成長するのでしょうか?「楽しい」を最大限に満喫するためには、それ以外の日々の過ごし方が大切になる気がします。
また、話が長くなりましたね~。身内に「あんたはblogが長い」と言われたのであまり長くならないようにしますね(笑)
なんて事を考えて過ごしました。考えない日から一転して考えてます。こんな日記を他の人が読んで楽しいのか??基本的に「自分の考え」をまとめるために使っているのでお許しを…。
「~最近オフがないなあ、休みたいなあなんてことは、まったく思いません。逆に、何もしていなかったら罪悪感を覚える。オンと言っても、「仕事をしなきゃいけない」とは思わない。していることは確かに仕事なんだけれど、もっと楽しいことなので仕事と呼ぶのはちょっと違う、そんな感じか常にあります」
これは全く同感。今やってる事を「仕事」だと思っていません。もちろん、職務としてやるべき事をやらずに遊んでいるからというわけではなく、「やらされている」感がほとんどないからです。苦手な業務もありますが、それもなんとかできるし「やらされてる」感はないですね。
「結局、僕がアイデアを出す目的は、どうすれば日常が面白くなるかという一点に尽きるように思います。…最後には、自分の作った企画を、向こうが面白いと思うか、面白くないと思うか、最後はやはりそこで決まるんだと思います。」
これまで何度かblogにも書きましたが、基本的にやることの基準は「面白いかどうか」「楽しいかどうか」です。企画する本人達が「面白い!」「楽しい!」と思えない事は他の人が「面白い!」「楽しい!」と思えるはずがない。そう信じていなければ何も生み出せないと思います。そうやって思って過ごしています。
世の中には「楽しくない」「面白くない」事だってある。押さえなければいけない基本や記憶しなければいけない情報は「楽しい」「面白い」ものではない。しかし、それを使って「何か」しようと思えば将来的には「楽しい」「面白い」ものにつながるでしょう!?そう考えたら「全ての事」が大切で貴重なものに思える。
勉強も練習も「何かを得るための手段」だと考えたら楽しい気がします。私は「楽しい」の意味を間違えてはいけないと感じています。先日、カラオケに行く機会があったんだけど(8年ぶりくらいか)、無駄な時間を過ごしているな~と感じた。これは私の価値観なので否定的な意見もあるとは思いますが…。誰かが歌を歌っている間に自分が歌う歌を選ぶ。時間を共有するなら話をしたほうが「価値」があると思います。他者の話を聞く事で自分の成長があると思うから。私は人と話す方が何倍も「楽しい」と感じます。個人的な価値観ですが…。
ハレとケガレの考え方(哲学的な話しになるので興味のない人は飛ばして下さい)では、ハレがお祭りでケガレが日常生活です。昔は辛く退屈な「農耕生活」があり、その気晴らしをするのが年に1度の「お祭り」だった。だからその「ハレ」の日が楽しい。毎日が「ハレ」だったらその意味は全くない。毎日「お祭り」だったら間違いなく飽きてしまいます。人間ひたむきに努力し続ける日々があって、何度か「ハレ」があるから価値があるのでは?勉強するのは嫌、辛い事をするのは嫌では何をして成長するのでしょうか?「楽しい」を最大限に満喫するためには、それ以外の日々の過ごし方が大切になる気がします。
また、話が長くなりましたね~。身内に「あんたはblogが長い」と言われたのであまり長くならないようにしますね(笑)
なんて事を考えて過ごしました。考えない日から一転して考えてます。こんな日記を他の人が読んで楽しいのか??基本的に「自分の考え」をまとめるために使っているのでお許しを…。