今週は明日からクラスマッチ(近くのスポーツセンターで実施)がある&私が所用で居ないこともあり、昨日&今日で負荷をかけることにしました。昨日かなりスピードトレーニングをしているので脚が万全ではないのは分かっていますが、それでもやらなければいけない部分ですね。最近になく昨日はスピードを上げれたのでかなり疲れはあるはずです。土曜にも負荷をかけていますし・・・。「疲れているから仕方ない」を前面に出しては意味が無くなるのできっちりと練習をしました。
特別な練習はこの世にはないと考えています。「特効薬」があればそれをやり続ければ強くなる。しかし、そんなものはないから色々と考えながらトレーニングを実施するのです。私はそう思っていますから。万能の指導者はこの世にいないと思います。それができると思っているのは単なる「思い上がり」です。100%正しい練習なんてこの世には存在しない。だから考えて大多数に「効果がある」と考えられる練習をするのです。まー私が勝手に思っていることなので全面的に「そうだね」と言ってもらう必要はないと思いますが・・・。
今日も練習中に話しましたが「3本走る」だけなら、練習の効果はほとんどありません。「走りきった」ことに満足をするだけでは意味はないと考えます。最初の段階ではその「3本走る」ことに意味があると思いますが、この3本の中で「課題」をどれだけ処理できるかが「効果がある」かどうかだと思います。今日は最初の段階でそれぞれに「課題」を与えました。みんなの力を借りて「レベルアップ」をするためです。チームとして「力を合わせて一つのことをする」というのは大事だと思います。それができなければ「チーム」としての存在価値はない。まった、その「チーム」としての「協力」を得たモノがそのことを肌で感じ、「絶対に応える」という気持ちを持てなければこれも意味がない。どちらか一方の練習ではダメなんですよ。今日の練習は特にね。「強くしてもらおう」なんて気持ちでは何も変わりません。私が話した内容を「自分には関係ない」と思って聞き流せばそれで終了。それに意味はありません。何も生み出しません。客観的に見て今日は「良い練習」だったと思います。最後、前に行かせてしまった3人の思いが、一番後ろからスタートした者の心に残るはずです。だから、最後に力を使い切れた。そう思います。
今日の練習後にも「今日の練習が自分にとってどうなのか」を考えて欲しいと話しました。100%の気持ちで取り組めたのか「きついけど走ろう」のレベルだったのか?そのレベルで満足していたら次はありません。本気になれない者はいつまでたっても同じ事です。本気で向かい合うにはそれなりの「エネルギー」が必要です。エネルギーに見合う反応が無ければこちらも一生懸命にはなれません。なる意味もありません。「指導を受けたい」「強くなりたい」と本気で思うならそれなりの「姿勢」と「態度」が必要です。それが分からない者に注ぐエネルギーはありません。
何度も言います。やるのは「自分自身」です。私がやることを、求めることに「意味がない」と感じるなら他の指導者に指導を受けても良いと思います。合う合わないというのもあるでしょうしね。やる本人が「この人と一緒にやっていこう」と思えば、どんな練習でも効果はある。「やりたくないな~」なんて思っていると何も生み出さない。私は「意味がある」ことをしたいと願っています。お互いにプラスになることをしたい。
少しずつ「考える」「イメージする」ことが出来始めた気がしています。これが定着することが「強くなる」ための第一歩です。「当たり前」のことがどこまでできるか?私が居ない数日間、この辺の意識で来年が決まるでしょうね。しっかり考えてください。
特別な練習はこの世にはないと考えています。「特効薬」があればそれをやり続ければ強くなる。しかし、そんなものはないから色々と考えながらトレーニングを実施するのです。私はそう思っていますから。万能の指導者はこの世にいないと思います。それができると思っているのは単なる「思い上がり」です。100%正しい練習なんてこの世には存在しない。だから考えて大多数に「効果がある」と考えられる練習をするのです。まー私が勝手に思っていることなので全面的に「そうだね」と言ってもらう必要はないと思いますが・・・。
今日も練習中に話しましたが「3本走る」だけなら、練習の効果はほとんどありません。「走りきった」ことに満足をするだけでは意味はないと考えます。最初の段階ではその「3本走る」ことに意味があると思いますが、この3本の中で「課題」をどれだけ処理できるかが「効果がある」かどうかだと思います。今日は最初の段階でそれぞれに「課題」を与えました。みんなの力を借りて「レベルアップ」をするためです。チームとして「力を合わせて一つのことをする」というのは大事だと思います。それができなければ「チーム」としての存在価値はない。まった、その「チーム」としての「協力」を得たモノがそのことを肌で感じ、「絶対に応える」という気持ちを持てなければこれも意味がない。どちらか一方の練習ではダメなんですよ。今日の練習は特にね。「強くしてもらおう」なんて気持ちでは何も変わりません。私が話した内容を「自分には関係ない」と思って聞き流せばそれで終了。それに意味はありません。何も生み出しません。客観的に見て今日は「良い練習」だったと思います。最後、前に行かせてしまった3人の思いが、一番後ろからスタートした者の心に残るはずです。だから、最後に力を使い切れた。そう思います。
今日の練習後にも「今日の練習が自分にとってどうなのか」を考えて欲しいと話しました。100%の気持ちで取り組めたのか「きついけど走ろう」のレベルだったのか?そのレベルで満足していたら次はありません。本気になれない者はいつまでたっても同じ事です。本気で向かい合うにはそれなりの「エネルギー」が必要です。エネルギーに見合う反応が無ければこちらも一生懸命にはなれません。なる意味もありません。「指導を受けたい」「強くなりたい」と本気で思うならそれなりの「姿勢」と「態度」が必要です。それが分からない者に注ぐエネルギーはありません。
何度も言います。やるのは「自分自身」です。私がやることを、求めることに「意味がない」と感じるなら他の指導者に指導を受けても良いと思います。合う合わないというのもあるでしょうしね。やる本人が「この人と一緒にやっていこう」と思えば、どんな練習でも効果はある。「やりたくないな~」なんて思っていると何も生み出さない。私は「意味がある」ことをしたいと願っています。お互いにプラスになることをしたい。
少しずつ「考える」「イメージする」ことが出来始めた気がしています。これが定着することが「強くなる」ための第一歩です。「当たり前」のことがどこまでできるか?私が居ない数日間、この辺の意識で来年が決まるでしょうね。しっかり考えてください。