kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

受け身の美学

2007-10-18 | 陸上競技
いろいろと研修を受けました。カウンセリング技法や互いに「不満を感じない会話の仕方」等が中心。今の流れとして「話を聞く」「受け入れる」というのが主流のようです(汗)。素晴らしい理想論ですね~。

現在、世の中の流れは「受け身」です。こちらから積極的に関わっていって「なんとかしよう」というのではなく、相手が困っていて行き詰まったら手を貸そうというのが多い。もちろん、そういう姿勢が全て悪いというわけではありません。しかし、非常に違和感を感じる・・・。受け身になることで道を踏み外すことはない。仕事としては「安全」です。周りから「やり過ぎだ」「おかしい」と言われる確率はかなり低くなりますからね。教育自体が本当に「サービス業」と化しているのでしょう。考え方が多様化し「正しい」という判断が難しくなる中で指導をする・・・。ひょっとしたら自分自身の考え方が間違っているかもしれない。こちらから「考え方」や「道」を示すのではなく、聞かれたら「こういう考え方もあるよ」くらいで示す。子供達との関係はより「お友達」になり、都合の良い部分だけ話をしてくるようになるのではないか。客観的に「おかしい」と思っていても、「個性だから」という言葉でうまくごまかす。全ては「無難」に終わっていく・・・。これが本当に「教育」なのか?

「色々な研修に参加した方が良い」と言われる。自分の判断基準を増やす機会としては必要でしょう。子供達は「暗記」をすることに力を注ぎ、それを活かしていく場面を見つけきらない。「覚えやすい」授業をすることに躍起になる。こちらから子供達に伝えていく「メッセージ」はそれほど必要とされない(と感じる)。教育自体が「お医者さん化」してきている気がする。「怪我が治るまで3週間は安静にしてください」と言っておけば「完治」してからの運動になるので再発する可能性は低くなるが間違いなく体力は落ちる。「積極的に治そう」という部分よりも「待っていたら治る」といいう部分が大きい。失敗を恐れ「無難」に守りに入る。それが本当に教育なのだろうか。

話し合いの途中で違和感を感じたので上記の「教員はお医者さんか?」という投げかけをしたが、「子供にはリハビリ期間が必要と言うことですか?」というピントがずれた返答。そうじゃないんだ。教育相談が主流になり、こちらからメッセージを伝えていくことがなくなってきているんじゃないかって話をしたかったんだ。「考え」を示すことは思想を伝えることになり、宗教やジェンダーなんかを押しつけることになるのかもしれない。「正しい」という判断基準が誰にもわからないからね。話の中で宗教チックな話にはならないように気をつけているが「思想」の話になるかもしれない。「失敗を恐れるな」「挨拶をする」「できることに全力で取り組む」なんてことすら「思想」の押しつけと言われる時代になってきているのかもしれない。「それをやらないのが私の個性です」なんて言われてしまったらそれより発展はない。

積極的に関わっていって方向を正さなければ非常に楽ですお互いに衝突することは少なくなるからね。嫌な思いをしなくてすむ。しかし、それで何が変わるのか?嫌だな~と思うことを言われる中で「自分に必要なモノ」を見つけ出して考え方の変容が生まれるのではないか?子供が病院に来て「怪我をした」と言うまで待つのか?「いつもと様子が違ったらこちらから話しかける」というお手本のような答えで本当に良いのか?分からない。

この世に「絶対的なモノ」が存在しなくなってきた。だから「こうやりなさい」というものを示すのが難しい。でも、自分の信念を示すことができなくなったら教育は機能しなくなるのではないか。多くの人間が「こう思うんだ」を示していってその中から自分で「自分のためになるモノ」を取捨選択すればいい。一人だけが「こう思う」を示しても「何を言ってるんだ」で終わり。何も言われない方が圧倒的に楽ですからね。教育相談的立場を否定しているわけではない。こういう研修に行って必要性を感じる部分もある(話は聞いていると思うが)。でもそれが「主流」になってしまっている「今」に違和感を感じる。

「受け身」で待つこと。素晴らしい理想だと思います。それ以外の対応をどう考えていくのか?自問自答しながら生きていきます・・・。
コメント
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