東日本大震災から20日が過ぎました。次第に日本は通常の生活に戻りつつある。我々西日本で生活している人間には直接大きな影響を受けていませんから、実感がわかない部分があるのは確かです。何か行動をするのに胸が痛むという日々が続いていましたが、少しずつ自分の生活が中心になっている。
著名人が募金活動を行う。自ら募金をしたり、募金を集める行動をする。金額の大小ではなくこういう行為が積み重なって大きなことにつながっている。しかし、ネット上では「偽善者」「売名行為」だと誹謗中傷の対象となっている。なんだか悲しい気持ちになった。また、アスリートが自分の考えや信念をblogに書いたりするとそれに対してもバッシングが起きる。著名人やアスリートには自分の考えを示す権利はないのか。ネットというのは「不特定多数」が閲覧することができるが、そこで行われる虚構のやり取りの中で誰かを「偽善者」だと批判する者が多い。テレビで顔や行動が映されているアスリート達は行動の一つ一つ、発言の一つ一つがバッシングの対象になるのです。
本当に問題なのはそこではないはずです。著名人やアスリートが考え方を示した事で受け入れられないと感じる人もあるはずです。しかし、それを落とし入れるようにバッシングすることで何かを生み出すことはありません。そのエネルギーをもっと有効に使うことが出来るのではないかと思います。
我々、直接被害にあっていない人間は実際に起きているこの大震災ですらどこか現実の事として受け入れられない部分があるのは確かです。時間が経つにつれて我々は日常生活に戻っていく。でも被災地の人はこれから先、何年間も今の状態が続くでしょうし、心の傷は残っていく。これが現実なのです。誰かが誰かを批判しても何も変わらない。ネット上で他者を批判した所でこの現状が変わるわけではないのです。被災地の人の気持ちになって…と言われるかもしれませんが、今の私にはそれは出来ません。何故なら実際に被災していないからです。だから何を言ってもリアリティーがない。このblogに何かを書いても「冷たい」と言われて終わりかもしれません。
しかし、被災地に対する「想い」は持っておきたいと思います。「可哀想」という在り来たりの言葉ではない。これはきちんと考えておかないといけない。同じ日本で現在、自分のやりたいことも出来ず日々の生活を送っている人がいる。多くの夢や希望を持っていたのにそこに向けて努力をする時間と未来も奪われてしまった。その気持ちを背負っていく。だからこそ自分に与えられた時間と役割を全力で果たしていきたいと。
こんなことを書く事が偽善だと言われるのかもしれません。しかし、私に出来ることは目の前にいる子ども達に大切なものを伝えていく事だけです。私が悲観して毎日落ち込んで過ごした所で何も生み出さないのです。「被災地の人の分まで」という事を言うつもりはありません。自分が出来ることを最大限にやっていく。それが私達にできること。意思表明をする人間を批難することではありません。やりたいことだけをやる、というのではありません。自分に与えられた役割をきちんと果たすことしかない。これが偽善だと言われたらそれまで。
自分の中で「正しい」と感じたこと、誰かに迷惑をかけるわけではなく大切な「何か」を伝えていけるかどうか。これが今私にできること。そう信じて進んでいきたい。例え偽善と言われたとしても出来ることをやっていく。「心」を持った生徒を育てていきたいと思います。それだけです。
著名人が募金活動を行う。自ら募金をしたり、募金を集める行動をする。金額の大小ではなくこういう行為が積み重なって大きなことにつながっている。しかし、ネット上では「偽善者」「売名行為」だと誹謗中傷の対象となっている。なんだか悲しい気持ちになった。また、アスリートが自分の考えや信念をblogに書いたりするとそれに対してもバッシングが起きる。著名人やアスリートには自分の考えを示す権利はないのか。ネットというのは「不特定多数」が閲覧することができるが、そこで行われる虚構のやり取りの中で誰かを「偽善者」だと批判する者が多い。テレビで顔や行動が映されているアスリート達は行動の一つ一つ、発言の一つ一つがバッシングの対象になるのです。
本当に問題なのはそこではないはずです。著名人やアスリートが考え方を示した事で受け入れられないと感じる人もあるはずです。しかし、それを落とし入れるようにバッシングすることで何かを生み出すことはありません。そのエネルギーをもっと有効に使うことが出来るのではないかと思います。
我々、直接被害にあっていない人間は実際に起きているこの大震災ですらどこか現実の事として受け入れられない部分があるのは確かです。時間が経つにつれて我々は日常生活に戻っていく。でも被災地の人はこれから先、何年間も今の状態が続くでしょうし、心の傷は残っていく。これが現実なのです。誰かが誰かを批判しても何も変わらない。ネット上で他者を批判した所でこの現状が変わるわけではないのです。被災地の人の気持ちになって…と言われるかもしれませんが、今の私にはそれは出来ません。何故なら実際に被災していないからです。だから何を言ってもリアリティーがない。このblogに何かを書いても「冷たい」と言われて終わりかもしれません。
しかし、被災地に対する「想い」は持っておきたいと思います。「可哀想」という在り来たりの言葉ではない。これはきちんと考えておかないといけない。同じ日本で現在、自分のやりたいことも出来ず日々の生活を送っている人がいる。多くの夢や希望を持っていたのにそこに向けて努力をする時間と未来も奪われてしまった。その気持ちを背負っていく。だからこそ自分に与えられた時間と役割を全力で果たしていきたいと。
こんなことを書く事が偽善だと言われるのかもしれません。しかし、私に出来ることは目の前にいる子ども達に大切なものを伝えていく事だけです。私が悲観して毎日落ち込んで過ごした所で何も生み出さないのです。「被災地の人の分まで」という事を言うつもりはありません。自分が出来ることを最大限にやっていく。それが私達にできること。意思表明をする人間を批難することではありません。やりたいことだけをやる、というのではありません。自分に与えられた役割をきちんと果たすことしかない。これが偽善だと言われたらそれまで。
自分の中で「正しい」と感じたこと、誰かに迷惑をかけるわけではなく大切な「何か」を伝えていけるかどうか。これが今私にできること。そう信じて進んでいきたい。例え偽善と言われたとしても出来ることをやっていく。「心」を持った生徒を育てていきたいと思います。それだけです。