思う事があるので少し書きます。
陸上競技というのは本当にシビアなスポーツだと思っています。理由は「努力をした者が勝てるわけではない」からです。これは世の中のすべての事で言えるのではないかと思います。我々指導者は「練習をすれば強くなる」と口にします。選手もその言葉を信じて練習をする。当然といえば当然の事です。しかし、結局どこのレベルを目指して努力をしているのかが不透明になってしまい漠然と練習をするようになってしまう。
はっきり言って「才能」という大きな力の前には「努力」はちっぽけなものだと思っています。競技をという側面だけをみれば高校生男子が100mを14秒台で走っていて、次の年に10秒台で走る事は不可能に近いのです。たいして練習をしなくても速い者は速い。理想論ではなく現実が目の前にあります。そこから目を背けて「努力をすれば何でもできる」と教えるのは違っているのかなと考えています。夢や理想を訴えかけるだけで如何ともし難い力の差は埋められない。面白くない話をしているかもしれませんね。
うちのキャプテン、高校入学時は100m15秒くらいでした。この選手に自分の力でインターハイに行け!と言うのは夢でも理想でもない。本人にも想像できない事だと思います。力がそれほどないと書くと保護者や関係者から非難されるかもしれませんがこれが現実です。まずはチーム内で4番以内に入ってリレーを走るように話してきました。努力をして達成できる可能性と不可能なことがあると思っています。一生懸命に努力さえすればどこまででも強くなると教えるのは本人のためにはならないんじゃないかと。
昨年秋のシーズンが終わって、また本人と話をしました。かなり走れるようになってきていました。が、13秒中盤位のスピードにはなっているでしょうか。それでも個人でインターハイに行くのは不可能です。「チームを作って行くことができればリレーで戦えるようになるかもしれない」と話しました。これも可能性であってどこまで行けるかは分かりません。最初から12秒台の選手が何人も集まってくるような学校があればどれだけやっても勝てないかもしれません。が、個人で上で戦うことよりはリレーの方が間違いなく可能性があります。一人では無理だと話をしました。現実を突き付けるというのは良い気はしないものです。でも不可能なことが「努力すればできる」と教えるのは違っている。今できる最大限の努力をすることで何かしらの可能性が見えてくるのです。
少し話が変わりますが、世の中には強い選手がいます。努力をしなくても速く走れるのです。この事は何度も書いている事ですね。そういう選手に対して普通の選手が努力をしたから勝てるのか?勝てる確率は低いと思います。普通の高校生がボルトに勝つといっても不可能です。こういう意味で努力をすれば必ず報われるとは言えないと思っています。
強い選手は何もしなくても強い。これは本当に良いことなのか?それほど努力をしなくても速く走れてしまう。小さい頃から周りより速いことで指導者や保護者も特別扱いになる。全てがそのパターンだと言い切るつもりはありません。練習を必死にしなくても走れる者は走れるのです。それなりに練習をして試合に出れば勝てる。勝てるから楽しいのです。勝利至上主義とは言いませんがこういう部分があるのは間違いないと思います。だから勝てなくなったり記録が出なくなったら面白くなくなる。
ここで「だったらめちゃくちゃ練習をして強くなってやる」と覚悟を決められるのはごく一部の選手です。今までそれほど努力をしていないのに才能があるから結果が出ていた。その事が分からない限りは練習を覚悟を持って取り組むという事はできません。才能がある選手が真剣に自分と向き合って努力できるようになったら普通の選手は手も足も出ない状態になるのです。でもここに到達できる選手というのは本当に少ないと思います。ほとんどの選手はここに行く前に諦めてしまうからです。必死にならなくても勝てるというのが本当の成長にはつながらないんだと感じています。
努力は万能ではない。でも、普通の選手が才能あふれる選手に勝つためには努力をする以外には方法はないのです。可能性は低い。それでもやらない限りは勝てる可能性は出てきません。そこに向けて私達が何をするのか?夢や理想だけを伝え続けるのは違うのではないかと思っています。現実にきちんと目を向けて本当にできる事は何かを伝えて行く事しかないのです。
努力は必ず報われるとは限らない。でも、努力しない者に自分の先に何があるのかを知る事さえできないのです。結局一番になれるのは世界で一人だけ。他の者は敗者。そこから目を背けてはいけない。支部大会で一位になれる者も一人、県大会の一位も一人、中国大会の一位も一人、日本一も一人。勝てなければ意味がないというのであれな日本でやっている事に意味があるのはたった一人だという事になってしまいます。これは絶対に違うと思っています。努力すること、目標に向かって進んでいく中で形に残らない何かを手にする事ができるのです。才能溢れる選手はこの部分の下積みが不足する危険性があります。きちんとした指導者についていれば違うかもしれませんが「強い事が良い事」という指導では選手は伸びません。チームで動くことや努力することの大切さ、練習をする意味をきちんと教えていかなければいけません。これが我々の本当の仕事だと思っています。
前述のキャプテン、現時点ではチーム内で二番手にになりつつあります。まだまだ力的には足りません。甘さも多々あります。それでも15秒でしか走れなかった者がキャプテンとなりチームを引っ張っていけるようになってきている。才能溢れる選手ではなかったからこそここまで来たと思っています。怪我をして涙を流し、思うように走れずに涙を流す。一つ上の先輩の後ろ姿を追い続けていた。努力が報われるというのはどの水準なのでしょうか。一番になれなくても、他の者には勝てなくてもきっと心の中に何かが残るはずです。そこが一番大事だと考えています。
努力は万能ではない。必ず報われるとは限らない。でも、目指す場所を決めてやっていくしかありません。それが唯一強くなるための手段です。何もしなくても速く走れる選手よりは競技を楽しめていると思います。最大限の努力をして自分自身の力を出し切る。ここが大切です。そこができるような指導をしていきたいと考えています。
分かりにくい文章になっているかもしれません。思う事を書いてみました。表現的に不適切な部分があるかもしれません。伝えたい本当の事が伝わると良いなと思っています。必ず結果がついてくるとさ限らないけど、全力でやる以外に道は開けないのですから。
陸上競技というのは本当にシビアなスポーツだと思っています。理由は「努力をした者が勝てるわけではない」からです。これは世の中のすべての事で言えるのではないかと思います。我々指導者は「練習をすれば強くなる」と口にします。選手もその言葉を信じて練習をする。当然といえば当然の事です。しかし、結局どこのレベルを目指して努力をしているのかが不透明になってしまい漠然と練習をするようになってしまう。
はっきり言って「才能」という大きな力の前には「努力」はちっぽけなものだと思っています。競技をという側面だけをみれば高校生男子が100mを14秒台で走っていて、次の年に10秒台で走る事は不可能に近いのです。たいして練習をしなくても速い者は速い。理想論ではなく現実が目の前にあります。そこから目を背けて「努力をすれば何でもできる」と教えるのは違っているのかなと考えています。夢や理想を訴えかけるだけで如何ともし難い力の差は埋められない。面白くない話をしているかもしれませんね。
うちのキャプテン、高校入学時は100m15秒くらいでした。この選手に自分の力でインターハイに行け!と言うのは夢でも理想でもない。本人にも想像できない事だと思います。力がそれほどないと書くと保護者や関係者から非難されるかもしれませんがこれが現実です。まずはチーム内で4番以内に入ってリレーを走るように話してきました。努力をして達成できる可能性と不可能なことがあると思っています。一生懸命に努力さえすればどこまででも強くなると教えるのは本人のためにはならないんじゃないかと。
昨年秋のシーズンが終わって、また本人と話をしました。かなり走れるようになってきていました。が、13秒中盤位のスピードにはなっているでしょうか。それでも個人でインターハイに行くのは不可能です。「チームを作って行くことができればリレーで戦えるようになるかもしれない」と話しました。これも可能性であってどこまで行けるかは分かりません。最初から12秒台の選手が何人も集まってくるような学校があればどれだけやっても勝てないかもしれません。が、個人で上で戦うことよりはリレーの方が間違いなく可能性があります。一人では無理だと話をしました。現実を突き付けるというのは良い気はしないものです。でも不可能なことが「努力すればできる」と教えるのは違っている。今できる最大限の努力をすることで何かしらの可能性が見えてくるのです。
少し話が変わりますが、世の中には強い選手がいます。努力をしなくても速く走れるのです。この事は何度も書いている事ですね。そういう選手に対して普通の選手が努力をしたから勝てるのか?勝てる確率は低いと思います。普通の高校生がボルトに勝つといっても不可能です。こういう意味で努力をすれば必ず報われるとは言えないと思っています。
強い選手は何もしなくても強い。これは本当に良いことなのか?それほど努力をしなくても速く走れてしまう。小さい頃から周りより速いことで指導者や保護者も特別扱いになる。全てがそのパターンだと言い切るつもりはありません。練習を必死にしなくても走れる者は走れるのです。それなりに練習をして試合に出れば勝てる。勝てるから楽しいのです。勝利至上主義とは言いませんがこういう部分があるのは間違いないと思います。だから勝てなくなったり記録が出なくなったら面白くなくなる。
ここで「だったらめちゃくちゃ練習をして強くなってやる」と覚悟を決められるのはごく一部の選手です。今までそれほど努力をしていないのに才能があるから結果が出ていた。その事が分からない限りは練習を覚悟を持って取り組むという事はできません。才能がある選手が真剣に自分と向き合って努力できるようになったら普通の選手は手も足も出ない状態になるのです。でもここに到達できる選手というのは本当に少ないと思います。ほとんどの選手はここに行く前に諦めてしまうからです。必死にならなくても勝てるというのが本当の成長にはつながらないんだと感じています。
努力は万能ではない。でも、普通の選手が才能あふれる選手に勝つためには努力をする以外には方法はないのです。可能性は低い。それでもやらない限りは勝てる可能性は出てきません。そこに向けて私達が何をするのか?夢や理想だけを伝え続けるのは違うのではないかと思っています。現実にきちんと目を向けて本当にできる事は何かを伝えて行く事しかないのです。
努力は必ず報われるとは限らない。でも、努力しない者に自分の先に何があるのかを知る事さえできないのです。結局一番になれるのは世界で一人だけ。他の者は敗者。そこから目を背けてはいけない。支部大会で一位になれる者も一人、県大会の一位も一人、中国大会の一位も一人、日本一も一人。勝てなければ意味がないというのであれな日本でやっている事に意味があるのはたった一人だという事になってしまいます。これは絶対に違うと思っています。努力すること、目標に向かって進んでいく中で形に残らない何かを手にする事ができるのです。才能溢れる選手はこの部分の下積みが不足する危険性があります。きちんとした指導者についていれば違うかもしれませんが「強い事が良い事」という指導では選手は伸びません。チームで動くことや努力することの大切さ、練習をする意味をきちんと教えていかなければいけません。これが我々の本当の仕事だと思っています。
前述のキャプテン、現時点ではチーム内で二番手にになりつつあります。まだまだ力的には足りません。甘さも多々あります。それでも15秒でしか走れなかった者がキャプテンとなりチームを引っ張っていけるようになってきている。才能溢れる選手ではなかったからこそここまで来たと思っています。怪我をして涙を流し、思うように走れずに涙を流す。一つ上の先輩の後ろ姿を追い続けていた。努力が報われるというのはどの水準なのでしょうか。一番になれなくても、他の者には勝てなくてもきっと心の中に何かが残るはずです。そこが一番大事だと考えています。
努力は万能ではない。必ず報われるとは限らない。でも、目指す場所を決めてやっていくしかありません。それが唯一強くなるための手段です。何もしなくても速く走れる選手よりは競技を楽しめていると思います。最大限の努力をして自分自身の力を出し切る。ここが大切です。そこができるような指導をしていきたいと考えています。
分かりにくい文章になっているかもしれません。思う事を書いてみました。表現的に不適切な部分があるかもしれません。伝えたい本当の事が伝わると良いなと思っています。必ず結果がついてくるとさ限らないけど、全力でやる以外に道は開けないのですから。