kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

指導について

2013-01-11 | 陸上競技
ここ数日間、多くのマスコミが教育関連の問題を取り上げています。「体罰」の問題です。細かい事実関係は分かりませんが運動部のキャプテンが「指導」の中で指導者から叩かれ(殴られ?)、それを苦に自殺をしたのではないかというニュースです。このことに関してどこまでが正しい情報であるかは分かりません。情報が溢れている現代では発信元が不明確な情報がたくさんあります。事実ではなくても事実のように受け取れる情報も多々あります。非常に難しい問題です。

「体罰」批判がかなり出ています。私自身も生徒に手を上げるというのはいいことではないと思っています。生徒が殴りかかってきても教員側は何もできないというのも事実です。「セクハラ」「パワハラ」と同様、どこからが「体罰」なのか不明瞭な部分があります。正当防衛と言える部分があってもそれが「体罰」だと言われかねないのが今の時代です。教員が生徒に暴行を受けたというニュースはよく見かけます。こちらに関してはほとんど取り上げれません。「体罰」を正当化するつもりはありません。他者に危害を加えたりするのは教育的にいいことではない。殴って言うことを聞かせてもそれは一時的なものにしかならない。本質的な理解にはならないのです。

なぜこのようなことを書いているのか?指導について考える必要があると感じたからです。ここからは完全な私見。前述の「体罰」のニュースとは切り離して書きます。私自身は「体罰」は良くないという立場に立っています。部分的な文章を切り取って云々言われると心外なので立場は明確にしておきます。

例えば、練習や日常生活できちんとした行動がとれない生徒に対して話をする。この話の一部分をとられて「暴言を吐かれた」と言われる。この部分も「体罰」なのかもしれません。相手が不快に思えばそれが「体罰」だと言われたらそうなのかもしれないという気がしています。「体罰」という言葉が独り歩きしてしまうのは本当に怖いことだと思っています。忘れ物をした生徒に「きちんとやれよ」と言ってペンで軽くコツンと頭を叩く。日常的に良く見かける光景ではないでしょうか?しかし、この行為自体が「体罰」だと言い出す生徒もいるのです。世間一般的には問題ない行為であってもマスコミがこれだけ取り上げると「体罰」という生徒が出てくるというのが現状なのです。

もちろん、今回の運動部における「体罰」は許される行為ではありません。数十回叩いたと取り上げれています。これが1回だったら良くて30回だったら駄目だという基準はありません。「愛情があれば良い」とか「後できちんとフォローしておけばいい」という問題ではないと思っています。「熱心な先生だから」というきれいごとでは済まされない。根本的に何かが違うのだと思います。「生徒のために」という部分から「自分のために」という感覚にすり替わってしまっているのかもしれません。

言って聞かせるというのは本当に難しいことです。生徒のできていないところを指摘する。でもできていないということが良くわからない。自分で無意識のうちに「良くない行動」「良くない発言」をしているからです。そのことが「悪い」と思っている人間には話をすると少しは伝わります。自分は正しいと思っている者に関しては「指摘されている意味がわからない」のです。何度も書きますがこの部分は「体罰」の問題とは切り離して見てください。指導をしていく上で感じたことを書いているだけです。以前ある生徒と話をしました。その生徒の友人の話です。学校で紙コップのジュースを飲んだ。その後、コップに入っていた氷を友人がその辺りにばらまき始めたとのこと。なぜそのようなことをするのか?と尋ねると「楽しいから」という返答。他の人が歩くとかごみの処理という感覚がないのです。その場で自分が「やりたい」と思ったことをやるだけ。だからそのことを指摘されても「何がいけないの?」となるのです。言って聞かせる。感覚が大きく違う人間には言って聞かせる前の段階が必要となります。ここは本当に大変です。

以前は私もかなり感情的になって注意をしていました。あまりにもひどい行動が何度もあり諭しても諭しても伝わらないからです。しかし、結局生徒は分かりませんでした。記憶の中には「怒られた」ということしか残らないのです。なぜそのような状況になっているのかを時間がかかってでも話をしていかなければ次も同じことをしてしまうのです。何度も何度も話をしてもやはり伝わらない者には伝わりません。これが現実です。指導をするというのは実はものすごいエネルギーを使うことになるのです。一時的に「体罰」というような形で示したとしてもこの意味が分からないのであれば「叩かれた」という事実しか残りません。

今でも時折激昂することはあります。しかし、それは普段の関わりの中で「信頼関係」があるからできることだと思っています。その場面だけで注意をしても伝わらないと思っています。これは自己満足といわれたらそれまで。生徒はそのような気持ちで私に接していないかもしれないからです。ここは永遠の課題だと思いますね。

私が生徒や選手に話をするときに不適切な表現があるかもしれません。その一部分だけがクローズアップされて色々と批判されることもあります。一番楽なのは「生徒に関わらない」ことです。生徒や保護者に関して無関心になればどのような行動をしても「関係ない」で終わるからです。しかし、それでは今の仕事をやっている意味は全くない。少しでもいい方向に進めるようにサポートできるように努めるのが仕事です。マスコミは常に「一部分」を切り取って大きく取り上げます。ある意味情報操作です。芸能人のコメントなどはマスコミの編集によって良いほうにも悪いほうにもイメージを作ることができます。こういうblogも同様ですね。前後の文脈や話の流れをカットして「文字」だけを示せば「問題発言」と捉えられる。怖いことです。

「体罰が必要だ」と言っているわけではないというのは読んでもらったら分かると思います。体罰は良いことではありません。しかし、何をもって体罰とするのかというところは色々と考えていかなければいけない部分だと思います。生徒が自己主張すれば指導がひっくり返るというのではいけません。「悪いものは悪い」「反省しなければいけない部分は反省する」ということはやはり重要です。今回の件で教員が「全く指導できない」という状況になるのを恐れています。その可能性はあると考えています。本気で。

過剰なまでのマスコミ報道は間違いなく様々な部分に飛び火するでしょう。今回の行為は教員側に非があります。それは覆しようのない事実です。全ての教員の指導が「教員が悪い」となってしまうのではないかと思うと本当に怖いなと思います。何が正しくて何が間違っているのか。これは判断が難しくなります。自分の中に「方向性」を決めておかないと多くの情報に流されてしまいます。

きっと近いうちにblogでの意見の発信も規制されるようになるでしょうね。私のblogもいつまで続けられるか・・・。まとまりのない文章になってしまった気がします。アップできる内容だとは思いますが、危険性を感じたら削除します・・・。繰り返しになりますが今回の「体罰」が正しいと言っているわけではありません。ご理解を。
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身体づくりと方向性

2013-01-11 | 陸上競技
木曜日、この日は身体づくりがメイン。特別なことはありません(笑)。

朝練でBOX補強をしたのですが意識する部分をもう一度確認しました。股関節をしっかり曲げることとハムストリング&大臀筋を伸ばすことを一つの動きの中で意識するようにしました。二つのことを一緒にするというのは本当に難しいことではありますが意識しないと変わりませんからね。どうしても身体を前傾させてごまかしてしまう者がいます。これでは練習の質は上がりません。しつこいですが「形だけ」の練習となってしまうからです。身体をしっかりと起して曲げていく必要があるのですが、身体を倒すと「曲がっているように見える」のです。本来使うべき部分が使えなくてやったように見える。負荷的には本当に必要な負荷とは異なっているにもかかわらずそこに気づくことができない。やっている本人は一生懸命なのかもしれませんが同じやるなら意図した動きができるようにしていくほうが良いと思いますね。

午後は外補強。前日までのダメージはかなり大きいですね。それでもここで妥協することはできません。もちろん練習量の増減は見ていて判断しなければいけませんが今はまだ大丈夫。ウエイトに関してはベンチとスクワットのみ実施しています。3年生、やっと1年生の時と同じくらいの重量を挙げられるようになってきました。1年間ウエイトを避けていたのですがやはり必要な負荷というのはかけていかなければいけないと判断しています。ここで勘違いしやすいのが「重たいモノを挙げる」というのにこだわりすぎること。特に男子はウエイトの重さにこだわります。他の者よりも高重量を挙げることが大事だと思い込んでしまう。しかし、本当に必要なのは「走るために必要な筋力」です。無駄に肥大しても重りになるだけでスプリント向上にはつながりません。使える筋肉になるのであれば問題ないですが、大きくなるだけでは無意味です。ここはしっかりと考えておかなければいけません。

ウエイトの重量には個人差があります。ここの部分で勘違いが生まれる。基本的にトレーニングはこれまでの自分よりも高い負荷に耐えられるというのが大事です。自分の中の成長が大事であって他者と比べることが大事ではない。この日の練習中に筋力的に強くない選手の外補強の重さを変えました。esaki先生からアドバイスをもらったからです。ベンチプレスのウエイトの重さに差があるのだからシャフト補強の重さにも差があって当然。重くなりすぎて重心が移動しなくなったら意味がなくなります。この部分はしっかりと把握しながらやっていかなければいけないと思いますね。単純に軽くしたのではなくそれがどのような意味を持つか?本人もですが他の選手もそのことを理解しておかなければいけません。

また、ここ最近はトレーニングと動きに結びつきをかなり重視しています。単純に速く動かすとか負荷をかけるのではない。それがどのような意味を持っていて実際の走りにどのように結びつくのかを繰り返し指示するようにしています。どうしても負荷がかかってくると楽をしようとしてしまいます。可動域が小さくなり末端で力を発揮してしまおうとする。これでは走りにはつながらない。トレーニングをするためのトレーニングにしかなりません。大事なのはトレーニングをすることではない。トレーニングして鍛えた部分を走りの動きに生かしていくことが重要となってきます。

ジャンプ系のトレーニングの中で軸を作ることもやっています。簡単な動きの中で意識していかなければ動きは変わりませんからね。走るときに潰れていたら前に進みませんし、無駄な力を使ってしまいます。楽に速く走るという大きなテーマを掲げていますからそのためにも感覚作りは重要になってきます。感覚が不足している選手はやっていくしかありませんから。

多くの時間をトレーニングに費やしています。すぐに結果は出ませんが意識次第でかなり変わってくると思っています。まだまだ時間がかかります。色々と工夫をしながらやっていこうと思います。
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