前の記事を書いてしばらくして知り合いの指導者から「迷走していますね(笑)」というメールをもらいました。まーそういう部分もあると思います。私は聖人君子ではありませんし、一人の人間です。教育に携わるという時点で「一個人」という立場はなくなるのかもしれません。ましてや「万人の目につく可能性のあるblogをやっている」ということは批判対象でしょう。それでも続けている。ここに意味があるのかどうか。分かりません。
「自分に対する評価」というのを最大限に求める。ここは基本的にないと思っています。「すごいですね」と言われても「やっているのは選手ですから」という気持ちがある。それでもそれなりに指導しているという自負はあります。ここの部分の自分自身の葛藤。表現できないですが。指導スタイルを変えるつもりはありません。時代とともにそのスタイルも変える必要があるのかもしれません。しかし、主役は選手という感覚は持ち続けたい。指導者が前面に出てしまうようなチームにはなりたくないですし、なってはいけないと思っています。これはあくまで私見であり正しいかどうかは不明。
ハードルの指導をする。ここだけにこだわるつもりはありません。チーム状況にあった指導はしていきたい。400mHに対するこだわりはあります。それでもここまでインターハイに行ったのは短距離種目のみ。100m、200m、400m、4継。「短距離種目」は制覇しました(笑)。それでも専門だと考えている(自分が思っている)400mHは誰もいない。指導する側としては少しさみしいかなとは思います。それが「ハードルの指導者がいない」という言葉に過剰に反応するのかもしれないなと感じています。
こればっかりは「タイミング」だと思っています。専門とする選手が来ればそこまでいけるかもしれない。実際、女子の400mHでインターハイが狙える選手がいたことはあります。が、結局故障してしまい思うような結果を残せない。これは本当に申し訳ないことをしたと思っています。この時はもう一人400mH選手がいましたが春先に64秒台を出してそれ以後記録を伸ばせませんでした。可能性としては十分あったと思います。ここで「力を出し切ることができなかった」という意味では自分自身の力不足だと思っています。チャンスは何度もない。少ないチャンスを生かせる者だけが上につながっていけるのです。
現時点では自分自身なかなかフィールド種目に目が向いていないことを反省すべきかどうか考えています。もっとフィールド種目に目を向けて勉強していけば「可能性」というものをもっと見出すことができるかもしれない。私としてはまだ短距離種目の指導も十分できない(どのレベルで十分でないというのかは個人差)のに、ほかの種目に手を広げていくことがいいのかどうか分からないからです。跳躍系の不勉強は明確です。もっともっと勉強しなければいけない。そこまで視野を広げることのできない自分自身の考え方の狭さ。いいことではないですね。
「指導」というのはどの部分を見て言うのか?競技の指導だけでいいとは一切思いません。それ以外の部分がきちんとできなければどれだけ力があっても意味がない。これは私自身のエゴなのかもしれませんが。インターハイに行っても自分のことしかできない、挨拶もできない、集団行動ができないという選手を育ててしまえば「競技が終わったとき」に何も残りません。「競技で結果を残せばよい」というのであれば「薬物ドーピング」と大差ないと考えています。「結果」がすべてではない。外部から評価を受けるのは「結果」です。同じことをやっていても「結果」が出ればその部分だけに注目が集まる。「結果」が出せなければ一生懸命取り組んでいる選手の評価はされない。されてはいるのかもしれませんが。選手自身も周囲からの「評価」を受けるためにやっているわけではありません。
「結果」だけではない。が、「結果」は大切。技術云々ではない部分が選手の今後の人生を大きく左右するでしょう。それでも周囲は「結果」を求める。宮崎に行ったときに「指導を始めた時からスタンスは何も変わっていない。変わってくるのは周りの評価だけ。という話を聞きました。自分たちは何も変わっていない。タイミングよく「結果」がでたらそこから周囲の目が変わる。でも自分は何も変えない。時とともに少しずつ変化はしているが最優先は選手。この考え方について強く共感しました。それ以前もそのスタイルでやっていましたが、ここ最近は特にその思いが強くなっている。忘れたくない「想い」がそこにあります。一生懸命にやるから「結果」を出させてあげたい。しかし、そこだけが大事ではない。でも「結果」を無視した努力は存在しない。言葉遊びのようなところもありますが現実だと思っています。
何が書きたいのか?何が言いたいのか?よくわかりません(笑)。それでも書いておきたいなと感じたので記録しました。迷走してますかね?!(笑)
「自分に対する評価」というのを最大限に求める。ここは基本的にないと思っています。「すごいですね」と言われても「やっているのは選手ですから」という気持ちがある。それでもそれなりに指導しているという自負はあります。ここの部分の自分自身の葛藤。表現できないですが。指導スタイルを変えるつもりはありません。時代とともにそのスタイルも変える必要があるのかもしれません。しかし、主役は選手という感覚は持ち続けたい。指導者が前面に出てしまうようなチームにはなりたくないですし、なってはいけないと思っています。これはあくまで私見であり正しいかどうかは不明。
ハードルの指導をする。ここだけにこだわるつもりはありません。チーム状況にあった指導はしていきたい。400mHに対するこだわりはあります。それでもここまでインターハイに行ったのは短距離種目のみ。100m、200m、400m、4継。「短距離種目」は制覇しました(笑)。それでも専門だと考えている(自分が思っている)400mHは誰もいない。指導する側としては少しさみしいかなとは思います。それが「ハードルの指導者がいない」という言葉に過剰に反応するのかもしれないなと感じています。
こればっかりは「タイミング」だと思っています。専門とする選手が来ればそこまでいけるかもしれない。実際、女子の400mHでインターハイが狙える選手がいたことはあります。が、結局故障してしまい思うような結果を残せない。これは本当に申し訳ないことをしたと思っています。この時はもう一人400mH選手がいましたが春先に64秒台を出してそれ以後記録を伸ばせませんでした。可能性としては十分あったと思います。ここで「力を出し切ることができなかった」という意味では自分自身の力不足だと思っています。チャンスは何度もない。少ないチャンスを生かせる者だけが上につながっていけるのです。
現時点では自分自身なかなかフィールド種目に目が向いていないことを反省すべきかどうか考えています。もっとフィールド種目に目を向けて勉強していけば「可能性」というものをもっと見出すことができるかもしれない。私としてはまだ短距離種目の指導も十分できない(どのレベルで十分でないというのかは個人差)のに、ほかの種目に手を広げていくことがいいのかどうか分からないからです。跳躍系の不勉強は明確です。もっともっと勉強しなければいけない。そこまで視野を広げることのできない自分自身の考え方の狭さ。いいことではないですね。
「指導」というのはどの部分を見て言うのか?競技の指導だけでいいとは一切思いません。それ以外の部分がきちんとできなければどれだけ力があっても意味がない。これは私自身のエゴなのかもしれませんが。インターハイに行っても自分のことしかできない、挨拶もできない、集団行動ができないという選手を育ててしまえば「競技が終わったとき」に何も残りません。「競技で結果を残せばよい」というのであれば「薬物ドーピング」と大差ないと考えています。「結果」がすべてではない。外部から評価を受けるのは「結果」です。同じことをやっていても「結果」が出ればその部分だけに注目が集まる。「結果」が出せなければ一生懸命取り組んでいる選手の評価はされない。されてはいるのかもしれませんが。選手自身も周囲からの「評価」を受けるためにやっているわけではありません。
「結果」だけではない。が、「結果」は大切。技術云々ではない部分が選手の今後の人生を大きく左右するでしょう。それでも周囲は「結果」を求める。宮崎に行ったときに「指導を始めた時からスタンスは何も変わっていない。変わってくるのは周りの評価だけ。という話を聞きました。自分たちは何も変わっていない。タイミングよく「結果」がでたらそこから周囲の目が変わる。でも自分は何も変えない。時とともに少しずつ変化はしているが最優先は選手。この考え方について強く共感しました。それ以前もそのスタイルでやっていましたが、ここ最近は特にその思いが強くなっている。忘れたくない「想い」がそこにあります。一生懸命にやるから「結果」を出させてあげたい。しかし、そこだけが大事ではない。でも「結果」を無視した努力は存在しない。言葉遊びのようなところもありますが現実だと思っています。
何が書きたいのか?何が言いたいのか?よくわかりません(笑)。それでも書いておきたいなと感じたので記録しました。迷走してますかね?!(笑)