kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

話をする

2015-02-17 | 陸上競技
土曜日、午後の練習開始前に一人個別に話をしました。これまで何度も話をしてきましたがほとんど変化なし。強敵です・・・。実際、数人は変化らしきものが多少見られます。しかし、数人は「全く」と言っていいほどの変化なし。驚くべき状況だと思います。「変わりなさい」と言われても何をしていいのか分からないというのが実際のところなのかなという気もしています。これまでなんとなく考えずにやってきて大きな問題にはならなかった。だから今のままでいいやという感じがあるのだと思います。

正直、教育現場では細かいことを指摘しなくてもその場は回ります。授業中に周りに迷惑をかけずにきちんと座っておけば「真面目な子だ」という評価を受ける。特別何かするわけでなければ「普通」という目で見られて問題とはなりません。部活動で「気になるな」という選手がいて色々と相談すると「問題ない」という答えで終わってしまいます。このような書き方をすると問題なのかもしれませんが、実際問題それくらいの見方しかしていません。テレビドラマなどで「学園もの」が放送されます。詳しく見ることがないので評価はできませんが「熱血先生」みたいな「一緒にやろうよ」という人ばかりが働いているわけではありません。そんな学校があったら面倒で大変だと思います(笑)。実際に私がものすごく生徒を見ているのかと言われたら「?」という感じもあるでしょう。しかし、距離感は近いと勝手に思っています。特に部活であれば他の誰よりも見ていると思います。保護者よりも時間を共有することは多いでしょうし、「嫌なこと」「キツイこと」に直面している姿を見るのは圧倒的に多いと思います。だから気づくことも多い。

陸上競技部の卒業生は私のことを「怖い」と言います。高校時代に厳しく言われることが多かったからかもしれません。しかし、卒業した後は結構来てくれます。全く来ない子もいますが・・・。その時に必ずと言っていいほど「部活をやっていて良かった」という話をします。部活をやっていたから働いていて助かることがあると。これは「体力がある」という意味ではないと思います。「当たり前のことを当たり前にする」という基本的な部分を徹底していたからこそ分かるモノだと思います。土曜日に練習に来た卒業生は4人いました。1人は練習をしていましたが残りの3人は何かあったらサッと動いて準備をしたり、片づけをする。別にやる必要はないのです。自分が練習をするわけではないのですから。しかし、それが「当たり前」のようにできる。これが今の選手との「差」だと思っています。その「差」に気づけない者がいる。

どれだけ話をしても伝わらない。普通の生活であれば「もういいや」と思うでしょう。それでも「これが最後」と思いながら話をしています。なかなか伝わりません。今は周りが「言ってもできないから仕方ない」という感じで自分たちで動いたりします。任せずにやるという感じでしょうか。しかし、本当にそれでいいのか?決していいことではありません。次につながらないからです。その場で「誤魔化す」ことをやっても次の場面でも同じようなことが起きる。その時、また「仕方ないや」と思って先送りする。結局何も変わらずに進む。そして最後に取り返しのつかないミスを犯す。そうなる前に何ができるかを考えておかなければいけない。そう思っていますがそこもなかなか伝わりません。

「約束事」をする。「指導」をする。しかし、その効果が継続しない。数日たったらまた元に戻っている。これの繰り返しです。真剣に物事をとらえないという現状を打破できないのです。自分に必要だと思わなければどれだけ周りが言っても変わりません。ここが問題です。これまで何度も「約束」をしてきました。そのたびに忘れていく。それを「悪いことだ」と思わない。悪意があってやらないのではない。それは分かっています。が、それが本当にまかり通るのか?「わざとではない」と言えば何をやっても許されるのか?これは絶対に違うと思います。「ダメなものはダメだ」と教えていくことができて初めて色々なことが変わるのです。本人は「悪気はない」のです。それでもその行為が周囲にどのような迷惑をかけるのかを理解させなければいけない。ここまでしつこく指導する人がどれだけいるのか分かりません。私は必要なことだと思っています。

話をした後にトレーニングをしました。話をした選手とは別に「頑張りきれない」選手がいます。午前中はなんとか走っていましたがトレーニングになると・・・。これもしつこく言っていますが「自分はやっている」という感覚があるのでしょう。前日に少し話していてこれですからこちらも言うのが嫌になります。「指導者なのだから指導するのが当たり前」という批判もあるかもしれません。が、さすがに・・・です。きつくなると「それなりにやる」という選手をどう変えていけるのか?こちらから何もアプローチしていないのであれば「私の責任」です。それでもこちらは話をしています。あとどれくらい同じことを話し続ければできるようになるでしょうか。「最後までやりきる」という経験は大きな財産となります。しかし、「やったふりをする」というのは決していいことではありません。逆に問題が多い。やらなければいけないことを「誤魔化す」というのが習慣化すると「きつい時は適当にやっておけばよい」という考え方が強化されてしまいます。良いことではありません。

途中からこちらも言うのを止めました。言っても仕方ないという感じがあったからです。きついのは当然です。その中で自分自身の「弱さ」と向き合えないというのは良いことではない。県新人の前に「失格するだろうな」と思っていてリレーで失格をしました。痛い目にあった時に初めて気づくこともある。そう思っていましたが痛い目にあっても結局は何も変わりません。その後の大会で結果を出してしまえば「痛い目にあった」ことも忘れられてしまうのでしょうか。このままいくとそれなりの結果しか出せない気がします。情けない話ですが・・・。

全体として変化はあると思いますが数人の「責任感のなさ」が大きなマイナスポイントとして映ります。全体的に「必死になる」という部分と「何が何でも」という部分が足りないのは明らかです。何とかできるのでしょうか・・・。
コメント
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