自己満足に近いですが書いておきます。
前回、「足運び」について少し触れましたか構えをきちんと作ってからのスタート。実際、毎日スタブロからの出の練習ができるわけではありません。そうであれば普段から「構え」を作って「前足に力を入れる」というのを意識づけておく必要があると思います。この際の「前足の膝の角度」も重要。ワンハンドで体のラインを作ってから出るほうが効果的だと思っています。
教科書通りの表現をするとスタブロの構えの時に前足の膝の角度は「90度」、後ろ足の膝の角度は「130度」といわれます。前足の90度はかなり重要だと思います。この角度を作るためには後ろ足が伸びてしまうというのはありあえない。腰の位置が高くなりすぎるのも間違っていると思っています。
「足運び」とは少し違ってきますが。スタートの1歩目の「腰の移動」は水平方向が良いと思っています。後ろ足の膝の引き出しも締めて水平方向。「構え」の時から水平に膝が引き出されるのが理想かなと。これが上方向に上がってしまうと身体が起き上がる要因となります。力の方向が上になるので当然です。
同時に「構え」の腰の位置は重要だと思っています。「セット」の時の腰の位置は「1歩目」が接地する時の腰の位置と同じになる必要がある。膝の方向と腰の移動の方向は同じになるべきです。「構え」で窮屈になって腰の位置が高くなる選手がいます。100%の確率で1歩目の腰の位置が「構え」の位置よりも下がります。下方向に力が向かうことで1歩目で「潰れる」という状況になります。「潰れる」ことで流れが止まる。「リズム」が作れません。
また、腰の位置が低いというのもあります。「構え」を見ていると間違いなく「力が入っていないだろうな」という雰囲気が漂います。この状況で後ろから腰を引いてやると間違いなく手が浮いてきます。前足側に力が入っていないからです。前ブロックに力を加えていて後ろ足を引き出すことで重心が前に進む。あくまで「前足」は支点になるだけ。力を入れていることで「90度」の角度が変わらないため最大限の力が発揮できる。前足の「膝」を回転軸として腰の位置が進んでいくことができる。よくわからないかもしれませんが。
で、腰が水平方向に進めばロスなく進む。ここ重要なのが「足運び」だと思っています。「一歩目」が接地する角度。これが地面に対して脛の角度が「40~45度」くらいが理想だと思っています。これは「構え」の時の前足の脛の角度と同じです。この角度と上半身の角度が同じになる。この部分は「頭の重さ」で進むというのもあります。身体が起きてしまうと頭の位置と腰の位置が近くなるので「安定」につながってしまいます。重心が前にならないと加速段階では進まない。地面に力を加えるための角度が「脛の角度」が40~45度が一番かなと。構えの前足側と同じ角度で力を加える。「止まらない」と思います。
更に「1歩目」の接地した時の「膝の角度」は90度だと思っています。これも「構え」の時の「前足側」の角度と同じだと。身体の傾きがある程度あるのでその流れを変えないためには「角度」を保つ必要がある。膝の角度が「90度前後」にならなければ「潰れる」「起きる」という状況になります。「1歩目」の重要性はかなりのものだと思っています。
「1歩目」で地面に加える力の角度がどのようになっているか。ここが「着目点」だと考えています。もちろん、一瞬のことなのでしっかりと見極めるのは難しい。走りの中でその動きを身に付けるというのは簡単ではありません。だからこそ「タイヤ押し」できちんとした「足運び」を身に付けさせる。ここが重要だと思います。単純に「タイヤ押し」をするのではなく「足運び」を意識した「タイヤ押し」です。接地の角度や膝の角度を身に付ける。「タイヤ押し」はどこでもやる練習かもしれません。パワートレーニングではなく「技術トレーニング」としての「タイヤ押し」です。
押し切るのではなく「接地角度」を作る。押し切ると「接地角度」も「膝の角度」も変わってしまいます。前に進むのではなく「足運び」を身に付けさせるための練習です。速く進むと狙いが変わってしまうので丁寧にやる必要があります。
個人的には「タイヤ押し」と「腰押し」と「3歩」のマークを組み合わせるといいと思っています。長くなるのでとりあえずこんな感じで。余力があるときに「腰押し」と「3歩」のことも書いておきたいと思います。そのうち。
真面目な内容を。先日gt先生と走ることについて少し話したので。忘れないうちに記録しておきたいと思っています。
正直、「技術的なこと」に特化して練習するというのは微妙な気がしています。昨年1年間、様々な場所で多くの指導を見ました。よくわからないなと思う練習もあちこちで見かけます。しかし、そこに何かしらの「意味」があるのかもしれません。こればっかりは「分からない」ので否定はできないのかなと。
結局、何がよくて走れるのかは分かりません。走りを作って作ってというパターンもあります。この形だと「普通の選手が速くなる」というのがあります。元々速い選手は「進む」という能力が高いのでそこまで意識しなくても走れます。複雑な感覚を身に付けさせるというのは弊害があると思っています。できる限り「シンプル」にすることで「汎用性」が高まるかなと。これはあくまで私見ですが。
で、先日の試合の時にgt先生と「スタート局面」についての話をしました。先日、hoshoの時の練習計画を見せてもらいたいというのがあったので送っていました。そこに対しての意見交換です。表面的な話で誤魔化してもいいのですが(笑)。スタート局面をどのように身に付けさせるのかという話をかなりの時間しました。その時間にgt先生のところの選手が来たので実際に話を聞きながら。驚くこともありました。スタート局面についてどのように考えるかはやはり指導者次第なのかなと思っています。
実際の局面の話をするとあまりにもマニアックになります。そこまで考えてやる必要があるのかというのもあります。なんせ「速い者は速い」という部分があります。我々が教えなくても速い選手は存在します。とはいえ、「効率的に走る」という部分に関しては「速いから効率的か」という疑問があります。ここも考え方次第ですが。
スタートは「1歩目」のところ、「最初の5歩」の部分があります。これが「一次加速」なのかなと思っています。複雑に分類する必要があるのかどうかは分かりませんが。選手自身がすべてを理解するのは難しいと思います。「知識過剰」になって本当に理解せずに「それらしきこと」を言っているというのも散見します。別にどうでもいいですが。
スタートに関しては「0スタート」です。重心の移動が「0」のところから動き始めるので大きな力を必要とします。そのためには「構え」が重要になる。窮屈な構えになっていたり間延びするような構えになっていたりしたら力が加えられません。「スタブロの位置はゴールに近いほうが良い」という考え方があるというのを先日初めて知りました。その結果、腰の位置がかなり高くなるのだと思います。「スタートで何をするのか」というのがその考え方にあるのかどうかは不明ですが。
個人的には「ブロックに力を加える」ことが必要だと思っています。重心が動いていない状況の中で「動かし始める」というのは本当に難しいことです。「安定」している状況から「バランスを崩す」という部分もあります。が、この「崩し」というのはできる人にとってはできるかもしれません。が、大半の選手にとっては「分からない」のではないかなと思っています。感覚的な部分よりも「動き」の部分で伝えていくほうが良いのかなと考えています。何度も言いますが別に「正解」だとは思っていません。
構えたときに「前足側」に力を入れておく。私個人の考え方ですが「セット」の姿勢の時に「前足側に力を入れておく」ことが重要かなと。音が鳴ったら「後ろ足を前に出す」必要があります。「前足で押す」というのが必要ですが、「音」が鳴ってから前足側で押すと遅れるのではないかと思っています。「構え」の時に前足側に力を入れておいて、音が鳴ったら後ろ足を前に運ぶ。これにより結果的に「重心のずれ」が生まれて身体が前に進み始めます。「前足側」が支点になっていますから「後ろ足」が前に出ることで自然に身体が動きます。表現が難しいですが。
その時に重要になるのが「足運び」だと思っています。一歩目の膝の引き出しの角度によって進む方向が変わってきます。「足運び」に関しては徹底的にやる必要があると個人的には考えています。イメージ的には「前足」の膝が回転軸となり角度が変わらずに重心が動いていきます。そして前方向に引き出された膝は「スタブロ」で構えていた時から水平方向に進む。これで上方向になると身体が起きる要因になると思います。前足側の膝を回転軸として腰が進む。推進力を生み出すのは後ろ側の足です。
前側の足は「セット」の時点で力を加えていますから「蹴る」という動作にはならないと思います。スタブロに接地している部分が「支点」となって力を加えています。もうすでに十分な力を加えているのですから意識的には「後ろ足を前に」というだけで十分だという考え方です。もはやマニアックすぎて何の話か分からないと思いますが。
後ろ足の「足運び」が重要なのはこの局面で「膝が開く」ことになると1歩目で地面に力が加えられなくなるからです。地面に対して必要な角度で力を加えることで前に進めます。ここで開いてしまうと1歩目で止まってしまうことになる。前ブロックに対してできている「膝から下の角度」と同じような角度で地面に接地する必要がある。これにより「頭の重さ」を利用しながら重心が前にあるので進んでいけます。「身体が起きてはいけない」と言われますが。起きることで「地面に力を加える角度」ができなくなります。「膝が開く」というのはこの「地面に力を加える角度」が変わってしまうことを指しています。他にも「股関節」を支点とした「後ろ足の回転運動」に対して、小さければ回転スピードが上がるというのもあります。
一歩目の足運びだけで実はかなり細かいことがあります。もちろん、これをすべて理解してやるのは不可能だと思っています。だから「道具」や「マーク」などを使って「強制的に身に付けさせる」必要があると思っています。高校生に細かい部分をすべて理解してやるというのは無理。「知識過剰」となってしまい、形ばかりを意識することになります。これでは間違いなく結果にはつながらないかなと。ひたすら反復練習ができるくらいの忍耐力も必要になりますし。
何が書きたいのかよくわからなくなってきましたが。ちょっと真面目に数回に分けて書いてみようかなと思います。
こちらも思うがままに。
卒業生に対して「スプリント」を少し見させてもらいました。越権行為だと思っています。そのことに関しては監督さんに謝罪しました。本人が「何とかしたい」と思っていることに対して、少しでも力になれたらと思っています。これは「自己満足」だと思います。感覚的に確認をすること、崩れているであろう部分を修正することが少しできれば変わるのではないかと思っていたからです。
走れる選手は「進む能力」が高いと思います。元々それができる選手もいます。が、積み上げていってやっとできるという選手もいます。これまでの経験上、「圧倒的に速い」という選手は出会ったことはありません。不器用で上手くできないけど一生懸命やるという選手が多かった気がします。だからこそ時間をかけて取り組んでいくことで変化が生まれる。大人数の指導には向かないタイプのスタイルかなとは思っています。
で、本題。動きを見ていると「進みたい」というのが出てきます。そのため「膝締め」ができなくなる。欲張るので膝が開きます。膝が開くと「接地」の場所が前にずれる。さらにそれにより「足が遅れる」部分があります。kd先生が以前から言われていますが「重心移動のない中での感覚づくり」が重要だと思っています。私たちは「普通の選手」をどうすれば「強くできるか」を考えてやってきました。「普通の選手」が強くなる方法があれば「強い選手」はより強くなるのではないかと。ここも正解かどうかは分かりませんが、時間をかけて少しずつ移動ができればいいのかなと思っています。地味ですが。
やっている選手は一生懸命です。思い込みでやっていてもそれを一生懸命にやります。正確な動きではなくても一生懸命やる。今回動きを見ていた選手は監督さんからも「真面目によくやる」と評価をいただいていました。が、思い悩む部分が大きくなるので上手くいかない。これも性格だと思います。不器用なので多くのことを一度にやろうとすると失敗します。様々なベースが上がっているのは間違いない。普段の練習でやっていることは間違いなくレベルアップにつながっている。少しの「きっかけ」で何か変わるのではないかと思っています
「接地」と「切り替え」がずれている。それだけかなと思っていました。動画で何度か見ましたがやはり「目の前で見る」ことで課題が顕著になります。普段やっていることを大きく変えるとかは不要だと思っています。やっていることに「正確性」を加えるだけで動けるようになるのかなと。ベースアップしていると思うので「正確な動き」がどれだけできるのかだと思っています。
私は個人的に「確認」しながらやるのが好きです。やってみたときの感じがどうか。何か変化があるか。無理やり「良くなりました」と言わせる意味はありません。その選手にとって何がプラスになるのかを把握することが必要です。タイプもあります。真面目にやりすぎる選手に対して(これは他の選手に対しても同じではありますが)多くの情報を与えすぎるとよいことにはならない気がします。「新しい技術」とかではなく「基礎基本」に特化してやっていくことが一番の近道なのではないかと思います。
やはり「接地場所」と「切り替え」が重要なポイントだと思っています。ymd選手と少し話をしましたがヨンパをやるためには少し接地を長くしてストライドを伸ばします。決められた歩数で走らないといけないので「切り替え」の部分よりも「ストライド」が必要になる場面が多いからです。スイングのタイミングがほんの少し遅くなることで少し浮きながら走る感じになります。その部分も考えながら「接地」と「切り替え」を見ていく。多くのことを考えるのではなく「シンプル」に考えていくようにしたいと思っています。
どうしても「あれこれやりたい」という感じになります。が、たくさんのことを処理できる部分は少ないと思います。オリンピックに出場する選手の「感覚」を雑誌などで見ることもあります。が、それはその選手に「固有の感覚」だと思っています。それを真似てやれば速くなるというわけではない。最も重要な部分はシンプルに必要なことに特化することではないかなと思っています。難しい言葉を使うと「知っている人」みたいな評価を受けます。が、それを良いと思う指導者もいると思いますが、今の私にとってはそんな評価は一ミリも興味がない。大きな力を地面に伝えてその方向を変える。それだけではないかと思っています。
時間をかけて「重心移動が小さい」状況で足運びと接地のポジションを作る。少しずつ進んでいく。3か月くらいかけてやっていくことで自然に進めるようになると思います。「縦」の動きが「接地」の部分、「横」の動きが「切り替え」の部分かなと。「横」の動きになってくると「接地」がずれる。そのずれが速く走れない原因だと思っています。着目点だけはっきりさせれば実は誰にでも指導ができるのではないかと思っています。
「速く走る」ためには「進まない」という矛盾した内容になりますが。進もうとすればするほど動きが崩れます。さらには「加速段階」に動きに関しても「重要なポイント」があると考えています。ここの区間は「足運び」と「リズム」だと考えています。まーこんなマニアックな話を楽しく聞いてくれる人は少ないので。「スタート」について某大監督に聞かれました。そのチームの選手のスタートに関して聞くと「もはや1からやり直すほうが良い」という結論に。興味のないスプリント分野にまで手を伸ばそうとしている大監督に請われて教えに行けるというのはありがたいなと思います。
こういう部分に関しては「一切隠す必要はない」と思っています。持っているものをシンプルに伝えていくことが必要かなと。自分で持っていて秘密にするって意味がない。誰かに伝えてやってもらうことで初めて意味が出てきます。崩れた動きの要因は「接地」のずれと「切り替え」のタイミングであることが多いと思っています。今回指導させてもらったときには顕著にその部分でした。こういう機会は本当にありがたいなと思いますね。気持ちが乗ればまた書きたいとは思いますが。
その気になれば…ですが。
「幸せの青い鳥」という話があります。詳しい内容は割愛しますが、どこかにいるという「青い鳥」を探して回る。その「青い鳥」を見つけることで「幸せ」になれる。が、実際は遠くではなくすぐそばにその「青い鳥」が存在した、という感じの話です。
なんとなくこの話を思い出しました。「どこかにある幸せ」を求め続ける。が、結局はそんなものはない。「自分探しの旅」みたいな言葉が一時期流行りました。モラトリアムという部分もあったと思います。結局はどこに行ってもどこにいても「同じこと」なのだと。
親しい指導者と少し込み入った話をしました。正直、私自身も「変わっている」と自覚しています。その「変わっている」というのは「競技」に対して貪欲に考える部分です。そして「速くなりたい」と思う選手に対して最大限の成果を出させてあげたいというのもあります。これは「指導者」としての責務だと考えています。私自身は「幅」がない人間です。「やる」と決めたらやるほうがいいと思っています。中途半端に何かをするというのはこの上ないストレスになります。誰もが同じかもしれませんが。
話をした指導者も「変わっている」と思います。「突き詰めてやりたい」と思う部分に関して共有できる感覚があります。なんとなくやっているというのではない。相性は悪いかもしれませんが、考え方の根本にある部分は「同じ」だと思っています(笑)。だからこそ「今」について考えさせられます。これから先も「今」と同じことができるのか。できなくなる可能性は高いと思っています。
ある指導者から「選手がベストを出した」という報告をもらいました。別に何かをしているわけではありませんが。短距離の指導者ではないですが熱心さはある。とはいえ、短距離のことは分からないので「基礎トレーニング」「動きの基礎」と「短い距離の走練習」について話をして、直接指導もさせもらいました。その中で男子が「11秒台で走れた」という報告でした。11秒1を切るくらいでなければ中国大会には進めないと思います。その中で「11秒台が出た」ということに対して「どのような意味があるのか」と考えさせられます。
正直、「11秒台」では勝負にはなりません。が、「陸上競技」はそれだけではない。「勝つことを求めてやる」選手もいる。それを口にするならそれに見合うだけのことをやるべきだと思います。が、そうではなく「少しでも速くなりたい」という気持ちの中でやっている選手もいると思います。もちろん幅があります。本当はもっと上を狙えるけどある程度のことろで満足してる選手もいるでしょう。「IHに出場する」と口にしてもそれに見合うだけの「取り組み」や「意識」ではない選手もいるでしょう。それが「現実」だと思います。
「突き詰めてやる」ということに対しては私的には「当たり前」だと思っていますが、そうではない人たちのほうが多いのではないかと思っています。「異端」だという自覚はあります。だから競技のことに関して「本気」で話すことはほぼない。周りが引くからです。そんな中で何をするのか。「スプリントについて突き詰めたい」というのは常にあります。それができるのは大きなことなのかなと。
「やっていたことを続けていたらベストが出た」といわれる。前任校の選手が3年生になりしっかりと走れる。やっていることは1年次にやったことのみ。それを繰り返しやっているだけです。それでも飛躍的に記録が伸びる。もちろん、今の顧問の先生の理解と選手たちの本気度も大きく影響していると思います。それでも「戦える」という水準になることは「ベストを出す」というだけではない「面白さ」や「楽しさ」があります。自分がどこまでできるのかという「楽しさ」です。
そう考えると「高校の指導」という枠の中だけでやるって本当に自分の中で「楽しい」と思えるのかなというのがあります。高校時代に関わった選手たちが大学生や社会人になって戻ってくる。その中で「技術的な話」をすることができる。「もっとこうしたほうがいいのでは?」というのを理論的に話ができる。もちろん、競技レベルに合わせて求めることは違うと思います。それでも「陸上競技」が楽しめるのなと感じることが多くありました。
「今」ではなく「これから先」まで見ながら「システム」を考えるほうがいいのかなと思っています。本当に自分自身がやりたいことを模索しながらやっていけたらいいなと思っています。これまで学んできたことを生かせる場面がどれくらいあるのか。「部活動での指導」という枠の中でだけ考えるのではなく、社会体育としてかかわる部分も必要かなと強く感じるようになっています。
どこに正解があるのか分かりません。「青い鳥」を探していても見つからない。自分自身で切り開くことも必要なのかなと思っています。様々な要因を考えながら生きていきたいと思います。
まとまりませんが。思うがままに書いておきます。