「これでも詩かよ」第40番&ある晴れた日に第172回
だんだん寒くなってきたのだが、私が去年愛用した室内履きの片っぽうが出てこない。
妻が私の誕生祝いに贈ってくれた1万5千円もする、とても暖かな、シープスキンのはきものなのです。
しかし、探しても探しても、その室内履きは出てこない。
東京オリンピックの時にカナダの役員から貰ったかえでのバッジのように、
祖父の書斎にあった「切支丹鮮血遺書」の羊皮本のように、
嬰へ短調で鳴った戦前の独逸製のオルゴール時計のように、
亡くなった父の形見の皺皺の鞄のように、
その昔、神田千代田ホテルのロビーで門君が弾いたグランドピアノのように、
丹波の由良川で尻尾を小さく振って泳いでいた鰍のように、
寺山と四尾山の別れ道でふわりと浮かんでいたギフチョウのように、
弥仙山の頂上で僕らに飛びかかかった獰猛な蝮のように、
逗子河童大池の巨大ザリガニのように、
鎌倉天園のハイキングコースを、お母さんや兄弟たちと縦横無人に走り回っていた愛犬ムクのように、
三〇年前の花火大会の日に朝夷奈峠に消えた女子大生のように、
五年前、車椅子に乗ったまま姿を消した近所のおばさんのように、
私が愛していたあの室内履きは、きっと神隠しに遭ったのだろう。
トロイ戦争がきっと起こらないように、
ゴドーがきっと現れないように、
私の愛する室内履きは、きっと出てこないのでしょう。
己が仕えるリヴァイアサンの嚢中でいずれ消えてなくなるとはつゆ知らず秘密保持法に血道をあげる軍国主義者の右翼政府 蝶人