あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

「能を読む」第4巻「信行と世阿弥以後」を読んで

2013-10-04 09:54:30 | Weblog


照る日曇る日第626回


梅原猛、観世清和監修による「能を読む」シリーズの最終巻は、異類とスペクタルという副題が付けられているように、「風流能」を取り上げている。

能は観阿弥・世阿弥に代表される思弁的な問答劇である「劇能」を中心として発展してきたが、室町末期に入ると、世阿弥以後の観世信光、金春禅鳳、観世長俊らに代表される活劇チャンチャンバラバラ風の派手で歌舞伎的でもある「風流能」が人気を博するようになった。

本巻ではその信光の代表作である「安宅」「道成寺」「船弁慶」をはじめとする35作品に懇切丁寧な解説、詞章、注解、現代語訳が施されており、読むだけでその流麗な能舞台が脳裏におのずと立ち上がってくるような幻覚に襲われる。

この浩瀚な書物のちょうど真ん中へんには、あの有名な「羽衣」が置かれているが、たまたま私が、「東遊びの、数々に、東遊びの、数々に、その名も月の、色人は、三五夜中の、空にまた、満願円満、国土成就、七宝充満の、宝を降らし、国土にこれを、ほどこしたまふ」という終曲を黙読していたとき、まさしくそのくだりを、毎日毎日飽きもせず、いまから半世紀も前に、丹波の田舎町で、繰り返し繰り返し謡っていた祖父小太郎のその声音が、あざやかに蘇ってきたのだった。


          日月は短歌の日その他の日は短歌にあらざる日 蝶人



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