あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

野坂昭如著「絶筆」を読んで

2016-04-23 10:43:41 | Weblog


照る日曇る日第859回



 2004年から2015年12月9日までの著者の日記を主軸にいくつかのエッセイを加えた文字通りの「絶筆」である。

 日記は自分が自分の為だけに書く非公開のものと、本書のように公開が前提になったものとに大きくは分かれるが、これはもちろん後者であるから読者を楽しませようとして書かれているのだが、読んでもあまり面白くないのはなぜだろう。

 ひとつには2003年5月、72歳のみぎりに脳梗塞で倒れた後遺症の影響がある。気力体力生命力が次第に減退しているし、もはや自分で鉛筆を握れず口述筆記にせざるを得なくなれば、表現の振幅も微妙なニュアンスにも事欠くようになるだろう。荷風だってそうだった。

 内容的にはやはり自身の健康問題や昔話が大きなウエイトを占めているが、敗戦前後の悲惨な実体験に基づく昨今の混迷する政治経済社会状況への批判、特に食や農業の危機への警鐘は胸を正して傾聴するに値する。

 著者ほどTPPが亡国への一本道であることを熱烈に説き続けた論客は誰もいないだろう。原発や安倍蚤糞についてははじめは処女の如く、終わりは脱兎のごとく脱原発、反国家主義に左担してゆく変容が興味深く、死の数時間前の文字通りの絶筆とは次のようなものであった。

「この国に、戦前がひたひたと迫っていることは確かだろう」。

 さうして、「僕はつまるところ、反戦芸人なのだ。心休まる平和な時代にあってこそ価値がある。しかし、いざ戦争になれば、たちまち旗を振って戦争芸人になるかもしれない」という醒めた自己認識こそ、野坂昭如の真骨頂というべきだろう。


  熊本では水下着紙おむつ生理用品が不足している一刻も早くなんとかせよ 蝶人

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