あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

ジョン・フォード監督の「荒野の決闘」をみて

2016-04-18 14:08:21 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.1004



なぜドクがアープに加勢するのか、どういう経緯や証拠をもってクランクトン一家の略奪や殺人がアープに知れたのか、なぜアープはあれほど急速にドクの元恋人に惹かれていったのか、肝心の決闘シーンで誰が誰をどのように殺したのか、などがよく分からないまま、各シーケンスがどんどんブツ切りされ、唐突にヒーローとヒロインが別れてゆく奇妙な西部劇である。

つとに知られているように、これはジョン・フォードの作品ではなく実際は製作者ダリル・F・ザナックの作品といえよう。

20世紀フォックスの帝王として長く君臨したこの偉大なプロデューサーは、ジョン・フォードが撮影し編集したフィルムを自分勝手に切り刻み、場合によっては、この作品のように、別の監督に新たなシーンを撮影させていたのである。

しかしそれが作品を台無しにしているかというと必ずしもそうではない。ジョン・フォードの映画は、ともすると長くなり編集が冗長に陥る欠点があったが、どんな映画も1時間半以内に収めることを好むこのワンマンは、情緒纏綿たる女性的なモードを嫌ってエッジの効いた男性的なカットを施し、それが独特の抒情とカッコよさを生みだした。

ジョン・フォードにとっては恐らく不本意で屈辱的な本作が、彼の最高傑作と称される皮肉と矛盾の真因がそこにある。

なお、原題は「荒野の決闘」ではなく「いとしのクレメンタイン」なのでそうすべきだろう。


  新幹線飛行機水道ガス電気全部止まれど原発止めず  蝶人
コメント
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