蝶人物見遊山記第201回
若冲をはじめてみたのはもう半世紀近く前に皇居内の宮内庁三の丸尚蔵館で「動植綵絵」の幾幅かの前に立ったときで、こんな華麗な雄鶏や雌鶏がいるものかと文字通り目がくらくらするほど驚愕した。
その構図の大胆にして色彩の光彩陸離たること、この連作に匹敵するものはいまもってないだろう。あれで私の江戸絵画にたいする認識は一変した。
三の丸尚蔵館は素敵な場所にあるが、なんせ狭いので展示される作品は限られている。その若冲の「動植綵絵」の全三〇幅が一同の元に会するこの展示会に足を運んで痛感したのは、(そのいささかの褪色の悲傷を除けば)、全編にみなぎる自由奔放の悦びであった。
若冲は鶏や犬猫や昆虫や花や木や魚が大好きであり、その大好きな草木虫魚を描くことが楽しくて楽しくて仕方がないのだ。
そういう若冲の楽しい絵を眺めていると、その晴れやかな幸福感がこちらの閉塞して陰鬱な五感にまで乗り移って、山川草木悉皆成仏の祈り、というより、現世に生きてあることの悦びが、胸の奥からふつふつと湧き起こってくるのである。
じつに有難く得難い絵描きである。相国寺の「釈迦三尊像」なんて、まるでウォーホルよりもポップでカジュアルではあーりませんか。
この絵筆の喜悦は、その技法の試行錯誤と冒険(「石灯籠図屏風」「鳥獣花木図屏風」における点描は、仏印象派のスーラに先駆けることおよそ1世紀!)と共に作家の生涯にわたって持続し、百獣が百歌と歓喜に満ちて争鳴する「鳥獣花木図屏風」では、その極点に達しているようだ。
余談ながら、「葉蟲譜」が重要文化財なら、「動植綵絵」や「象と鯨図屏風」「鳥獣花木図屏風」は少なくとも国宝に相当すると思うのだが、どうも文化庁の役人どもの目は節穴ばかりのようである。
なお「動植綵絵」を精密な動植物図鑑に見立てて鑑賞するひともいるが、それは間違っている。例えば「動植綵絵」の「芍薬群蝶図」ではクロアゲハ、モンキアゲハ、モンシロチョウなど数種類の初夏の蝶が群舞しているが、一部のシジミチョウはその品種が判別できないくらい曖昧に描かれているし、アオスジアゲハには実際にはない尾状突起がついている。
若冲の「動植綵絵」に牧野植物図鑑の精確を求めてはならない。若冲は素材の採集にもとずく科学的な観察と写生より、「夢見るように美しいチョウ」の描出に異様なまでの情熱を注いだのである。
最後に本展では初めて彼の淡彩画の傑作「月に叭々鳥図」に出会い衝撃を受けたり、見知らぬ版画作品や素朴な伏見人形に俄かに愛着を覚えたりしたのであった。
なお本展は、来る5月24日まで連日満員御礼公開ちう。
なにゆえにアオスジアゲハに尻尾がない若冲は昆虫採集をしなかった 蝶人