照る日曇る日第856回
「こんな夢を見た。」で始まる10の夢をあつめた有名な短編である。
第1夜は幻想美と宇宙的な神秘に満ちている。
「自分」の目の前で蒼白な頬の美女が「大きな真珠貝で穴を掘って天から落ちてくる星の欠片を墓標にした傍で待っていて下さい」と遺言して死んでゆく。
苔の上で大きな赤い日が一つ、二つと西に落ちるのを勘定している「自分」。
やがて石の下から青い茎が伸びてきて真っ白な百合の花が「鼻の先で骨に徹えるほど」匂い、花瓣に接吻した途端に暁の星が瞬き、「百年もう来ていたんだな」と初めて気づく。浪漫の極致とはこれであろう。
第2夜はいくら頑張っても悟れない侍の苦労を描くが、これは漱石の帰源院参禅体験が反映している。
第3夜は背中に負うた子と、その子を百年前に殺した父親の対話で進行する不気味な夢で、「おれは人殺であったんだ」と父親が初めて気づいた途端に子が「石地蔵のように」重くなる。読む者の心中をひやりとさせるホラーだ。
第4夜は「今になる、蛇になる、きっとなる、笛が鳴る」と唄う謎の爺さんを「自分」が追うが手拭はついに蛇にはならない。
第5夜は囚われの身になった「自分」が敵に殺される前に恋人に会うことを許される。女は白い裸馬に跨って全速力で駆けつけるが、天の邪鬼が偽の鶏の鬨を真似たために落馬して深い淵に消える。凄絶な幕切れが印象的だ。
第6夜は彫刻しているのではなく、木の中に埋まっている仁王を彫り出している運慶の凄さに気づく話。ロダンにもそんな話があったようだ。
第7夜は船から飛び降りて自殺することに決めた「自分」がスローモーションで黒い海へ落下して行きながら、「やっぱり乗っている方がよかったと始めて悟」る話。「自分」は「その悟りを利用する事が出来ずに、無限の後悔と恐怖とを抱いて黒い波の方へ静かに落ちて行った」。ぞっとするほど怖い。
第8夜は散髪中の「自分」が鏡の隅で立膝をしたまま札束を勘定している銀杏返し女を見たはずだが、振り返ると誰もいないという白昼夢。銀杏返し女も漱石の思い人の一人だろう。
第9夜は、家出してしまった夫の帰りを毎晩お百度参りして待つ母親の話。しかし「夜の目も寝ずに心配していた父は、とくの昔に浪士のために殺されていたのである」。
第10夜は謎の女に誘拐された庄太郎が豚に舐められて奇跡の生還を果たしたが息絶えてゆく切ない話。舐められるとヤバイと知っている庄太郎は断崖絶壁に次々に押し寄せる幾万匹の豚の鼻頭を濱樃樹の洋杖で七日六晩叩いたが、とうとう精根尽きて舐められてしまったのである。怖さとユーモアの共存。
このように1話ずつ振り返ってみると1夜、3夜、5夜、7夜、10夜、とりわけ初夜の夢の中身の切なさが、いつまでも胸を打つようである。
私もふと思い立って、三年前の正月から毎日毎晩の夢日記をつけているけれど、その夢の深さは到底漱石に及ばないずら。
春蘭を掘りオオルリの雛を盗む者に禍あれ 蝶人