あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

夢は第2の人生である 第38回 

2016-12-05 10:08:40 | Weblog


西暦2015年睦月蝶人酔生夢死幾百夜


同期入社の伊藤君を久しぶりに訪ねたところ、私と入れちがいに工場から飛び出してきた男がいた。そいつを追いかけながら「ドロボー、ドロボー、機密書類のドロボーめえ!」と怒鳴っている男をよく見ると、伊藤君だった。1/1

私は、次から次へといろんな薬を飲んだ。1/2

原稿の校正をしていると、知らない間に年配の女性が目の前に立って私の方を見ている。何の用だろう、それにしてもどうして何も言わないんだろう、と訝しく思っていると、日本広告のヨシハラさんが、「君、ササキさんに挨拶くらいしたらどうなんだ」と詰った。1/4

しかし彼女は相変わらず一語も発しないで、こちらをじっと窺っているばかりだ。すると吉原さんが、声をひそめて「実は彼女はもうだいぶ前に死んでいるんですが、時々こうやっていろんなところに現われ出るので、我われとしても困っているんですよ」と云ったので驚いた。1/4

久しぶりに詩を書いたのだが、途中で難航したので、どこかの誰かの詩を引用したら、これが渡りに船というやつで、次から次に自在な展開が可能になったので病みつきになり、いつもこの手法を活用していたら、いつしか自分の詩が書けなくなってしまった。1/5

展示会を開催するのをすっかり忘れていたので、焦り狂って四方をかけずり回っているうちに、尿意を催したのでトイレに飛び込んだら、そこはなんと巨大な美容院だったが、便器に似た丸いボールがいくつもぶら下っていたので、そこにオシッコをしようとしたら怒られたので、また外に飛び出した。1/6

善戦虚しく最後の決戦に敗れた我われは、村の外れにある一軒の農家に入り、傷ついた身を労わりながら、最後の一献を汲みかわしていたが、誰も「腹を切ろう」と言いだそうとはしなかった。恐ろしかったのだ。まだ死にたくなかったのだ。1/7

運動と闘争に敗れ去ると、定番のザセツの季節がやってきて、我われは所属するグループ別に、さながら動物園の猿のように、お互いを労わりあい、舐めあっていたのだが、広瀬さんだけは、それらの属を超えて、慈愛に満ちた眼で我らを見つめていた。1/7

飛行機から降りて飛行場を出ようとしたら、大勢の人々が待ちかまえていたので、急遽裏口に回ったのだが。なぜだか吉村さんが後を追ってくるので、引き離そうとどんどん走っていたら、いつのまにか道がなくなって、広い河原に出てしまった。1/9

仕方なく、巨大な岩石がごろごろしている河原を歩き続けているのだが、行けども行けどもいっこうに町が見えてこない。そのうちに夜になってしまったので、持参していたテントを張って、その中で眠ってしまった。

ふと目覚めると、なにか異様な物音がする。ゴウゴウというそれは、たぶん水音だ。これはいかん、このままでは洪水に押し流されてしまう、と思いつつも、これはきっと夢なのだろう、きっとそうに違いないと思い、私はまた眠りこけてしまった。1/9

今夜もバスターミナルへ行くと、門と佐藤が来ていた。出発時間はまだだが、超満員の長距離バスなので、だんだん暑くなってくる。上着を脱いで水を飲んでいると、車内にたくさんの白い鳩が迷い込んできたが、屋根が開けないので、大混乱が始まった。1/10

バスから飛び降りて暫く歩いていると、伝兵衛の家に辿りついたので、私は手に持った火を藁葺きの家に投げ込むと、家は一気に燃え上がった。1/10

外国の服を買おうと、カタログをパラパラめくっていたら、甘い香りのする若くて綺麗な女の子が傍にいて、同じページを覗きこんだ。1/11

村の寄合が終ったので、公民館から帰ろうとしていたら、おばあさんを連れた女の子から
「夜道は不案内なので、私たちと一緒に帰ってくれませんか」と頼まれたので、その顔を良く見ると、昼間の若くて綺麗な女の子だった。

二つ返事で引き受け、いろいろ際どい話もしながら家まで送り届けたのだが、おばあさんは御礼の一言も言わずに私を睨みつけるので、その顔をよく見ると、義母だった。1/11

障がい施設の子供たちが、先生に率いられて町の通りを散歩していた。その中に私の子供を見つけたので、最後列を一緒に歩いていたら、おまわりから「こらこら、なにをしとるんじゃ」と怒られてしまった。1/12

初めての大学での初めての授業なので、念のために2時間前から予習しながらスタンバッっていたのだが、もう準備万端整った、と思ったので、見知らぬ夜の街に出て、とあるカフェでノンアルコールビールを口にした途端、その場で気を失って倒れてしまった。実は普通のビールだったのだ。1/13

私はアルコール過敏症で、2002年の5月にも神戸で救急車で担ぎ込まれたことがあり、以来一切酒類は避けてきたのだが、またしても不覚をとってしまった。気がつけば吉田君が「大丈夫?」と心配そうに覗きこんだので、「うん、少し良くなった」と答えた。

私が「すぐに大学に戻らなくちゃ。いま何時?」と尋ねると、「7時10分だ」という返事。「しまった10分も遅れてしまった。30分までに戻らないと休講になっってしまう。ヤバイ。私がフラフラ立ちあがると、吉田君は「自転車が2台あるから大丈夫さ」と請け合った。

「僕が先導するから君は後からついて来たまえ」と云うので、言われるがままに暗い夜道を走っていると、昭和30年代の京都のような、賑やかだけれど寂しい駅前に着いた。ここはいったいどこなんだろう? 大学はどっちなんだろう? ときょろきょろあたりを見回したが、肝心の吉田君の姿はどこにも見当たらない。1/13

高くて大きな家からボヤが出た。家主が寝巻のままで門の外に出て、心配そうな顔をしているので、私が「もう大丈夫。もうすぐ鎮火するでしょう」というと「そうかなあ。さっき消防を呼んだけど、まだ来ないんだよ村田君」という。「村田じゃないよ、佐々木だよ」といおうと思ったのだが、どうしてだか私は黙っていた。1/14

建築学部の地下へどんどん降りていくと、ひどくぬかるんでいたので、磨きたての靴がずぶずぶ水たまりに沈んでいくのだが、そんなことは気にしないでさらに地下室の地下へと降りてゆくと、ヤクザのような若者が、紅いベベを着た少女をずぶずぶ犯していた。

その傍らには大勢の男女が、盛りのついた猿のように性交しているので、いたたまれなくなった私は、仕方なくもと来た階段を登って建築学部の外に出ると、商店やレストランが軒を並べている駅前広場に出た。1/14

我われは、野戦より籠城を選んだ。全員が城の中に入って、すべての戸や窓を閉ざすと、真っ暗になった。1/15

東京港区の愛宕山に行った。男坂天下の名馬「松風」に跨った私は、一気に男坂のてっぺんまで駆け上がると、お椀の頭をした詩句たちが「オイッチニ、オイッチニ、ソネットを作ろ、ソネットを作ろ」と掛け声をかけながら、一列横隊で急峻な階段を登ってくるのが見えた。1/18

そこで私は次から次へとうじゃうじゃ登ってくる詩句たちの間に、4列/4列/3列/3列の輪割れ目をガッツリ入れて、念願のソネットを作ることに成功したので、「エイエイオウ、エイエイオウ!」と勝ち閧を上げた。1/18

既に戦争が始まっていることを知っていた私は、できるだけ味方に近い敵の領地に向かって移動しながら、脱出の機会をうかがっていた。1/19

私はずっとNYのチェルシーホテルで暮らしていたが、そこへ友人のQが転がり込んできた。Qはそれまで何をしていたのか遂に語らなかったが、まるでずぶぬれの負け犬のような風体でベッドの上をごろごろしていた。1/20

ある日、私は町で乞食のような痩せこけた女と知り合ったが、どこへ行く宛てもないというので、チェルシーホテルの私の部屋に連れてきた。得体のしれない男女3人の共同生活が始まったというわけだ。

それから数日して私が外出から帰ってくると、ベッドの上でQと女がファックしていた。彼らは私が帰宅したと知りながら、猛烈なファックを止めようとはしなかったので、私はそのままチェルシーを出て、二度と戻らなかった。

それから、長い歳月が流れた。私は、その間にようやく乱れ切った自分と生活を立て直し、新しい仕事と人世を取り戻していたのだが、ある日突然思い立って、あのチェルシーホテルの懐かしい部屋を訪れたが、彼らの姿はなく、老いたカンボジア人が一人で住んでいた。1/20

「ヒエーー、助けてーー、わたしまだ死にたくない!」と大声で助けを求めて大暴れする大きな黄色い蝶のぶっとい胸を、左手の親指と人差し指で挟んで、うんとこさ力を入れながら圧し続けて、私はとうとう殺してしまった。1/21

L社の商品企画会議に出席を求められたので、遠路はるばる出かけると、室長が新製品の試作品を私に示して「これで行きたいのです」という。見ればそれは、何の変哲もない2枚のポリウレタンだった。1/22

「従来は白だったが、今度の新製品は、同じ素材を茶色に変える。要するに色変わりですな。大変結構」というと、同席していた20人ほどの連中が、一斉にぞろぞろ退席していく。残ったのは、私と室長だけだった。1/22

私は映画「新・気狂いピエロ」の演出を頼まれた。富める貴族と貧しい不可触選民が、2時間にわたって大殺戮を続ける日仏英米合作映画である。1/23

私の家の中では、夏だけでなく、冬になっても部屋の中を飛び回れるので、快適だった。パソコンの画面上の点点は、たちまち羽虫になって、部屋の中を私と一緒に飛びまわるのだ。1/24

夜中に駅に停車している電車に戻ってくると、ほとんどの連中がまだ起きていた。私は荷物を中央駅に預けたままだったので、明日列車が出発するまでに取ってきたいと思ったが、相談するべき駅員はどこにもいない代わりに、大勢のロシア人たちがラアラア騒いでいた。1/25

某国から、着のみ着のままのヴァイオリニストが亡命してきた。彼女はコンサートを開くときには、草の上に置かれた風呂敷包みの中から、とても小さなヴァイオリンを出して演奏するのだった。1/26

私は早撮りで有名なちゃらい監督だったので、撮影寸前や直後の妖艶な女優をいきなりその場に押し倒し、素早く事を済ませてから、何食わぬ顔をしてカチンコを叩いていた。1/29

蓮池君が、浅草の問屋で大量のおかきやせんべいを買い込んでいるので、「君はこれを餌にして魚釣りをするんだろう?」と尋ねたら、「とんでもない、これは自分で食べるんです」と答えた。1/30

私は打ち合わせに出ようとこの会場にやってきたが、どの部屋も大勢の人でいっぱいだ。その会合で私は、「なんたらフェア」について説明するように頼まれているのだが、その内容については、なにも知らないことに気付いた。1/31

これはヤバイと思って、私の仕事を依頼した人物を探して会場の中を走り回っていると、突然知らない人物から携帯に電話が掛かって来て、「至急お目にかかりたい」という。「今取り込み中だから後にしてくれ」と言うのだが、しつこくせがむので、私はだんだん頭に来た。1/31

インディペンデント映画館が減っているのはインディペンデント映画を愛するインディペンデントな人が減っているから 蝶人


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