照る日曇る日 第918回
記紀などと称して「古事記」と「日本書紀」の中身を一体化させる読み方に異議を唱え、警告を発した著者が今度は列島の古代史研究に欠かせない「風土記」を俎上に乗せておいしく調理した興味深い新書本である。
風土記はおそらく各国で作成されたのだろうが、現存するのかそのうちの5カ国といくつかの国の逸文のみである。しかしそのうちで「常陸国風土記」は「日本書紀」成立以前に完成されたものであり、本邦の歴史が中央権力である大和王朝による正史「日本書紀」に統合される以前の地方史や地方からの歴史認識の消息が窺える点が興味深い。
例えば「古事記」では倭建命、「日本書紀」では日本武尊と称される夭折した御子(皇子)は「常陸国風土記」では「倭武天皇」として登場している。7世紀後半成立の「古事記」ではヤマトタケルは悲劇の英雄であり、8世紀初めの「日本書紀」でそのことが追認されるが、それ以前のヤマトタケルは正規の天皇として位置づけられていたことを「常陸国風土記」は証明しているのである。
ところで、いまも昔も、アユ釣りの釣り針にはふつうのそれと違って「もどり」がないそうだ。「もどり」がないと釣った魚が逃げやすいのだが、著者によれば「肥前国風土記」にも「日本書紀にも「もどり」のない針で釣れと記されているという。
ではなぜそうなのか、その起源はどこにあるのか?
昔アユ釣りは占いに活用されていたというから、古代からのその伝統がいまなお息づいているのだろうか。
PPTPTPどっちがどっちだか知らないがそのPTPに私は反対 蝶人