照る日曇る日第975回

桑原正彦画伯の手になる柔らかな佇まいの表紙を開くやいなや、たちまち作者が愛してやまない故郷の海の光景が広がってきます。
青空を飛ぶ雲、寄せては返す波の音……
白い渦が泡立つ浜辺からは、磯ヒヨドリやカモメたちの鳴き声が聞こえてきます。
愛犬モコと一緒にそれらに見入り、大いなるものと一体になっている作者は、もしかするとこの世の人ではないかもしれません。
自然と永遠に溶け込んでいる存在、実在と非在を行き来する夢幻のような存在、作者の言葉を借りれば、「この世の果てを生きるしかない」存在かもしれません。
ふだん一個の生活者として暮らしている私たちは、言葉を持たない。
持たないけれど、四六時ちゅう、「ない」言葉を発している。
人間界も自然界も、全世界が「ない言葉」で満ち満ちている。
その「ないはずの言葉」にじっと耳を傾け、観取し、共感し、随伴する言葉を発する人が、さとう三千魚という詩人なのでしょう。
中原中也には「言葉なき歌」という詩があり、メンデルスゾーンにも同名のピアノ作品がありますが、この詩集のいたるところから聞こえてくるのは、作者みずからが言う「コトバのないコトバ」、言葉以前の言葉、言葉の果ての言葉、なのです。
それはさておき、今度の詩集には楽しい仕掛けと言葉遊びがちりばめられています。
まず、日付のある日録ドキュメンタリー風の展開です。
かんなくずを削るように、「日にひとつのコトバを語ろう」と作者は言うのです。
次に作者が採用したのは、なんとツイッターの「楽しい基礎英単語」から自由に引用されたさまざまな英単語を枕詞にして、そこからおのずと引き出される思い出や森羅万象への想念を、間髪を容れず即興的に書き綴るという大胆不敵なライヴポエム手法でした。
またこの詩集の巻末にはアルファベット順の表題リストと索引まで備え付けられ、読者の閲覧の便を図っていますが、こんなに分厚いのに超軽い! しかも「索引付きの詩集」なんてギネス物ではないでしょうか?
試写会で淀長さんが座るのは最前列左端と決まっていたサヨナラサヨナラサヨウナラ 蝶人