蝶人物見遊山記第250回
はじめての「若手会」であったが、これは東西で年二回開催されているらしい。登場するのは若者が主体だが、中堅どころも出ているようです。
前半の「寿柱立万歳」は常磐津節の「乗合船恵方万歳」の一節を義太夫節に移した祝儀曲と書いてありましたが、まあ2人の三河漫才師が祝いの歌を歌って踊る1幕で、どうということもない。
次がメインの「菅原伝授手習鑑」です。おなじみの「車曳の段」、「寺入りの段」「寺子屋の段」の3幕であったが、名作の名舞台にもかかわらずさしたる感興が盛り上がらない。
周知のごとく「寺子屋の段」の最大の泣かせどころは、菅秀才の身代りにわが子小太郎の首を差し出した松王丸の泣き笑いである。息子が逃げ隠れもせずに、「潔う首差し延べ、にっこりと笑うて」死んだ、と首をはねた武部源蔵から聞いた松王丸が、
「ナニにっこりと笑ひましたか、アノ笑ひ、アハヽヽヽアハヽヽヽハヽヽハヽヽハヽヽハヽヽムヽアハヽヽヽ。でかしおりました。利口な奴、立派な奴、健気な八つや九つで親に代わって恩送り。(中略)」
と独白する名場面ですが、豊澤龍爾の三味線はともかく竹希太夫の語りがうわっつらを撫でるのみなので、いくら人形の吉田蓑太郎が目を向いても観客は鼻白むばかり。
こういう肝心要の急所で、若手は海千山千のてだれの師匠たちに一籌を輸することになるのです。
こんな無様な芝居を見せられるくらいなら、まだ家で原文を読んでいただけのほうがずんと泣けるぜとばかりに、わたくしめは録画しておいた豊竹咲太夫&鶴澤燕三の「寺子屋の段」でたんと口直しをしたことでした。
自民党も藤井4段も完敗すこの2つ何の関係もないけれど 蝶人