あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

窪田政男著「汀の時」を読んで

2017-07-12 17:20:11 | Weblog


照る日曇る日第977回


半透明の帯に縦長で「シュメールの忘れ去られた猫のよう青い眼の咲く日暮れがくるの」という代表歌が記された、今年六二歳になる作者による第一歌集を拝読しました。

神戸在住の作者は、「アルコール依存、骨髄増殖性潰瘍と不治の病を二ついただく」という歌にあるような難儀と、長らく戦い続けてこられた方らしい。

岡部隆志氏の解説によると、作者は四九歳の頃にアルコール依存症の治療を始め、福島泰樹氏の歌集「風に献ず」に天啓を受け、自分の暗澹たる心を見つめるために五一歳から短歌を始めたそうですが、「終活のひとつにせんとS席のキース・ジャレットをいちまい求む」というような歌を読むと、その暗澹との戦いの激烈さと悲壮に胸を打たれます。

おそらく「汀の時」というタイトルは、生と死の汀、それも限りなく死に近い汀における生き胆のやり取りを、なんとか生存の証としての歌に刻もうとしての命名と思われます。

作者自ら歌うように、「そう、たとえば机のうえのノートにもはにかむような血の痕が」あるのです。

面白いことに、この歌集は創作年代の逆順に並べてあります。
つまり冒頭から前半で最近作が読めるのですが、興味深いことに旧作よりも表現が平明になりつつも、内容に滋味が深まりつつあるような気がするのです。

そんな屁理屈を並べてても旗本退屈男でしょうから、以下に私が気に入った作品を無断で7つご紹介いたしましょう。

舌を垂れ涎を垂れて犬のごと上目遣いのいち日のあり
もう一度ひるがえる旗たれのため死ねと言うのか誇りにまみれ
いやそれはどうでもいいのさ生きている生きていないの以外のことなど
西日入るキッッチんンごろんとわたくしの半生がうち捨てられてある
これからは腹話術の時代がくるよわたしでもないあなたでもない
臆病なおとこでいたし八月の空より青く迫りくるもの
ああ五月きみシシュポスの風の吹くたれのためにぞ揺れる雛罌粟

最後のは、私の大好きな与謝野晶子の「ああ皐月 仏蘭西の野は 火の色す 君も雛罌粟 われも雛罌粟」にカミュとヘミングウエイをちょっとスパイスした本歌取りですが、私は作者のこういう軽妙な機智とロマネスクも大好きなのです。

もしかすると作者は、疾風怒濤、泥濘忍辱、臥薪嘗胆の後退戦に際どいところで勝ちを拾い、血まみれの汀から安息の彼方へと逃れようとしているのかもしれません。


  それでもなお3割超の愚か者が億面もなく支える安倍蚤糞政権 蝶人



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