蝶人物見遊山 第265回
いつものように、泰西名画をうやうやしく観賞するていの、普通の展覧会、ではない。
かわりに、葛飾北斎の「北斎漫画」を左に、それを模したと思しきおふらんすの作品を右に並べて、「さあどうだ、おらっちが誇る純国産の大家、北斎はんは、先進国の西洋諸国に古今未曾有の圧倒的な影響を与えたんだ。どうだ凄いだろう。ざまみろ」と自慢しているような奇妙奇天烈な展覧会。
個々の作品の芸術的な素晴らしさなんか、はじめからしまいまで出る幕がないという異常さである。
確かに北斎を先頭とする江戸時代の浮世絵作家の作品は、ゴッホやモネ、ドガなどの絵画をはじめ、ガレの工芸品などにも大きな衝撃と影響を及ぼしたが、それをまるで国際犯罪捜査の収穫品のように得意そうに見せつけるやりかたに、なにやら明治以来の西洋コンプレックスの裏返しのような隠微なカオスを感じた。
なかには北斎の「凱風快晴」とウイーンの「アン・デア・ウイーン劇場の屋根」の絵を並べて、「「まだら雲」と「まだら雪」がそっくりだろう」と自慢したり、セザンヌのサント=ビクトワール山と北斎の富嶽を並べて、「どうだ似てるだろう」とやったり、ほとんど牽強付会すれすれの展示物まで登場するので、「その嘘ほんまかいな」と思わず眉に唾してしまった次第である。
都美術館といい本館といい、上野の森は空前のジャポニスムブームで恐れ入谷の鬼子母神。確かに19世紀の後半に印象派の画家などを中心に時ならぬ日本ブームが巻き起こったのは美術史上の事実だが、それはほんのいっときのうたかたの夢のごときものであり、後期印象派がすたれて表現主義などの新潮流が台頭してくると、ジャポンのジャの字も出てこなくなった。
それなのに140年も経ってから、ジャポニスム、ジャポニスムと鬼の首でも取ったようにらあらあと騒ぎ立てるのは、昨今の安倍蚤糞の危険な愛国主義に棹差そうとでもいうのであろうか。こんないっけんアカデミックでその実無内容で時代錯誤な凡企画に比べたら、御近所の美術館でやっている「怖い絵」展のほうが、はるかにまともでましな企画と思えるのだが、馬渕館長はん、大丈夫でっか?
なお本展は来年1月28日まで開催中。
結局は「どちらともえいえない30%」が政治を決めているのかも知れない 蝶人