照る日曇る日第1136回

愛猫との運命的な出会いとその後を感動的に描いた「生きる歓び」、「ハレルヤ」とほか2作。その中で「こことよそ」は、谷崎潤一郎全集の月報のためのエッセイを求めらたことをきっかけに、谷崎の「異端者の悲しみ」や坂口安吾の「暗い青春・魔の退屈」、尾辻克彦の「雪野」、尾崎という亡き旧友、その必要もないのにいったん自転車で海のほうへ出てから鎌倉の交差点で軽自動車とぶつかって死んだ父の思い出などが、脈絡もなく、いな、著者の脳裏に浮かぶ想念の自然の経路を時空を超えて丁寧に辿られていく。
その最後の数行を引用しよう。
「いまこうして他に選びようもなくなった人生とまったく別の、あの時点で人生は可能性の放射のように開け、死はその可能性を閉じさせられない………私はあの時点の感触に何度書き直しても届かないからもう何度も何度もこのページを書き直してきた、今の私、死んだ尾崎、あのときの私、暴走族の気配を引きずっていた尾崎、これらの関係は書いても書いても固定する言葉がない、それは言葉の次元ではない。」
亡き父の倉敷弁の響きありバックハウス弾くベーゼンドルファー 蝶人