あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

すべての言葉は通り過ぎてゆく第60回 

2018-09-02 11:09:29 | Weblog


蝶人狂言綺語輯&バガテル―そんな私のここだけの話op.297


大河小説を読むのは、その川の中の1匹の魚になって、水と共に流されていくことなので、魚であるわたくしとしては、川の流れやにおい、温度や水の味くらいしか分からず、ただただ最後まで流されていくしかないのである。8/1

宝籤抽選会の矢で選ばれた、この国の1億2千万人の任意の誰かよりも、数等劣悪な人間の屑の集団、それが自民党だ。8/2

昨日は自民阿呆莫迦議員の「生産的」発言、今日はボクシング協会の「奈良判定」で大騒ぎ。安倍蚤糞夫妻の「森友・加計問題」への忖度加担、麻生の文書改竄責任はどこへおいてけぼりにされたのか。8/3

奈良判定だか奈良公園だか知らんけど、この奈良協会長、いかにも奈良の頑固な阿呆莫迦老人気質丸出しで、あることないこと反論するのは、安倍蚤糞忖度一派のけたくそ悪いむにゃむにゃ発言を聞かされ続けてきた耳には、いっそ気持ち良いずら。その調子でもっと吼えろ!8/4

塩原が訴へるとか騒いで居るといって高田と兄が来る。没常識の強慾ものなり。情義問題として呈出せる出金を拒絶す。自分は自分の権利を保持する為に産を傾くるも辞せず。威嚇に逢ふては一厘も出すのは御免なればなり。夏目漱石明治42年4月11日日記より8/5

袷を着く。夜、蛙の鳴く声す。細君にエイ子の感冒伝染。臥蓐。万物皆青くならんとしつつ日出で日没す。これを何度繰り返したら墓に入るだらうと考へる。神田を散歩。余の著作が到る所の古本屋にある。然し大抵奇麗なのばかりなり。夏目漱石明治42年4月20日日記より8/6

快晴、暁二時頃妻が自分の寝床の傍へ来て胸が苦しいといふ。起きて介抱する。細君吐く。海苔と玉子が少々出る。かう家族が多くなると少々医術を心得て置く方便利なりと思ふ。医術、法律、文芸、是は昔の武芸十八般と同じく普通教育としてかぢるべきものなり。其外に柔術を覚えて、それから度胸を落ち着ける修業をすると好い。明治42年4月21日夏目漱石日記より8/7

ほとんど安倍蚤糞に匹敵するあのヤクザな会長に、てめえらの進退まるごと下駄を預けて判断をゆだねる、という前近代的なやり方そのものが、このスポーツ団体の獅子身中の身毒虫なのである。8/8

翁長雄志さん。悪辣非道な権力者から敵視され、おおぜいのヤマトンチュウから見殺しにされながらも、その名の通り、堅忍不抜の信念を断固として貫きとおした、いまどき珍しい立派な政治家でした。心からご冥福をお祈りします。8/9

4月26日 月 曇。韓国観光団百余名来る。諸新聞の記事皆軽侮の色あり。自分等が外国人に軽侮せらるる事は棚へ上げると見えたり。夏目漱石・明治42年日記4 8/10

鎌倉は世界中からの観光客の洪水でパンク寸前。江ノ電なんかは、おちおち住民が利用できないくらい混雑している。観光客が増えて儲かるのは寺社仏閣と小町通りの東京資本の商売人と地主だけだ。せめてテレビ局が鎌倉特集をやめてくれると助かるのだが。8/11

久しぶりに芝崎の海岸で親戚の子らと遊ぶ。清冽な真夏の波の中で、青い熱帯魚のような綺麗な魚や、大きな黒鯛や河豚が我々を少しも恐れることなく泳ぎ寄ってくるのだった。8/12

五月六日 木 雨。樗陰又金に困るといって借りに来る。十円貸す。本を売って十円になったといふ。質を入れるかと聞いたらもう五十円入っているといふ。夏目漱石・明治42年日記4 8/13

五月十日 月 晴。細君小林さんの注射を受けるといふ。神経坐骨何とかいふので尻に注射するのだといふ。注射をさうるとき傍にゐてくれといふ。尻だから傍にゐる必要があるのださうだ。書斎にゐて注射の時咳払でもしたら沢山だらうと返事をした。医者もこんな事を云はれては迷惑だらう。夏目漱石・明治42年日記4 8/14

五月十四日 金 雨。眠くていけない。昼寝一度、夜九時頃一度寝る。松根の親類伊達男爵の子ピストルで同年輩のゴロツキ書生を打つ。余は癇癪持ちだからピストルと刀は可成べく買はぬ様にしてゐる。夫で泥棒杯の時はいつでも。どつちかあれば良いと思ふ。夏目漱石・明治42年日記48/15
 
外来生物法で特定外来生物に指定され、日本の「侵略的外来種ワースト100選定種」にもなっている画眉鳥。始めはその大陸的な美声に聞き惚れていたが、最近はその執拗さが鼻につく。庭のあちこちに巣を作って猛烈な勢いで繁殖しているのは、うんざりだ。8/16

七月十六日 金 晴。小説中々進まず。しかし是が本職と思ふと、いつ迄かかっても構はない気がする。暑くても何でも自分は本職に力めてゐるのだから不愉快の事なし。「それから」は五月末日に起稿今六十三四回目なり。其間事故にて書かざりし事あり。又近来隔日に独乙語をやるのと、木曜を丸潰しにするのとで捗取らぬなり。夏目漱石・明治42年日 
記4 8/17

七月十八日 日 大暑 晴。娘共真裸にて家中を駆け回る。暑い故に裸になる程自然なるはなし。先生、野蛮人に囲繞せられて小説をかく。夏目漱石・明治42年日記4 8/18

七月二十三日 金 細君具合わるし。小林さんに来て貰う。矢張り妊娠なりといふ。無暗に子供が出来るものなり。出来た子を何うする気にはならねど、願くは好加減に出来ない方に致したきものなり。もし鉅万の富を積まば子供は二十人でも三十人でも多々益々可なり。尤も細君の産をする時は甚だいやなものなり。夏目漱石・明治42年日記4 8/19

七月二十六日 月 晴。実業家米国の招待に応じて渡航 うちに神田乃武、佐藤章介、巌谷小波あり。何の為なるやを知らず。実業家は日本にゐると天下を鵜呑みにした様なへらず口を叩けども、一足でも外国に出ると全くの唖となる為ならん。夏目漱石・明治42年日記4 8/20

贔屓にしていた金足農業が惨敗したので残念無念なり。それにしても大阪桐蔭とか有力校は全国から自薦他薦の優秀選手を受け入れ、地元の高校生不在の常軌を逸した異常なチーム強化を図っている。これではもはや普通の高校生が参加するアマチュア野球とはいえないのでは?8/21

数日来の風邪で寝込んでしまい、展覧会の見物どころではない。おまけに細君も喉が痛むらしく、妙な咳をしている。いろんな薬を藪医者からもらったが、さっぱり効かない。しばらくゆっくり休んでいろ、ということだろう。8/22

トランプのアメリカより、プーチンのロシアより、習の中国より、アサドのシリアより、エルドアンのトルコより、まだこの国の方がマシだとうぬぼれていた安倍蚤糞だったが、最近はその自信も揺らぎつつあるようだ。8/23

七月二十八日(木)晴。夜銀座散歩。裏通りで女がオルガンに合わせて踊っていた。夏目漱石・明治43年日記6 8/24

昨夜アジア大会の水泳を見ていたら、突如アナウンサーが「日中角逐国家威信を賭けた最後の一戦!」などと勝手に国家主義を鼓吹して、せっかくのスポーツ見物の楽しみをぶち壊してしまった。嫌な時代になったものだ。8/25

七月三十一日 土 稍涼。早 戸川秋骨来。午後中村是公来。満洲に新聞を起すから来ないかと云ふ。不得要領にて帰る。近々御馳走をしてやると云つた。夏目漱石・明治42年日記4 8/26

あい変わらず大谷が死球だとか投手復帰だとか、どうしたこうしたと一部の日本人だけが大騒ぎしているが、問題は彼を招いたエンゼルスの極度の不振。首位アストロズとの差16.5ゲームはもはや優勝は絶望的だし、名将ソーシア監督の首も危ない。大谷って厄病神だったのかも。8/27

十月四日(火)陰。夜は朝食を思ひ、朝は昼飯を思ひ、昼は夕飯を思ふ。命は食にありと。此諺の適切なる余の上に若くなし。自然はよく人間を作れり。余は今食事の事をのみ考へて生きてゐる。夏目漱石 明治43年日記7C 8/28

十一月十日(木)秋雨蕭々。看護婦が小説を読んでゐる。奇麗な表紙だから何だと聞いたら笑つてゐる。見ると虞美人草であつた。六づかしい本だから止せと注告した。夏目漱石 明治43年日記7C 8/29

十一月十五日(火)晴。床の中で楠緒子さんの為に手向の句を作る
 棺には菊抛げ入れよ有たん程
 有る程の菊抛げ入れよ棺の中
夏目漱石 明治43年日記7C 8/30

五月二十一日(日)えい子が二三日前八つ位の学校友達を連れてきた。あとから二人遊んでいる所へ行って、あなたの御父さんは何をして入らつしゃるのと聞いたら御父さんは日露戦争に出て死んだのとただ一口答えた。余はあとを云ふ気にならなかった。何だか非常に痛ましい気がした。漱石明治44年日記9 8/31

      列島の背骨は折れて九月かな 蝶人

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