照る日曇る日第1137回
「井泉」に続く著者の9番目の歌集で、2002年以降の04年までの作品から選ばれている。
この人はアララギの伝統を脊稜に伏流させつつ、眼前の対象をしっかりと観察し、それに付随するおのれの内心を吐露し、かつまた時宜を得たテエマに軽々と接近しては遠ざかって適正な場所からの鳥瞰を試み、心にくい歌の数々を詠んでいる。
例えばこんな歌。
山茱萸の珠実を点す枝あふぐやはく日の差す母が見し位置
蝶々魚頭上に舞ひてゐたちけりまたなき夏の潮見上ぐれば
一茎のいただきに反る六弁の花の蕊繊し寿詞のごとしも
帰らざる時知らしめて庭隅の白まんじゆしやげ咲き足りて消ゆ
少年の日の幸福は軒の端のつばめを日暮るるまで見てゐたる
高ぞらの群にまじりて燕一羽不調を告げず翔び立たむとす
「不調を告げず翔び立たむとす」るのは作者は、はたまたわたくしか?
「亡命者」てふ名の集団が下手くそな歌を唄って無暗に踊る 蝶人