照る日曇る日第1705回
1945年12月にエジプト南部ナイル河畔の町ナグ・ハマディで発見された「死海文書」と並ぶ古代キリスト教の「非正規」文書の翻訳である。
千数百年の歳月を経て復元されたその中身は「イエスの知恵」「「ペトロの黙示録」「ヨハネのアポクリュフォン」「トマスの福音書」「エジプト人の福音書」「ユダの福音書」でいずれも興味津々驚愕の内容である。
例えば、最後の「ユダの福音書」におけるユダの立場は特異なものである。12弟子の中でユダだけがイエスという存在の真実を理解しているがゆえに、彼はキリストから最も信頼されている最も重要な弟子であり、正規の新約聖書で描かれている卑劣な裏切り者とは全然異なる知情意を備えたインテリゲンチャンで、読めば読むほど「さもありなん」という説得力を備えて最後にキリストを裏切るのである。
以下はいくつかの断片の引用である。
それは一つの男性の女であって、そういうものとして現れ出ている。それは半ば男性として、そして半ば女性として名付けられている。男性としては集会と名付け慣わされ、女性としては命と名付け慣わされる。「イエスの知恵」小林稔
イエスが言った。「人間に喰われる獅子は幸いである。そうすれば獅子が人間になる。そして獅子に喰われる人間は忌まわしい。そうすれば人間が獅子になるであろう」(「トマスによる福音書」荒井献訳新約聖書外典)より。
イエスが言った。「私は火をこの世に投じた。そして見よ、私は火をこの世が燃えるまで守る」同上
イエスが言った。「過ぎ去りゆく者となりなさい」。同上
そしてこのようにして3つの力は讃えた。大いなる、見えざる、名を言うことのできない、処女なる、呼ばれえない霊と彼の「男性的処女」とを。そして彼らは力を願った。活ける沈黙の沈黙が出た。すなわち諸アイオーンの内の栄光と不滅とが。エジプト人の福音書。筒井賢治訳
本当に輝いている人ならばテレビに出ても画面が輝く 蝶人