あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

鎌倉芸術館の「肉筆浮世絵の美」展を見て

2013-02-14 09:49:32 | Weblog


茫洋物見遊山記第102回&鎌倉ちょっと不思議な物語第271回



今月の11日まで開催されていたのは毎度おなじみの「氏家浮世絵コレクション」から抄出された、目にもけざやかなる肉筆画の数々。

去年と同じ北斎の「桜に鷲図」、「酔余美人図」、鈴木春信の「桜花遊君立姿」などに出会えたのもうれしかったが、勝川春章、懐月堂安度、歌川広重の優品も雁首を揃えて春の訪れをば待ち望んでおりましたよ。


驚いた、驚いた、そこにいたのはテン・リトル・インディアンズ 蝶人




◎「佐々木健展」は2月23日まで開催中。
http://www.facebook.com/media/set/?set=a.466922300040540.106143.115264998539607&type=1&l=e263ea8c53
・展示内容のご紹介
http://www.tokyoartbeat.com/event/2013/FD93?utm_source=dlvr.it&utm_medium=twitter
・2月17日午後5時から「絵とか建築の話」(仮)トークあり。http://twitpic.com/c18o04


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クリスチャン・ジャック監督の「花咲ける騎士道」を観て

2013-02-13 09:04:27 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.400


糞真面目だった「赤と黒」とは打って変わって、イケメン、ジェラール・フィリップが楽しげに馬に乗ったり、チャンチャンバラバラしているが、そんなことよりイタリアの女優ジーナ・ロロブリジダの豊満な肢体に酔いしれることができる稀有な作品だ。

立身出世を夢見る兵士が知謀を尽くして王女の花婿になろうとぐあんばるお話だが、結局はルイ15世の掌にすっぽりとはまって、さいごはめでたしめでたし。罪も毒も無いのが結構毛だらけ猫灰だらけ。

原題は「Fanfan la Tulipe 」。映画の冒頭で悪漢に襲われたポンパドール夫人と王女を助けたジェラール・フィリップが、夫人から「ファンファン・ラ・チューリップ」という素敵な名前を頂戴したことにちなむ。


恥ずかしそうに咲いていました「スーパースタア」という名の赤きバラ 蝶人
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中島莞爾監督の「クローンは故郷をめざす」を見て

2013-02-12 09:20:03 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.399

殉職した宇宙飛行士をクローンとして再生するというSF映画であるが、話が分かりにくい上に陰湿で画面が暗く、録画したビデオを倍速で見たのだが、それでも話の進行がもたもたしていて、ともかく面白くもおかしくもなくて、ただただ辛気臭い。

この映画をかのヴィム・ヴェンダースが製作総指揮したそうだが、いったいどういう関与をしたんだろう。総指揮でなく葬式なら分かるが。どうにも救いのない愚作だ。


ただひとり建国の日に国旗掲げる町内会長 蝶人
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ハロルド・ベッカー監督の「タップス」を見て

2013-02-11 09:26:49 | Weblog

闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.398

名門陸軍幼年学校のエリート少佐ティモシー・ハットンに率いられた若き兵士たちが、名物校長ジョージ・C・スコットの影響を受けて国家権力と敵対する姿を描く。

いくら名門でも理事会が学校を解散して土地を不動産屋に売却してマンションにするという決定をだせば、その命に従うべきだろう。ところがスコット校長を崇拝するハットン選手は学校閉鎖に断固反対し、固く校門を閉じて警察や軍の侵入をはばむ。

部下たちを強力に統制していたハットン少佐だったが思わぬ死者が出たためについにバリケードを解こうとした矢先に血に飢えたトム・クルーズ狙撃兵の機関銃が火を吐いて、事態は思わぬ悲劇を招くのであった。

ジョージ・C・スコットとティモシー・ハットンが好演。銃を乱射しながら「気持ちいいぜええ!」と絶叫するトム・クルーズの姿が空恐ろしい。しかしこれから本邦でも徴兵制が敷かれ強力な国粋国防思想が蔓延すれば、こういう予期せぬ暴発が起こらないとも限らない。


            外貌に心の美醜現さずすべての人は通り過ぎて行く 蝶人

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ジョージ・ロイ・ヒル監督の「スティング」を見て

2013-02-10 08:56:28 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.397

いっぱい喰わされた詐欺師が、もっと大物の諸悪の根源みたいな元締めをいっぱい喰わせるという一大策略映画。非常に良く出来たプロットと演出で最後まで楽しませてくれるが、よーく考えると、はてなという問題もある。

 例えばこの詐欺師は知らずに大物の金をちょろまかしてしまう。それを知った大物から命を狙われ、詐欺師の大先輩である相棒を殺されてしまう。それでこの大物を罠に掛けて仕返しをしよう、というのがこの映画の発端になるのだが、そもそも悪いのは主人公の詐欺師チームなのである。

 それを逆恨みして友人知人を巻きこんで大がかりな仕返しを企画、実行していくというのは動機としてはちょいと不純なのではなかろうか。

 それからFBIが登場し、主人公を追跡している刑事を巧みに陥れるシーンが映画のキモになっているのだが、このFBIがじつは偽者で詐欺師一味の味方であるということを登場人物にも観客にも明かさないままで話を進行させているのはかなりルール違反なので、採点からは減点しなければならない。



    懐かしの穀象虫よいま何処隈なく探さむ米櫃の中 蝶人
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ブライアン・シンガー監督の「Ⅹ―MEN」「Ⅹ―MEN2」を見て

2013-02-09 10:43:19 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.395&vol.396


このところ安易な想像力が産んだ低劣な映像作品を見る、いな見せられる機会が増えてきたがこれもその好個の一例。

人類が進化して誕生した突然変異体(ミュータント)が巻き起こすさまざまな事件と葛藤を取り扱う映画である。

こういう主題ならもっと内容的に深みのある抉り方が出来ると思うのだが、相変わらずハイテク技術に依拠したアクションに血道をあげているからだんだんあほらしくなってくる。このアホ馬鹿映画についてはどんな暴言を吐いても許されると思うのだが、そのための適切な言葉が出てこないのがうらめしい。ので、やめておこう。

と思っていたのだが、世の中にはそういうアホ馬鹿映画を好む観客も多いとみえて、なんと続編が作られてしまった。

普通の人間とミュータントが同じ人間でありながらお互いに敵視したり相戦うような局面を続編でもつらつら描いているのだが、もとからが漫画の原作の軽薄さを刻印されているせいか、差別や対立の悲劇性が最後まで浮かびあがってこないのが残念である。


欲しかった輸入盤CDに高値つくあな憎たらし安倍蚤糞 蝶人


◎「佐々木健展」全力展開中。明2月10日昼夜に2大イベントぶちかまし!
  http://twitpic.com/c05xhw
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ロビン・スウィコード監督の「ジェーン・オースティンの読書会」を見て

2013-02-08 09:12:09 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.394


夫に去られて傷心している中年の女性を慰めようとその娘や友人たち数人が毎月ジェーン・オースティンの小説を読んで各自の家に集まって感想を語り合う会を始めた。

そのなかに混じり込んだたった一人の若い男性を巡って恋のさやあてが始まり、レスビアンの娘が途中で相手を取り変えるなどの騒動も起こるが、最後はオースティンの小説世界のように男も女も落ち着くところに落ち着くという大人の映画です。

途中出演者たちがこもごも語る「エマ」「マンスフィールド・パーク」「高慢と偏見」「分別と多感」などの感想が非常におもしろく、ジェーン・オースティンの小説世界と彼らの現実の生活とがオーバーラップしていく部分も興味深いものがあります。

英国ではなく米国人たちがこれほどオースティンの小説のとりこになっているとはちっとも知らなんだ。


お馴染みの百円野菜売り切れて辛口大根一本残る 蝶人
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天童荒太著「歓喜の仔」上下巻を読んで

2013-02-07 10:21:34 | Weblog


照る日曇る日 第568回&569回


「歓喜」というタイトル通り、ベートーヴェンの第9交響曲の第4楽章の後半でうたわれ、「歓喜に寄す」の歌が重要な伏線であり、ライトモチーフともなっている。

人間の友愛とその喜びを神に向かって感謝する詩は、無神論者からみればナンセンスな面はあっても、人と人の絆が重要だと説くシラーの熱い叫びは現在でも一定の意味を失ってはいないだろう。

 しかしそれがあまりにも時代を超越した「普遍的な」メッセージでありすぎるために、作曲者のメロディと相俟って完全に陳腐な音楽として届けられてしまう危険性がある。かのフルトヴェングラーを除く今日のベートーヴェン音楽の演奏と同様に。

 作者はこの小説の展開についてなみなみならぬ周到な構成を凝らして臨んではいる。日本と外国、2つの異なる場所と場面で自由と独立のために戦う人々の同心円世界を同時進行で描きだそうとする意欲的な試みもそう。

だが、「どんな社会や人世の苦悩や闘争があろうとも、それを勇気と友愛の絆で潜り抜けた暁には遥かなる天空の彼方に救い主たる神が待ち受けている」、という余りにも紋切り型の大団円が、多くの読者にとっていささか鼻白むお寒い着地点に収斂するのも無理からぬ話なのである。

♪おお、友よ、このような安易な物語ではない。
我々はもっと心地よい、もっと歓喜なぞを忘れた別な真理の歌をうたおうではないか。



      北国では毎日雪など降っている滑った転んだと大騒ぎするな東京 蝶人

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ジョン・ミリアス監督の「ビッグ・ウェンズディ」を見て

2013-02-06 10:30:47 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.393


去年の暮れに逗子に引っ越していった若くてとてもカッコいい隣の夫婦は、真冬でもよく材木座の海岸などでサーフィンを楽しんでいたようだったが、この映画では女子供とは無関係な男だけの孤絶した世界が描かれている。

少年時代からサーフィンを楽しんでいた親友の彼ら3人は、歳をとっても巨大な波がやって来る日を夢見て、海と戦い、戯れるのである。そして「ビッグ・ウェンズディ」はついに訪れる。荒れ狂う海に向かって進む3人はさながら赤穂浪士か死地に乗り入れる騎士のように英雄的だ。

何度見ても物凄い大波であるが、あれでは大勢のサーファーが死んだのではないだろうか。私のように海は好きだが臆病な人間には理解を絶した世界だ。

この映画で人気スターになったが、その後アルコールとドラッグで身を持ち崩したジャン・マイケル・ヴィンセントの姿が懐かしく物哀しい。


鬼は外福は内悪いの悪いの全部飛んで行けと三人で豆を撒きました 蝶人


特報「佐々木健個展」好評開催中。2月10日昼夜に2大イベントぶちかまし!
http://twitpic.com/c05xhw
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マイケル・カーティス監督の「エジプト人」を見て

2013-02-05 09:07:05 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.392

これは最初から最後まで興味深いあるエジプト人の生涯のものがたり。フィンランドの小説家ミカ・ワルタリの原作を「カサブランカ」のマイケル・カーティス監督が演出、かの名物プロデューサー、ダリル・F・ザナックが見事な映画に仕上げた。

誰が監督であろうとこの人がかかわった作品はみな見る価値があるが、それは彼に映画を見る目とつくる力があったからであり、本作もまたしかりだ。

この映画は、国王アメンホテプ3世の実子でありながら捨て児となって医師に拾われた主人公(エドマンド・バードム)がチーズ職人の友人(ヴィクター・マチュア)と競り合いながら妖艶な悪女に翻弄されながら諸国を流浪するという恋あり陰謀あり暗殺ありの波乱万丈、疾風怒濤の物語で、私の大好きなジーン・シモンズがいつものように可憐な花を咲かせている。

主人公はようやく帰国したものの、政争に巻き込まれて善人の現職のファラオを毒殺し、みずからその跡を継ごうとする。しかしようやくにして人生の意味を知り、真の恋人の愛にめざめたときには時すでに遅く、諸行無常の境地に達したわれらが主人公は、その過ぎ越しのすべてをパピルスに記しながら、故郷を遠く離れた流謫地で波乱万丈の生涯を閉じる。

紀元前3000年の古代エジプトにも私たちと同じような人間が喜怒哀楽の生活を営んでいたと思わせるに足る、堂々たる人世映画だが、見事な劇伴を鳴らしているのはヒッチコック作品のほとんどの音楽を担当していたバーナード・ハーマンであることも併せてつけくわえておかなければなるまい。


激しく手を叩き頭を殴りまた手を叩いているあれは父である私を怒っているのか 蝶人

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荻上直子監督の「めがね」を見て

2013-02-04 11:15:32 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.391&ある晴れた日に 第121回


どこからか飄然と南海の孤島にやって来た謎の女性、そして彼女をとりまくこれまた不可思議な民宿の男女たち。

 彼らはほんの短い断片的な会話しか交わさず、従って登場人物がどのような生活をしているのかはほとんど説明されないが、迷い込んだ島の限りなく透明な海や白い浜辺やたそがれについては、その美しい映像によって雄弁に物語られる。

 民宿の人々の風変わりな暮らしぶりと対応に最初は大いに戸惑う主人公だが、次第にその飾り気のない生き方に惹かれてゆく、というそんな映画だが、これは生きること自体に付着しているユーモアとペーソスを描こうとした点で現代ではきわめて貴重な意欲作となった。

また別の角度から眺めると、これは「たそがれる」がキーワードの映画である。神々の黄昏ではない。この映画のキャメラは、私たち日本人の黄昏、美しい黄昏への幻視と希求に向けられている。

ということで、皆さん以下の私の即興詩をご唱和願います。

ギンギン、ギラギラ、夕陽が沈む。
海の向こう、水平線の彼方に真っ赤な太陽が沈む。
と思ったのは目の錯覚で、じつは私たちが沈んでいるのだった。

ドンドン、グングン、沈んで行くのは私たち。
依然としてさっぱり沈まない太陽は、ギンギン、ギラギラ、どこか遠い別の国を照らしている。

ドンドン、グングン、沈んで行くのは私たち。
まるで地球の引力にまっすぐ引かれるように、柔らかい地表をぶち破ってマグマが燃え盛るマンガン層に向かって、ドンドン、グングン、沈んで行くのは私たち。

さあこうなると、いくら泣いても笑ってももう止まらない、止められない。ドンドン、グングン、沈んで行くだけ。

でも私たちはこうなることをずいぶん昔から分かっていたはずだ。
と、そう思いつつ、身も心までも小気味いいまでに落下していく。

ギンギン、ギラギラ、夕陽が沈む。
海の向こう、水平線の彼方に真っ赤な太陽が沈む。


毎日の生活苦に追われているので世界苦などに遊ぶ暇が無い 蝶人
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ボッカッチョ著「デカメロン」を読んで

2013-02-03 11:36:19 | Weblog


照る日曇る日第567回

ボッカッチョとは俺のことかとボッカチヨいい。ではないけれど、世界的に有名な大作家による大小説を平川祐弘氏の最新訳で読みました。

 これは世に多く流布する滑稽風流夢譚のたぐい、たとえばバルザック選手のそれとは中身が決定的に違います。1348年にイタリアのフィレンツェで大流行したコレラの惨禍を実際に体験し、父親を喪った作者が、その恐ろしさと向き合いつつ、その猛威と命懸けで対抗するために書いた「生き延びるための物語」なのです。

 冒頭にその黒死病の恐ろしさが縷々描写されているのですが、人間も動物も生き物のすべてが猛烈な勢いで死んでいく。2匹の豚がコレラに感染した人のぼろ布をひっぱっただけでその場でコロリと死んでいく場面などは、総毛立つほどの迫力です。

郊外に逃げても死骸がうようよ。死を覚悟したボッカッチョが考えたのは、心頭を滅却して現実からの逃避をはかることでした。目前の地獄を括弧に入れて、ヴァーチャルな地上の楽園で7人の淑女と3人の貴公子が10日間で懸命に面白おかしい100の物語を語り継ぐ。その空前にして絶後の途方もない観念的な試みが、異常なまでに生命力に満ち満ちた面白おかしいコントの数々を生んだのです。

そこではどんな良く出来た艶笑譚も、どんない不出来な冒険譚も、めざすところはただひとつ。今生の思いを決死でものがたり、語り尽くすことを通じて幻想の世界の最高位まで登り尽くし、現実の悲惨そのものを顛倒しようというのです。

ほぼ同時代のフィレンツェを生きたダンテが描いた「神曲」が、机上の空論的な地獄の恐ろしさを描くことによって現世の快楽を遮断することを目指したとするなら、ボッカッチョは、今そこにある現実の地獄を梃子にして空想の世界に大きくはばたき、現世的快楽の極点を究めようとしたに違いありません。


ボッカッチョとは俺のことかとボッカチヨいい 蝶人
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「基礎から学べる広告の総合講座2013」を読んで

2013-02-02 09:03:00 | Weblog


照る日曇る日第566回&広告戯評第18回

日経広告研究所では、毎年夏に超高価な参加料で広告宣伝にかんする連続集中講座を行っているのだが、それを年末に簡にして要を得た安価な1冊の報告書にまとめてくれる。

講師は毎年変わるが企業、広告会社、クリエーター、学者など現役の最前線で活躍するメンバーであり、内容的には総論からマーケティング、テレビ、新聞、雑誌、インターネットなどの各論まで、じつにわかりやすく現代の広告宣伝販促の実態と問題点が解説されているので、これさえ年に一度目を通しておけば時流に遅れることなくこの資本主義の最先端で咲かせている奇妙な仇花の色や香りについて習得しておくことができるのである。

どこを読んでも参考になるが、最新の2012年版では元サントリーの宣伝部員で独立してからはプランナーやコピーライターをやっている一倉宏氏の「ヘリテージとクリエーティヴ」という昔ながらのネタが面白かった。

 この人は昔は「きれいなおねえさんは好きですか?」や「うまいんだな、これがっ」などの名コピーでならし、いまは「家に帰れば積水ハウス」という良く出来たコンセプトとコピーを作っているが、70年代、80年代に大活躍した音楽プロデューサー大森昭男氏の業績について触れているのはさすがだと思った。


髭摺ればうっとり目を瞑る長男よ父に出来るのはこれくらいなり 蝶人
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チャールズ・デ・ラウジリカ監督の「デンジャラス・デイズ」を見て

2013-02-01 12:51:40 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.390

リドリー・スコットの歴史に残る名作「ブレード・ランナー」がいかなる危険と困難のもとに製作されたのかを関係者の証言をもとに描き出した迫真のドキュメンタリー映画である。

もちろん映画自体を立ち上げ差配するのはプロデューサーだから、彼が監督や脚本や配役についても一言あるのは当然だ。ジョン・フォードなんてかの大ダリル・ザナックにかかったらまるで赤子のようなもので、自分が撮ったフィルムをずたずたに切り刻まれてされていたのだが、最近はプロデューサーばかりか複数の出資者があれこれいちゃもんをつけるらしい。

この作品でもご他聞にもれず製作費や撮影期間や作品の内容についても外野からのくちばしが盛んに入ったようだが、にもかかわらずともかく偉いのは監督で、演出はもちろんセット、美術のデテールから撮影からヘアメイクまで全部自分の思う通りのビジョンを貫いていく。

実際の建物の巨大な柱なんかも「上下をさかさまにしろ」と命じて実現してしまう。それでなくとも雨やスモークてんこもりのセットの中で毎日朝まで続く夜間撮影で、スタッフやハリソン・フォードが根を上げても臆することなく唯我独尊の撮影を断行していく姿は黒澤を彷彿とさせる。

本作が最後のアナログ実写SF時代の最高傑作として後年高い評価を集めるようになった最大の要因は「美しくないカットは1箇所もない」と豪語するリドリー・スコットの図抜けた美意識だろう。


思いのたけ綴りし葉書出したれどポストに降りし雪に消えたり 蝶人
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