あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

「エイドリアン・ボールト集~バッハからワーグナーまで」を聴いて

2016-12-14 16:50:51 | Weblog


音楽千夜一夜 第380回


英国のジェントルマン指揮者サー・エイドリアン・ボールト(1889年~1983年)の名を知る人も少なくなったが、これは彼の指揮するバッハ、ブラームス、ベートーヴェン、ワーグナーなどをセレクトした11枚組のCDである。

1枚目のバッハのブランデンブルグ協奏曲を聴いていると大編成のロンドン・フィルの管弦が朗々と鳴り響き、はなはだ精神が高揚されて痛快無比である。

確かにこれは1時代前の指揮ぶりかもしれないが、クラシック音楽を聴く醍醐味ここにあり、という気持ちに深々と浸れるのがなによりありがたい。

昨今のバッハ演奏は、その名の通り、小川(バッハ)が仔細ありげにちょろちょろ流れているようなしんきくさい神経質な演奏が大流行りだが、ボールトはその正反対で、大河が滔々と流れ来て、たがて悠々と流れ去る、というような気宇壮大でボールドな演奏をやる。実に気持ちがよろしい。ぜひお試しあれ。


ドクターゴンのやぶ医者が「御臨終です」というたが亮君が「おバアちゃん!」と叫べば目を覚ましたり 蝶人

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谷崎潤一郎著「谷崎潤一郎全集第25巻」を読んで

2016-12-13 11:16:09 | Weblog


照る日曇る日 第916回



本巻には一高の「校友会雑誌」をはじめとする若き日の著者の小説や随想、あれやこれやの談話筆記、「春琴抄」や「細雪」などの創作ノート、最後は生涯にわたる「歌稿」が雑然と掲載されている。

初期作品の冒頭は著者の高等小学時代の回覧雑誌「学生倶楽部」に掲載された「学生の夢」であるが、そのしょっぱなの「虎狩」などは加藤清正の故事を下敷きに日清戦争の時代を反映した露骨な嫌中国イデオロギー丸出しのショートショートだが、教養のないネトウヨが読んだら「チャンチャン」の意味が分からないだろうな。

談話には「細雪」の回想が出てくるが、連載二回目にして官憲が圧力を掛けてきたので、本当はもっと悪い芦屋婦人を登場させたかったのだが、善人だけのあんな甘い話で終わってしまったと悔しがっている。まことに残念だった。

創作ノートでは小説の創作の源泉となったメモや断片を拾い読みすることができるが、面白かったのは、登場人物の名前の候補のリストアップである。「お」で始まる名前だけでなんと一〇〇以上も列挙しており、作家の周到な準備が窺い知れる。

また人名だけではなくここで取りあげられている地名や動植物の名辞群を眺めていると、谷崎によって書かれた、あるいは書かれなかった小説のヴィジョンがおのずと浮かびあがってくるようだ。

最後は小説家谷崎の短歌。いや和歌集であるが、いわゆる月並み調でどうということはないが、次の二首などはどうだろうか。(現代語表記に書き換え)

  妻の手が酸素吸入のゴム管を支へながらもふるへつつあり

  我といふ人の心はただひとりわれより外に知る人はなし




  小学生を轢き殺したる86歳「まったくなにも覚えていない」と 蝶人


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栗原康著「村に火をつけ、白痴になれ」を読んで

2016-12-12 09:55:11 | Weblog


照る日曇る日 第915回

題名がなんだか物凄くてこれはいったいどういう意味だろうかと思ったのだが、要するに伊藤野枝の熱狂的ファンが書いたかなり偏執狂的な伝記だった。果たしてこれが野枝や大杉栄や辻潤の実像なのだろうか。

私は右翼やファシストより左翼が、左翼よりはアナキストが好きだが、それにしてもアナキストが徹底的な反権力主義や自己中心主義やセックス大好き主義に漫画的に収斂されていく論法には、いささか抵抗を覚える。

村に火をつけたら村人が困るだろうし、白痴になったら本人もまわりも困るだろう。どうせ希望がないからといってなんでも好き勝手我儘放題にやればそれでおのれが救われるのかはなはだ疑問だ。

この本でちょっと面白かったのは東京改革者の後藤新平が大辻や野枝を助けたりしていたことで、彼の激高がなければ悪党甘糟大尉の処罰なども不問に付されていたと思われる。

   敬愛する「極私詩人」にまみえたりダリアの花咲く日曜の午後 蝶人
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鎌倉国宝館と鏑木清方記念美術館を訪ねて

2016-12-11 09:57:36 | Weblog


蝶人物見遊山記第224回&鎌倉ちょっと不思議な物語第374回

12月4日まで国宝館で開催されていたのは「鎌倉MEETS東大寺」というテーマで武家の古都と南都をつなぐ絆を見出そうという展覧会でした。なんでも「東大寺サミットinかまくら」というイベントが開催された記念だというのですが、そんなこたあ全然しりませんでした。

会場にいろいろな画幅や文書や絵巻物が並んでいましたが、阿呆莫迦平家によって焼失した東大寺の再建をめざす重源が頼朝に送った勧進状と、これに対する頼朝の返書が面白かった。どうも重源如きの要請で重い腰を上げたくなかったのか後白河上皇とよく相談せよといって突き放している。上皇本人が要請するならともかく、得体の知れない勧進僧風情なんかじゃ関東は動かんぞとでも言いたげ。しかも1度ならず2度までも同じ文言で突き返していますから、3度目は上皇が直接頼んできたのではないでしょうか。


鏑木清方記念美術館では来年1月15日まで「清方と新春の風景」展をやっていますが、清方の原画と押絵師の永井周山によって意匠化された羽子板の展示がいかにもお正月の気分です。


    百千の幼虫を殺せし段葛ただ一匹の蝉も鳴かず 蝶人

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アリス・マンロー著・小竹由美子訳「ジュリエット」を読んで

2016-12-10 12:05:01 | Weblog


照る日曇る日 第914回


いつもならどんな短編でも最初の1行目から最後の1行まで耽読して、「良かったな、素敵な翻訳だな。ああこれが小説の醍醐味というものだな」、と軽いためいきのようなものが出てくるのがこの作家の本を読むときのならいであったが、残念ながら今回はそうばならなかった。

相変わらずヒロインの人物描写は的確で鋭く、作家の筆に引き込まれて、おのずからその身の上を他人事とならず体感させられてしまう成り行きは不変だが、今回はプロットがいささか強引に過ぎる作品が混じっていて、時折読むのをやめて「マジカよ」と呟かずにはいられなかった。

よく知られているように、アリス・マンローという作家は、主人公の身の上に格別の事件などを配さなくても、彼女の日常生活を淡々と描いているだけで、人生の深淵を垣間見せ、その恐ろしさを夜空の稲妻の炸裂のように開示できる恐るべき魔法の持ち主である。

そんな作家が、例えば知り合ってちょっと会話しただけの人物が突如鉄道事故を引き起こしたり、一卵性双生児や霊能力者まがいの人物を登場させる、などのいかにも物語的な技法、悪くいえば月並みの小説でよくあるどぎついプロット、を駆使する必要は、少なくとも極東の怠惰な一読者であるわたくしにとっては、なくもがなの段取りであった。

私にとって彼女の最後の作品は、依然として本書の前に刊行された「ディア・ライフ」ということになるだろう。


  トランプとアベが率いる日米両国明るい未来なんてどこにもないね 蝶人
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生き延びるための音楽

2016-12-09 13:01:04 | Weblog

音楽千夜一夜 第380回



古代ギリシアの吟遊詩人ヘシオドスは、大昔は「金」の時代だったけれど、次は「銀」の時代、「青銅」の時代、それから「英雄」の時代を経て「鉄」の時代がやってくると予言したそうです。

この節はテレビをみても、新聞を読んでも暗いニュースばかりで、お先真っ暗。もはや夢も希望もなくなって、生きているのが厭になるような「暗黒」時代に突入したような気がします。

そんなサムイ今日この頃ですが、みなさんはどんな音楽を聴いておられますか?

心身共に落ち込んだとき、私が聴く音楽は決まっています。
まずはピエール・モントゥー指揮ロンドン交響楽団が演奏する、ベートーヴェン選手の交響曲第4番第1楽章の出だしのところ。

次はお馴染み中島みゆき選手の「ファイト」。

最後は友部正人選手の「一本道」。

この3曲があれば、どんなひどい時代でも、なんとかかんとか生きていくことができそうです。
死なない限りは。


1)https://www.youtube.com/watch?v=F7vB1Eh1tMs
2)https://www.youtube.com/watch?v=MhiW_svhD28
3)https://www.youtube.com/watch?v=HrBTZvO7E8k


    極論を排すというけれど極論がなければ中間もない 蝶人
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グレン・グールドと朝比奈隆

2016-12-08 11:36:09 | Weblog

音楽千夜一夜 第379回


グレン・グールド( 1932 - 1982)は、画期的なバッハの演奏で知られるカナダの名ピアニスト、朝比奈隆(1908- 2001)はブルックナーの演奏で知られた我が国で最も偉大な指揮者です。

2人は残念ながらすでに故人ですが、朝比奈隆氏が1974年にグールドの「ベートーヴェン・ピアノ協奏曲全集」の4枚組LPのために書かれたライナーノートを読むと、生前この2人は少なくとも1度は共演したことがあることが分かります。

このライナーノートの版権は、朝比奈氏のご遺族と当時のCBSソニーにあるのでしょうが、その文章が彼の音楽と同様、あまりにも素晴らしいので皆さまにご紹介したいと存じます。願わくは無許可転載を許されよ。 (以下はその引用です)


 「今から15年以上も前、ベルリンのフィルハーモニー演奏会に現れたカナダ生まれのピアニスト、グレン・グールドは、たちまち楽界の注目を集めた。彼の演奏にはいささかも名手的華麗さはなく、豪壮なダイナミズムもなかった。レパートリーは小さい範囲に限られ、バッハ、スカルラッティ、モーツアルトからヴェ-トーヴェンの初期まで。しかしこの青白いひ弱な青年の奏でるピアノの異常な魅力は、滲み通るように人々の心を捉えた。

 私が初めて彼を知ったのは、その頃1958年11月、ローマのサンタチェチリア・オーケストラの定期演奏だった。彼が希望した曲目は、ヴェートーヴェンの第2協奏曲だった。この変ロ長調の協奏曲は、通常オーケストラの音楽家にとっても、指揮者にとっても、また独奏者自身にとっても、色々な意味であまり好まれる作品とはいえない。即ち、他の4つの協奏曲に見られる壮大さもなく、技巧的な聞かせどころというようなものもない。オーケストラの総譜は比較的平板で、効果的ともいえない。しかも演奏そのものは決して容易ではないからである。

 果たしてサンタチェチリアの楽員たちも、なぜ他のものを選ばなかったかとか、弦の人数をもっと減らそうかと、あまり気乗りのしない態度は明らかだった。しかも、協奏曲のために予定されていた前日の午後の練習の定刻になっても、独奏者のグールドは一向に姿を見せない。気の短いイタリア人気質で、どうしたとか、電話をかけてみろとか、騒然としているところへ、事務局から体の加減が悪いので今日は出かけられないとマネージャーのカムス夫人から電話があったと連絡してきた。

 私はただちに練習を中止、翌朝の総練習の初めに通し稽古だけをすることに決定、音楽家たちは損をしたような得をしたような表情で、肩をすくめながら帰っていった。

 さて翌11月19日、イタリアの空は青く澄み、ローマの秋は明るい日差しの中に快く暖かい。午前10時、聖天使城の舞台にはピアノが据えられ、配置の楽員が席につき、私は指揮台に上がって、オーケストラの立礼を受けたが、独奏者の姿は見えない。

 ソリストを見なかったかと尋ねても誰もが知らないという。いささか中腹になって来た私は、「ミスター、グールド」と大きな声で呼んでみた。すると「イエス・サー」と小さな声がして、コントラバスの間から厚いオーバーの上から毛糸のマフラーをぐるぐる巻きにした、青白い顔をした小柄な青年が出てきた。

 オーケストラに軽いざわめきが起こる。その青年はゆっくり弱々しい微笑を浮かべながら、一言「グールド」といって、右手を差し出した。「お早よう、気分はいいですか」と答えて振ったその手は、幼い少女のそれのようにほっそりとしなやかで、濡れたようにつめたかった。

 その手を引きもせず、昨日は一日中ほとんど食事もとれなかったし、夜も眠れなかった。寒くて仕方がないから、オーバーを着たまま弾くことを許してもらいたい、ゴムの湯たんぽを2つも持って来たがまだ寒いなどと、つぶやくような小声である。

 上衣を脱いでシャツの袖まであげている者も居るオーケストラと顔を見合わせつつ練習は始められた。私は意識して少し早めのテンポをとって提示部のアレグロを進めた。名にし負うサンタチェチリアの弦が快く響く。見ると彼はオーバーの襟を立て、背をまるくしてポケットに両手を差し込んで深くうつむいたままである。

 一抹不安の視線が集中する。やがてオーケストラは結尾のフォルティッシモに入り、力強く変ロの和音で終止した。

 正しく8分休止のあと、スタインウエイが軽やかに鳴り、次のトゥッティまで12小節の短いソロ楽句が、樋を伝う水のようにさらりと流れた。

 それはまことに息をのむような瞬間であった。思わず座り直したヴァイオリンもあれば、オーボエのトマシーニ教授は2番奏者と鋭い視線をかわした。長大な、時には冗長であるとさえいわれる第1楽章が、カデンツアをも含めて、張りつめた絹糸のように、しかし羽毛のように軽やかに走る。フォルテも強くは響かない。しかし弱奏も強奏も、ことにこの楽章に多い左右の16分音符の走句が、完全に形の揃った真珠の糸が無限に手繰られるように、繊細に、明瞭に、しかも微妙なニュアンスの変化をもって走り、流れた。

 それは時間の静止した一瞬のようでもあった。二つの強奏主和音が響くのと、すさまじい「イタリアのブラウォ!」の叫びとは、殆んど同時だった。彼は困ったような笑いをかくして、「手がつめたくてどうも」と、またオーバーの内へ両手を差し込むのだった。

 その夜の演奏会の聴衆も、翌朝の各新聞の批評も、驚嘆と賞賛をかくそうとはしなかった。私にとっても、オーケストラにとっても、快い緊張と、音楽的満足の三〇分だった。その前後、今日までに欧州各地で協演したチエルカスキー、フォルデスまたはニキタ・マガロフのような高名な大ピアニストたちとはまったく異質の、別の世界に住むこの若い独奏者の印象は、私にとってもまことに強烈だった。」 
 
  ラシャを着たる猫背の男手を延べてスタインウエイをいまかき鳴らす 蝶人

   愚かなる国の愚かな人々が愚かなる戦仕掛けたり75年前の今日 蝶人

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由良川狂詩曲~連載第6回

2016-12-07 11:38:35 | Weblog


第2章 丹波夏虫歌~ウナギのQちゃん
                     

「さあ、真っ黒なウナギのやつが、ヤナの中に入っているかな……」
 ケンちゃんはそばに誰かが立っていたら絶対に聞こえるんじゃないかと心配になるくらい心臓が強く鼓動を打つのを全身で感じながら、石ころと早い水流が邪魔になってきわめて歩きにくい川瀬を、素足のままで一歩一歩あるいていきます。
 息をこうグッとひそめて、仕掛けヤナに近付いていく。
 そして1、2、3でヤナを引っ張り出して、思い切ってその中を覗きこむ……
 でも、たいていは穴の中は、水にほとびて淡紅色になったテッポウミミズだけ。
 雑魚一匹入っていないヤナの中を、ケンちゃんは、顔を水面すれすれにくっつけて、何度も何度もよーく見たのでしたが。
 結局ウナギが獲れたのは、その夏綾部に滞在した1週間のうち、たった2回だけでした。

 生まれて初めて、ケンちゃんが、まるまると肥った真っ黒なウナギをいけどった日のよろこびを、何にたとえたらよいのでしょうか?
 そう、それはケンちゃんが、生まれて初めて国蝶オオムラサキ、学名Sasakia charondaを捕虫網にばさりと入れたときの、まるで飛翔中のツバメをなにかの間違いで捕獲したときのような、息を呑むような充実感としか比べようがありませんでした。
 その折に、ケンちゃんが感動のあまり唄った歌は次のようなものでした。

 加藤清正
 お馬に乗って はいどうどう
 あとから 家来が
 槍持って はいどうどう

 体長2メートル、直径20センチはあろうかという天然ウナギは、おばあちゃんのアイコさんの手でじょうずにさばかれ、特製のタレをまぶして、丹念に焼かれて、その夜おいしいカバヤキにされちまいました。
 が、しかし、ケンちゃんはどうしてもそれを食べようという気が起こらず、兄貴のコウちゃんが何倍もお代わりして、まるで子豚のようにムシャムシャ食べるのを見ているだけで、お腹がいっぱいになってしまいました。
 ケンチャンは、ほんとうはウナギをカバヤキなんかにしないで、いつまでも自分の手元に置いておきたかったのでした。
 バケツの中に入れて、ヌルヌルそしたその感触を楽しみ、魚くさいその臭いをかぎ、愛犬ムクのような顔をしたそいつに、チュッとキスをしてやり、そのあとでまたバケツの中に返してやり、そんな風にして、いついつまでも遊んでいたかったのでした。

 だから2回目にヤナにウナギがかかったとき、ケンちゃんは「こいつは絶対にカバヤキにはさせないぞ」、と固く決心したのでした。
 でもそのウナギは、カバヤキになってしまった最初の大きなやつと違って、とてもウナギとはいえないくらいちっぽけで、細長いウナギだったのです。
 ケンちゃんはこのウナギをはじめて見たとき、ヤツメウナギかちょっと太めのドジョウかと勘違いしたくらいでした。
 そのうえこのスリムなウナギときたら、ケンちゃんが両手でむんずとつかまえると、まるでマゾヒストのヤツメウナギのように、哀れな声で「ヒーヒー、キュウキュウ」と悲鳴を上げるのです。
 そうしてそのウナギは、絶望と悲哀に満ちたまなざしで、ケンちゃんのつぶらな瞳をじっと覗きこむようにするものですから、なおのことケンちゃんは、このウナギを殺したり、食べたりできなくなってしまったのでした。

「お前はキュウキュウ泣くからQちゃんだよ」
 そう命名してから、ケンちゃんは、Qちゃんの小さな口にチュッとくちづけしてやりました。

                              つづく


 KGBの犯罪をチェチェン人のテロと決めつけて無名のプーチンは人気を得たり 蝶人
 エリツィンの汚職隠しに献身的なプーチンはロシア大統領に成りあがりたり 蝶人
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フリードリッヒ・グルダ親子の思い出

2016-12-06 10:05:50 | Weblog


音楽千夜一夜 第378回


私は、昔は音楽といえばクラシック、クラシックといえばベートーヴェン 、ベートーヴェンといえばフルトベングラーの第9交響曲が大好き、という笑うべき超保守的人間で、モーツァルトなんて内容空疎な軟弱な2流の音楽家と勝手に思いこんでいました。

しかしどんどん歳をとっていろいろな音楽に接しているうちに、必ずしも「ベートーヴェンが硬派で、モーツァルトが軟派」ではないこと、2人とも天才ではあるが、どちらかといえばモーツァルトの方が神様に近いところにいるような天才的な音楽家で、ベートーヴェンは、そんなモーツァルトの音楽に迫ろうと懸命に努力を重ねた音楽家ではないかと考えるようになってきました。

極端なことをいうと、私にとってベートーヴェンの音楽は、人間的な、あまりにも人間的な音楽であり、モーツァルトのは(「神に愛されし人」という意味の“アマデウス”という名前が示す通り)天上から降って来る神様のような音楽なのです。

そんなモーツァルトの音楽は、いつどこで、誰の演奏で聴いても、私たちの心を楽しませたり、慰めたりしてくれるのですが、今宵はウイーンっ子のフリードリッヒ・グルダが演奏するピアノ・ソナタを聴いてみましょうか。

この「モーツアルト・コンプリート・テープ」6枚組は、題名通りもともとテープに録音されていたものを、CDに焼きなおしたものです。
1956年から97年にかけて、フリードリッヒさんがこっそり自宅などでテープレコーダーに録音しておいたのを、彼の死後、息子のパウル君が発見したんだそうです。

そして彼が、それを独グラモフォンから売り出すようにしてくれたお陰で、私たちはこの素晴らしいモーツァルトに接することができたのです。

それだけではありません。パウル君は偉大なお父さんが未完のままで放り出していたK.457の第3楽章を、できるだけグルダ風に追加演奏して、親子合奏完結盤を新たに制作してくれました。

私は父グルダには会ったことなどないのですが、1961年生まれの息子のパウル君には、かつて渋谷のタワーレコードでひょっこりはちあわせしたことがあります。

私が6階のクラシック売り場でCDを物色していると、すぐそばにひとりの若い外国人がやってきて、やはりウロウロしています。その顔がどうもどこかで見た顔で、よく見るとすぐ傍に張ってあった「パウル・グルダが渋谷タワーにやって来る!」というポスターの写真の顔なのでした。

あちらの国の人たちは、こちらの国の人たちと違ってべつだん知り合いでなくとも挨拶代りに笑顔を差し向けますが、このときもパウル君が私に頬笑んだので、急いで慣れない「頬笑み返し」をしながら私が、「もしかして貴君はパウルさんにあらずや?」と尋ねると、その青年ははにかみながら、小声で「イエス」と答えたので、私はそれ以来、パウル君の熱烈なファンになったのでした。

そんなパウル君が、亡き父君のために編んだ、私の大好きなモーツァルトのピアノ曲集は、これからも生涯の愛聴盤となっていくのでしょうが、どのソナタに耳を傾けても、聴衆をまったく意識しないインティメートな表情と赤裸の心に打たれます。

どうやらグルダは、モーツァルトその人に聴いてもらうために、深夜そっとベーゼンドルファーの鍵盤に触れていたように思われてなりません。

そしてその白眉は、ボーナスCDに付された「フィガロの結婚」の自由なパラフレーズ集ではないでしょうか。たった1台のピアノが、スザンナの、モーツァルトの、そしてグルダの生きる喜びと悲しみを、あますところなく表現しています。


  ああグルダのフィガロ この演奏を耳にせず泉下の人となるなかれ 蝶人

 参考 https://www.youtube.com/watch?v=1ssk4tfKcIM

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夢は第2の人生である 第38回 

2016-12-05 10:08:40 | Weblog


西暦2015年睦月蝶人酔生夢死幾百夜


同期入社の伊藤君を久しぶりに訪ねたところ、私と入れちがいに工場から飛び出してきた男がいた。そいつを追いかけながら「ドロボー、ドロボー、機密書類のドロボーめえ!」と怒鳴っている男をよく見ると、伊藤君だった。1/1

私は、次から次へといろんな薬を飲んだ。1/2

原稿の校正をしていると、知らない間に年配の女性が目の前に立って私の方を見ている。何の用だろう、それにしてもどうして何も言わないんだろう、と訝しく思っていると、日本広告のヨシハラさんが、「君、ササキさんに挨拶くらいしたらどうなんだ」と詰った。1/4

しかし彼女は相変わらず一語も発しないで、こちらをじっと窺っているばかりだ。すると吉原さんが、声をひそめて「実は彼女はもうだいぶ前に死んでいるんですが、時々こうやっていろんなところに現われ出るので、我われとしても困っているんですよ」と云ったので驚いた。1/4

久しぶりに詩を書いたのだが、途中で難航したので、どこかの誰かの詩を引用したら、これが渡りに船というやつで、次から次に自在な展開が可能になったので病みつきになり、いつもこの手法を活用していたら、いつしか自分の詩が書けなくなってしまった。1/5

展示会を開催するのをすっかり忘れていたので、焦り狂って四方をかけずり回っているうちに、尿意を催したのでトイレに飛び込んだら、そこはなんと巨大な美容院だったが、便器に似た丸いボールがいくつもぶら下っていたので、そこにオシッコをしようとしたら怒られたので、また外に飛び出した。1/6

善戦虚しく最後の決戦に敗れた我われは、村の外れにある一軒の農家に入り、傷ついた身を労わりながら、最後の一献を汲みかわしていたが、誰も「腹を切ろう」と言いだそうとはしなかった。恐ろしかったのだ。まだ死にたくなかったのだ。1/7

運動と闘争に敗れ去ると、定番のザセツの季節がやってきて、我われは所属するグループ別に、さながら動物園の猿のように、お互いを労わりあい、舐めあっていたのだが、広瀬さんだけは、それらの属を超えて、慈愛に満ちた眼で我らを見つめていた。1/7

飛行機から降りて飛行場を出ようとしたら、大勢の人々が待ちかまえていたので、急遽裏口に回ったのだが。なぜだか吉村さんが後を追ってくるので、引き離そうとどんどん走っていたら、いつのまにか道がなくなって、広い河原に出てしまった。1/9

仕方なく、巨大な岩石がごろごろしている河原を歩き続けているのだが、行けども行けどもいっこうに町が見えてこない。そのうちに夜になってしまったので、持参していたテントを張って、その中で眠ってしまった。

ふと目覚めると、なにか異様な物音がする。ゴウゴウというそれは、たぶん水音だ。これはいかん、このままでは洪水に押し流されてしまう、と思いつつも、これはきっと夢なのだろう、きっとそうに違いないと思い、私はまた眠りこけてしまった。1/9

今夜もバスターミナルへ行くと、門と佐藤が来ていた。出発時間はまだだが、超満員の長距離バスなので、だんだん暑くなってくる。上着を脱いで水を飲んでいると、車内にたくさんの白い鳩が迷い込んできたが、屋根が開けないので、大混乱が始まった。1/10

バスから飛び降りて暫く歩いていると、伝兵衛の家に辿りついたので、私は手に持った火を藁葺きの家に投げ込むと、家は一気に燃え上がった。1/10

外国の服を買おうと、カタログをパラパラめくっていたら、甘い香りのする若くて綺麗な女の子が傍にいて、同じページを覗きこんだ。1/11

村の寄合が終ったので、公民館から帰ろうとしていたら、おばあさんを連れた女の子から
「夜道は不案内なので、私たちと一緒に帰ってくれませんか」と頼まれたので、その顔を良く見ると、昼間の若くて綺麗な女の子だった。

二つ返事で引き受け、いろいろ際どい話もしながら家まで送り届けたのだが、おばあさんは御礼の一言も言わずに私を睨みつけるので、その顔をよく見ると、義母だった。1/11

障がい施設の子供たちが、先生に率いられて町の通りを散歩していた。その中に私の子供を見つけたので、最後列を一緒に歩いていたら、おまわりから「こらこら、なにをしとるんじゃ」と怒られてしまった。1/12

初めての大学での初めての授業なので、念のために2時間前から予習しながらスタンバッっていたのだが、もう準備万端整った、と思ったので、見知らぬ夜の街に出て、とあるカフェでノンアルコールビールを口にした途端、その場で気を失って倒れてしまった。実は普通のビールだったのだ。1/13

私はアルコール過敏症で、2002年の5月にも神戸で救急車で担ぎ込まれたことがあり、以来一切酒類は避けてきたのだが、またしても不覚をとってしまった。気がつけば吉田君が「大丈夫?」と心配そうに覗きこんだので、「うん、少し良くなった」と答えた。

私が「すぐに大学に戻らなくちゃ。いま何時?」と尋ねると、「7時10分だ」という返事。「しまった10分も遅れてしまった。30分までに戻らないと休講になっってしまう。ヤバイ。私がフラフラ立ちあがると、吉田君は「自転車が2台あるから大丈夫さ」と請け合った。

「僕が先導するから君は後からついて来たまえ」と云うので、言われるがままに暗い夜道を走っていると、昭和30年代の京都のような、賑やかだけれど寂しい駅前に着いた。ここはいったいどこなんだろう? 大学はどっちなんだろう? ときょろきょろあたりを見回したが、肝心の吉田君の姿はどこにも見当たらない。1/13

高くて大きな家からボヤが出た。家主が寝巻のままで門の外に出て、心配そうな顔をしているので、私が「もう大丈夫。もうすぐ鎮火するでしょう」というと「そうかなあ。さっき消防を呼んだけど、まだ来ないんだよ村田君」という。「村田じゃないよ、佐々木だよ」といおうと思ったのだが、どうしてだか私は黙っていた。1/14

建築学部の地下へどんどん降りていくと、ひどくぬかるんでいたので、磨きたての靴がずぶずぶ水たまりに沈んでいくのだが、そんなことは気にしないでさらに地下室の地下へと降りてゆくと、ヤクザのような若者が、紅いベベを着た少女をずぶずぶ犯していた。

その傍らには大勢の男女が、盛りのついた猿のように性交しているので、いたたまれなくなった私は、仕方なくもと来た階段を登って建築学部の外に出ると、商店やレストランが軒を並べている駅前広場に出た。1/14

我われは、野戦より籠城を選んだ。全員が城の中に入って、すべての戸や窓を閉ざすと、真っ暗になった。1/15

東京港区の愛宕山に行った。男坂天下の名馬「松風」に跨った私は、一気に男坂のてっぺんまで駆け上がると、お椀の頭をした詩句たちが「オイッチニ、オイッチニ、ソネットを作ろ、ソネットを作ろ」と掛け声をかけながら、一列横隊で急峻な階段を登ってくるのが見えた。1/18

そこで私は次から次へとうじゃうじゃ登ってくる詩句たちの間に、4列/4列/3列/3列の輪割れ目をガッツリ入れて、念願のソネットを作ることに成功したので、「エイエイオウ、エイエイオウ!」と勝ち閧を上げた。1/18

既に戦争が始まっていることを知っていた私は、できるだけ味方に近い敵の領地に向かって移動しながら、脱出の機会をうかがっていた。1/19

私はずっとNYのチェルシーホテルで暮らしていたが、そこへ友人のQが転がり込んできた。Qはそれまで何をしていたのか遂に語らなかったが、まるでずぶぬれの負け犬のような風体でベッドの上をごろごろしていた。1/20

ある日、私は町で乞食のような痩せこけた女と知り合ったが、どこへ行く宛てもないというので、チェルシーホテルの私の部屋に連れてきた。得体のしれない男女3人の共同生活が始まったというわけだ。

それから数日して私が外出から帰ってくると、ベッドの上でQと女がファックしていた。彼らは私が帰宅したと知りながら、猛烈なファックを止めようとはしなかったので、私はそのままチェルシーを出て、二度と戻らなかった。

それから、長い歳月が流れた。私は、その間にようやく乱れ切った自分と生活を立て直し、新しい仕事と人世を取り戻していたのだが、ある日突然思い立って、あのチェルシーホテルの懐かしい部屋を訪れたが、彼らの姿はなく、老いたカンボジア人が一人で住んでいた。1/20

「ヒエーー、助けてーー、わたしまだ死にたくない!」と大声で助けを求めて大暴れする大きな黄色い蝶のぶっとい胸を、左手の親指と人差し指で挟んで、うんとこさ力を入れながら圧し続けて、私はとうとう殺してしまった。1/21

L社の商品企画会議に出席を求められたので、遠路はるばる出かけると、室長が新製品の試作品を私に示して「これで行きたいのです」という。見ればそれは、何の変哲もない2枚のポリウレタンだった。1/22

「従来は白だったが、今度の新製品は、同じ素材を茶色に変える。要するに色変わりですな。大変結構」というと、同席していた20人ほどの連中が、一斉にぞろぞろ退席していく。残ったのは、私と室長だけだった。1/22

私は映画「新・気狂いピエロ」の演出を頼まれた。富める貴族と貧しい不可触選民が、2時間にわたって大殺戮を続ける日仏英米合作映画である。1/23

私の家の中では、夏だけでなく、冬になっても部屋の中を飛び回れるので、快適だった。パソコンの画面上の点点は、たちまち羽虫になって、部屋の中を私と一緒に飛びまわるのだ。1/24

夜中に駅に停車している電車に戻ってくると、ほとんどの連中がまだ起きていた。私は荷物を中央駅に預けたままだったので、明日列車が出発するまでに取ってきたいと思ったが、相談するべき駅員はどこにもいない代わりに、大勢のロシア人たちがラアラア騒いでいた。1/25

某国から、着のみ着のままのヴァイオリニストが亡命してきた。彼女はコンサートを開くときには、草の上に置かれた風呂敷包みの中から、とても小さなヴァイオリンを出して演奏するのだった。1/26

私は早撮りで有名なちゃらい監督だったので、撮影寸前や直後の妖艶な女優をいきなりその場に押し倒し、素早く事を済ませてから、何食わぬ顔をしてカチンコを叩いていた。1/29

蓮池君が、浅草の問屋で大量のおかきやせんべいを買い込んでいるので、「君はこれを餌にして魚釣りをするんだろう?」と尋ねたら、「とんでもない、これは自分で食べるんです」と答えた。1/30

私は打ち合わせに出ようとこの会場にやってきたが、どの部屋も大勢の人でいっぱいだ。その会合で私は、「なんたらフェア」について説明するように頼まれているのだが、その内容については、なにも知らないことに気付いた。1/31

これはヤバイと思って、私の仕事を依頼した人物を探して会場の中を走り回っていると、突然知らない人物から携帯に電話が掛かって来て、「至急お目にかかりたい」という。「今取り込み中だから後にしてくれ」と言うのだが、しつこくせがむので、私はだんだん頭に来た。1/31

インディペンデント映画館が減っているのはインディペンデント映画を愛するインディペンデントな人が減っているから 蝶人


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ジョン・フォードに捧げる歌

2016-12-04 20:55:57 | Weblog


これでも詩かよ第191番&闇にまぎれて tyojin cine-archives vol.1105


ジョン・フォード監督の「リバティ・バランスを射った男」を、またしてもみてしまった。

「リバティ・バランスを射った男」を何回みても、「リバティ・バランスを射った男」は、「撃った男」の間違いではないかと思ってしまう。

「リバティ・バランスを射った男」を何回みても、リー・マービンは悪い奴だけど、ジョン・ウェインはいい奴だなあと思う。
 
「リバティ・バランスを射った男」を何回みても、ヴァラ・マイルズ嬢のレストランのステーキ定食を食べてみたいと思ってしまう。

「リバティ・バランスを射った男」を何回みても、エドモンド・オブライエンの新聞社は、ジャーナリズムの王道を走っているなと思う。

「リバティ・バランスを射った男」を何回見ても、リー・マービンを撃ったのが、ジェームズ・スチュアートではなくて、じつはジョン・ウェインだったことを忘れてしまう。

「リバティ・バランスを射った男」を何回みても、ヴァラ・マイルズ嬢をジェームズ・スチュアートに盗られたジョン・ウェインが、可哀想になる。

「リバティ・バランスを射った男」を何回みても、『「リバティ・バランスを射った男」は、おもろいのお』と語った父のことが思い出される。

「リバティ・バランスを射った男」を何回みても、「リバティ・バランスを射った男」は、ジョン・フォードの傑作中の傑作だと思う。

「リバティ・バランスを射った男」を、私は死ぬまでに、あと何回みるんだろうか。


  粋筋の綺麗どころが映るので一入楽しい大相撲観戦 蝶人
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すべての言葉は通り過ぎてゆく 第41回

2016-12-03 21:09:21 | Weblog


西暦2016年霜月蝶人狂言畸語輯&バガテル―そんな私のここだけの話 op. 246


しばらく前は起伏のある長い夢を見たものだが、歳をとったせいかぶつ切れの短編ばかりになってきたので、なぜか寂しい。11/1

三笠宮の葬式代がおよそ2.8億かかるそうだ。いま日本の人口がだいたい1.2億だから、私もだいたい2円くらいは負担する勘定になる。別に払いたくはないのだが。11/2

「ミヤネ屋」の宮根と「みんなのニュース」の伊藤、BSフジの「プライムニュース」の反町なんとかが嫌いだ。だいいち顔が人間というよりは獣のようで、見るに耐えないし、喋りがしつこくて内容も聞くに堪えない。安倍蚤糞と同様、一日も早く引退してもらいたいものである。11/3

孤独なおばさんは、たまに外に出ると自分勝手なおしゃべりに夢中になって、それがいかに周りに迷惑を掛けているのかが、てんで分からない。11/4

スチーブン・セガールが米ロの両国籍を取得した。彼がどのような新たな沈黙の指令を受けたかは分からないが、すべて人がすべての国の国籍を取得すれば、国家が無化されてよろしいのではないか。11/4

「あぜくら会」の会員になった。歌舞伎は楽勝だが、文楽の3等席は猛烈なネット競争で、やっぱり取れなかった。残念無念なり。11/5

維新といい民進というが、所詮は自公と一つ穴のムジナ、平成大政翼賛体制である。11/5

先日の朝日俳壇に「八月や六日九日十五日」という句の入選が取り消されたという雑報が載っていた。これは昔から有名な句で荻原枯石という人の作品らしいが、稲畑汀子という選者はそんなことも知らずに選んでしまったらしい。11/8

これを「到底プロの業とはいえない」と指弾することもできようが、毎日毎日何千何万と押し寄せる投稿葉書に全部目を通し、たった10句を選ぶ仕事は誰がやっても大変だろう。つい上手の手から水が漏れたのではなかろうか。11/8

思うに選者の多くは、限られた時間に要領よく秀句を選ぶために、まずはすでに実績のある投稿者の作品に目を通し、しかる後にその他大勢の作者の葉書を見るのではなかろうか。かくして毎回常連の作品が多くなるのではなかろうか。

「ここのところは“無”だ。」ラファエル・クーベリック(ウイーンフィルとのブルックナーの4番のリハーサルから)。

仰向けに寝そべったまま彼女の脚を見上げ、わたしはこの不朽のせりふを吐いた。「ベイビー、わたしは天才で、わたし以外誰もそのことを知らないんだ」。そして彼女が紺不朽のせりふで答えた。「ほら、床の上から起きあがって座るのよ、この大馬鹿者!」中川五郎訳・チャールズ・ブコウスキー

わたしは自分だけの神と呼べるものに自分自身を投じた。単純明快さという神に。より簡潔に、より寡黙になればなるだけ、過ちを冒したり嘘をついたりする可能性は少なくなる。中川五郎訳・チャールズ・ブコウスキー

ゴーリキーは革命の後書くことが何もなくなってしまった。ドス・パソスは金持ちになって理髪師のような顔つきになり、今わたしがいるところの向こうにある丘で死んだ。中川五郎訳・チャールズ・ブコウスキー

セリーヌは偏屈な変わり者になって、笑い方を忘れてしまった。ショスタコーヴィッチは決して変ることなく交響曲第5番を作曲し、その後に続いたあらゆる交響曲の中でそれを何度も何度も繰り返し作曲し続けた。中川五郎訳・チャールズ・ブコウスキー

おや、子ブタのように醜く肥って莫迦丸出しのような仕草をしていた真木よう子が、急に美人になったなと驚いてよく見たら、沢尻エリカだった。いやNHK「アナザーストーリー」のMCの話。ザ・プロファイラーの岡田もいい加減で交代してくれないかな。11/16

メイラーはカポーティと同じように知的なジャーナリストになった。パウンドはどんどん暗くなっている。スペンダーは書くことをやめ、オーデンもやめ、オルソンは大衆に施しを乞うた。中川五郎訳・チャールズ・ブコウスキー

エイブラハム・リンカーンは黒人たちを憎み、フォークナーはコルセットを身に付けた。ギンズバーグは自らの音に吸い込まれて打ちのめされてしまった。そして老いたるヘンリー・ミラーは、いつまでも絶倫でシャワーの下では日本人の美女とファックし続けた。中川五郎訳・チャールズ・ブコウスキー

天才とはきっと深遠なことを単純な表現で言える能力のことなのだ。言葉は銃弾で、言葉は太陽の光で、言葉は運命や断罪を突き破って飛び出してきた。わたしは言葉と戯れた。わたしは縦にも横にもどりらにも読める短い文節を書こうとした。わたしは遊んでいた。遊ぶ時間は重要だ。中川五郎訳・チャールズ・ブコウスキー

わたしは長くてとんでもない見習い期間を過ごした。左にワイン、右のラジオからは、たとえば、モーツアルトが流れる中、タイプライターの前で死ぬべく、わたしはいくつもの陥穽が待ち受ける苦境を耐え抜こうとしたのだ。中川五郎訳・チャールズ・ブコウスキー

キンジニヤニヤ猫の声すればよ! ここは袋の御用ねずみよ! 中上健次「紀州」古座より

トランプからはTPPジョーカーを、プーチンからは北方ミサイルを突きつけられる。これで大甘ちゃんの安倍蚤糞外交も進退極まったな。11/23

天気予報なんておおかた外れるから莫迦にしていたのに、とうとう本気で降ってきた。みるみる道路に雪が積もって来た。車で桜ケ丘まで送っていったのだが帰り道は大丈夫だろうか。11/24

最近75歳になった萩本欽一氏がコントを指導し、みずからも演ずるNHKのテレビ番組をみたが、いやあすごい切れ味だった。お笑いからはすっかり引退してしまったと思っていたが、それはビートたけしの話で、現役の第一線がらくらく務まる。11/25

この季節になると喪中葉書が続々届くのだが、それをぼおうと眺めていると、われわれは自分が「死にゆく1匹の動物」であるという不動の真実から目を逸らしているからこそ、安気に暮らせているのだ、ということが分かる。1/26

キューバ革命の英雄、カストロが90歳で亡くなった。僚友で同志のチェ・ゲバラの方が圧倒的に人気があるのはよく分かるが、もちろんボロボロになりつつ長生きした方がよほど苦労したのである。1/27

最近ヤオフクにのめりこんでしまった。入札締め切りの間際に500円積み上げて競り落とし、ライバルたちにザマミロとアカンベーをする快楽はなにものにも替え難いが、その代わりにいつのまにか高い代償を支払っていることに後になって気づくのである。1/28

本音を言おう言おうとしても、なかなか言えないのは、それを言うことによってかろうじて平衡状態を保っている己の人格が、裂したり、凍結したりしてしまうことを本能が懼れているからだ。1/29

レオナルド・ダ・ヴィンチの絵を見ていると、肩が凝ってくる。絵ってそんなもんじゃあないだろがあ、と言いたくもなる。11/30


  「化石詩人」の下らない歌が朝日に出てる負けじとおいらも下らない詩を書く 蝶人
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なにゆえに第33回

2016-12-02 21:13:02 | Weblog


西暦2016年霜月蝶人花鳥風月狂歌三昧

ある晴れた日に第419回


なにゆえに東北も熊本も忘れ去られるお前が自分で忘れ去るから

なにゆえにカブスとインディアンズが世界一を争うマトンとフランコーナが名監督だから

なにゆえにセガールは米ロの2重国籍者となる「沈黙の調停者」となるべく

なにゆえに文楽の3等席はなかなか取れないたった7席しかないので

なにゆえにタヌキの三太郎は白骨になったカラスやセキレイに食べられたので

なにゆえにFBI長官はメール問題を蒸し返した大統領選を盛り上げるべく

なにゆえにトランプはヒラリーに勝つ本音が建前を打倒したから

なにゆえにトランプはヒラリーに勝った××××をムギューと摑んだから

なにゆえにトランプは大統領になった世界を劇画に塗り替えるべく

なにゆえに富士山大賞表彰式で起立する皇族の歌が披講されたおりに

なにゆえにすれ違った人をかすかに憎む男の癖に香水をつけていた

なにゆえにアウトレットてふ言葉に惹かれる安物買いの銭失ひなので

なにゆえに小池百合子がぶっ飛んでしまうトランプと朴大統領に押されたから

なにゆえに貯金も無いのにじゃかすか買ってしまうネット通販はすぐ買えるから

なにゆえにお風呂の元栓を消すんだおらっちまだ入っていないんだぜ

なにゆえに施設では暗い顔になる家ではニコニコ笑っているのに

なにゆえにロシアのプーチンに大サービスするどうせ全部タダどりされるのに

なにゆえに「つなみ!にげて!」に即応しないどうせ来ないとたか括っている

なにゆえに北方領土に円をつぎ込むロシアはミサイルをつぎ込んでいるではないか 

なにゆえに11月に雪が降る息子がぐあんばって施設へ行ったのに

なにゆえにいとも簡単に門前払いしてしまったのかいまどき珍しい越中富山の薬売りを

なにゆえに安倍蚤糞はTPPにしがみつく止めればもっとみじめになるから

なにゆえにちあきなおみは姿を消したもう一度唄っておくれ「黄昏のビギン」

なにゆえに山口百恵は引退したのかもう一度唄っておくれ「いい日旅立ち」

なにゆえに古稀以上の医療費負担が増えるキューバより貧しいこの国

なにゆえに有隣堂書店は遠ざかる里見弴の包装紙が懐かしい

なにゆえにたった9千歩で疲労困憊するこれでは明治の人にはなれないよ



なにゆえにドダメルが元旦コンサートの指揮をするお前さんにゃあ百年早いよ 蝶人

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西暦2016年霜月蝶人花鳥風月狂歌三昧

2016-12-01 21:14:07 | Weblog


ある晴れた日に第418回


富士山に歓声あげる僕ら乗せ修学旅行車激しく傾く

フクシマの悪夢また甦り天災は忘れた頃にやって来る

我ながら良く出来た文章が消えちゃったなかったことにして別の文書く

欲望を押さえられなかったと君はいうその欲望を私に寄越せ

台風が迫る川辺に立つススキ背筋を伸ばして生きんと思う

うな重を一気呵成に平らげて懸案事項を終えたるごとし

ロースかつを一気呵成にたいらげて息子は大事業を成し遂げたりき

煙草にもPeaceという名がついていたかつて我らが求めし平和よ

テレビ欄と死亡告知と「猫」を読み捨てられていく今日の朝刊

宝籤は当たらないけど障がい児は大当たりしたねと二人で笑う

できるだけ知的に見えるポロシャツを知的障がい者の息子と探す

人世は大一番の連続で我らは負けるが勝ったりもする

ニュースとはいえどおおかたは悪しき知らせ良きニュースのみ伝える新聞はないか

県道204の道端で死んでいたのは三太郎3本足の可愛いタヌキ
アルバムを見ながら昔の私は綺麗だったんだと呟く今でもあなたは綺麗ですよ

成長はもういい加減で諦めてみんなで仲良く分かちあいましょ

穂村氏の「近現代短歌」解説面白すぎてちびちびと読む

さて、わかっていただけますかねえ、この本のほんとのおもしろさを 

生協の指定商品を買ってあげるお兄ちゃんがあまりにもうれしがるので悲しくなる

もう一枚妻が掛けてくれたるタオルケット忝しとあたたかく寝る

さてどちらが莫迦だろう安倍蚤糞を選んだ日本国民とトランプを選んだアメリカ国民

いそいそと太平洋を渡ったポチ公が親玉ブル公のケツの穴を舐める

らあらあと騒いだ後は速やかにトランプ大統領にも慣れていく我ら

11時から4時半まで歌舞伎みてダリ展見れば疲労困憊

ダリ、ダリ、ダリ、お前は誰だ。ダリ、ダリ、ダリ、お前は無。

南仏のアルルの真昼に咲き誇る2本の向日葵生と死の花

我ながら拙しと思う歌なれど出来れば誰かに聞かせたしと思う


  勢は勢いよく塩を取りに行く制限時間はいっぱい 蝶人


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