こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

そうだ 京都に行って、青紅葉狩り・・・・京都旅行雑感(3)瑠璃光院

2022年05月01日 | 通勤・交通・旅行
四月半ばに妻とささやかな京都旅行をした、その備忘録。
全5回の第3回。


妻に瑠璃光院の紅葉の写真を見せられ、何が言いたいのかはすぐにわかった。
だが、ちょっと遠い上、拝観料も二千円と高い。
それでも、ネットではこの絶景、後悔することはないと書いてあるし、と説得された。

出町柳から叡山電鉄で宝ヶ池までとりあえず行った。
とりあえず、というのは、移り気な妻は鞍馬にも行きたいようだったからで、来ていた鞍馬行きに乗ったからだ。
半日で行って帰って来られるようなところではないと、あきらめてもらい、八瀬比叡山口行きに乗り換えた。

 そうだ  京都、行こう。

というコピーを考えた太田恵美という人はすごい。
ただ、関東地方の人間に、”そうだ”と、思い付きで”京都に行こう”と思わせるのはちょっと厳しいのではないか。
案の定、この人は京都の人のようだ。
それにしても、拝観料というか、入場料はどこも結構高いが、文化財保護にはいくらお金があっても足りないので、仕方ない。
実際、これほどのお庭を見せてもらえたのであればよしとしよう。
子供もおらず、静かに回った。
新緑の紅葉を”青紅葉(あおもみじ)”というのを初めて知った。
駅からはほんの2、3分で、すでに周りは目に鮮やかな新緑によって覆われていた。
そして、邸内に入って窓から見える絶景には言葉を一瞬失った。
たしかに、青紅葉だった。
たしかに一見の価値はあった。
写経をし、また、しばしお庭を眺めた。
そういえば、今回、写経を2カ所で行ったが、それ以来字を書く時に気をつけるようになった気がする。
心を込めて、これまでよりもゆっくりと字を書くと多少上手に書けるような気がする。

それにしても、いくつになっても感動できることというのはあるものだ。
妻はこのままロープウェイに乗って延暦寺に行くか、三千院に行きたいと言ったが、延暦寺に行ったら1日使うことになるし、三千院に行くにはタクシーを捕まえなくてはならないのだが、ちょうど誰かが乗っていってしまってしばらく戻ってこないらしく、両方とも今回はあきらめた。
そうだ また京都に行くのに、お金を貯めよう。

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年の離れたカップルが寂しい時間に公園散歩・・・京都旅行雑感(2)円山公園

2022年05月01日 | 通勤・交通・旅行
四月半ばに妻とささやかな京都旅行をした、その備忘録。
全5回の第2回。


残念ながら桜はすっかり終わっていた。
なんでも4月10日ごろに夏日があってその時にあっという間に咲いて、あっという間に散ってしまったとのこと。
そんな夕暮れの円山公園の枝垂れ桜の辺りを妻と歩いていたら、ずいぶんと年の離れたカップルが人目を避けるように、木々の間の小道に消えていった。

公園をこんな薄暮の時間に、さらには名物の桜も終わっているのに、親子とまではいかないまでも、軽く20歳は違うカップルが歩いていたら、それはもう私には不倫にしか見えなかった。
横を、歩いていた妻に、気になる二人がいると言った時には暗さも手伝い、姿はすっかり見えなくなっていた。
円山公園の手前で、どうも臨床医っぽい人が数人ずつで歩いていたので、学会でもやっているのかと思って調べたら、案の定大きな学会が開催されていた。
あの二人も学会参加者で、上司と部下関係だったのだろうか。

それにしても不倫というのはなかなか大変なことだ。
わざわざ人目を避けて、でも却って目立ってしまうようなことをしてまで頑張るのは、なにがそうさせるのか理解できない。
こうやって学会で出てきた先で逢瀬を楽しんだところで、やがていずれも家庭に帰って日常に戻り、その日常の中でさらに苦心しながら関係を続ける。

いつかは終わりが来るのに、いったん始めてしまったがゆえに終わることのない関係というのも大変だ。
思い余って離婚して、二人で一緒になったら、まあ、その時は当然同じことが繰り返されるだろう。
さらにそれまでに想像以上の人を苦しめることになる。
安井観音堂に参ってみては?

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縁を切りたいほどの恨みとは一体どんなものなのか・・・京都旅行雑感(1)安井金比羅宮

2022年05月01日 | 通勤・交通・旅行
四月半ばに妻とささやかな京都旅行をした、その備忘録。
全5回の第1回目。


このお宮のご利益が、

あらゆる悪い縁を切り、良縁を結ぶ 

これまでの人生、付き合いたくないと思う人はいたものの、縁を切りたいとまで思う人はいなかった。
もしかしたらそうすべきだった人はいたのかもしれないが、今となってはわからない。
幸いなことに現在のところ、目に見えて悪い輩との付き合いはないが、これはコロナ禍のおかげだろう。
わざわざお参りしなくてもよかったのだが、妻が、絵馬に書かれている願い事を読むだけでも行く価値はあると勧められたとかで行ってきた。
ひと様の書いた絵馬、普段何気なく読むが、ここの絵馬は想像していた以上に鬼気迫るものがあった。
縁切りというと、いろいろあるが、実名で縁を切りたい人の名前はおろか住所までが絵馬に書かれていたのには驚かされた。
これらを読むことで却って考えさせられることもあり、一読の価値はある。
絵馬掛け所には、

 ”写真を撮ってSNSに上げるようなことはしないでください。あなたも(トラブルに)巻き込まれるかもしれません”

というような注意書きもあった。
さすがは崇徳院にご縁のあるお宮だけのことはある。

本殿の横にはくぐり穴のようなものがあり、願掛けした後くぐって往復したのち、願いを書いた紙を貼った。
ちなみに着物姿の若者もくぐっていた。

私の願い?

弱いというか、優柔不断というか、そんな自分とお別れして、そうでないしっかりした自分になりたい、みたいなよくわからないことを書いておいた。
ぼちぼちか

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京都にきて鎌倉を考えた(四)

2022年04月19日 | 通勤・交通・旅行
 太平洋戦争で鎌倉、京都、奈良は文化財保護の観点から米国による空襲を免れた。ウクライナの現状を目の当たりにし、当時の日本が米国のおかげで貴重な多くの文化財を残してもらえることができたのはきわめて恵まれたことだった。これは考えようによっては人の命よりも文化財の方が大切だったともいえて、複雑な気持ちになる。ちなみに今般のロシアによるウクライナ侵攻は一方的な侵略戦争であって、ミサイル攻撃にも屈せずに徹底抗戦しているということは太平洋戦争を起こした日本とは立場が異なるため状況を比較することはできない。

 さて、その鎌倉と京都、鎌倉にあって京都にはないものが2つある、それは大仏と海。鎌倉長谷高徳院の大仏は鎌倉時代に造立されたらしいが由来詳細はほとんど不明。ただ、ずっと昔から長谷にあったことは確かで、鎌倉がただの田舎の寂しい漁村だった時期にもそこにあり続けたありがたい仏像だ。東京で育った私でも子供の頃から、この大仏があるということが、鎌倉が古都であることの唯一の証左であると感じていた。ある意味、鎌倉が古都であることを示す、子供でもわかるようなアイコンはほかにはほとんどない。さらには露座の大仏となったことが結果として東大寺の大仏とは違い、鎌倉が武家の古都であることを象徴している。
(こんなに楽しい頃もありました・・・2016年秋)
 今回の旅行中タクシーに乗ると、運転手も鎌倉なんぞ田舎の観光地、といった感じでたいていは小馬鹿にされたが、一人だけ
 
 鎌倉には海があっていいですね

と言う人がいた。京都そして大仏はある奈良にも海はない。鎌倉では少し山に登ったら海が見える。海を見たかったら、山の方に登ったらいいのだ。北鎌倉から大仏まで歩く途中でも海が見えるポイントがある(鎌倉ハイキング・・・大仏コース 2012年10月21日)。サーフィン、ヨットといったマリンスポーツを楽しむために鎌倉に引っ越してくる人も多い。そのせいで夏になれば日焼けした人そこいらをうろうろするようになり、そんなところも、野卑といえば野卑だ。これが平安末期ともなれば東国武士など地の果てからやってきた夷人そのものだったのではないか。

 久しぶりに京都を巡って文化の違いを実感できた。どうして京都の人(というか洛中の人)というのが排他的であるのか、学生の町として発展したことは街に活気を維持するという点で成功だったこと、鎌倉に花街はなぜないのか、など他にも色々考えたことはあるが、そういったことはどれも多くの人がこれまでに言及していることであり、素人の私がいまさらしたり顔で話すことではない。

 この先、京都に住んでみたいとは思えないが、また訪れてはみたい。ただ、それには一週間ぐらい休みが欲しいところで、それは勤め人でいるうちはちょっと難しい。
鎌倉殿はどうなるか

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京都に来て鎌倉を考えた(三)

2022年04月18日 | 通勤・交通・旅行
 今朝の鎌倉の気温は京都よりも低く、少し肌寒い。午後からは関東一帯雨になるそうで、楽しかった先週末はなんだかもうずっと前のことだったように思える。学会発表も無事終え、今週からは淡々と静かに過ごしていきたい。

 昨晩、NHK大河ドラマ”鎌倉殿の13人、第15回”が放映され、メインキャラクターの一人が命を落とした。すぐ近所でこういったことがかつてあったのかと思うとなんだか嫌な気分にになる。このドラマ、今から800年あまり昔の中世武士団の勃興期における人の命の軽重が伝わってきて、三谷幸喜のストーリーは素晴らしいものとなっている。

 おととい、”京都に来て鎌倉を考えた”というこのエントリーのタイトルを思いついたのは、京都から感じた”鎌倉”という地の遠さのせいだった。源頼朝を伊豆に配流した平清盛は甘かったのではなく、伊豆なんてところを遥か地の果てに感じていたのではないか。だからこそ、あんな温情をかけてしまったのではないか。

 その頃の京都からみたら、鎌倉など野卑な田舎都市であり、”武家文化の中心”といってもはるかに格下の街だ。ただ、そういう観点から考えると、源頼朝が鎌倉を再起の地として選び、発展させたというのは、日本の歴史に一つの変化を残したという点で偉業であった。

 鎌倉の人口は一時は10万人近くもあったというのだから、今とあまり変わらない人口密度だったのではないか。御家人のみならず、商人、農漁業者もいたであろうから大変賑やかな街だったろう。その一方で、京都では人々は静かに暮らしていたのではないか。ただ、その平和が鎌倉幕府によってもたらされたものなどとはあまり意識していなかったように思う。

 今でも、京都から見たら鎌倉など"そういえばそんな街もありますね"程度の扱いだろう。まあ、比較すること自体意味がないかもしれない。タイトルが微妙に何度も変更されていて申し訳ないが、もう少し考えてみる。
偉大な田舎だった

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京都に来て鎌倉を考えた(ニ)

2022年04月17日 | 通勤・交通・旅行
 昨日はちょっと飲みすぎて書いている途中で寝落ちしていて、またもや恥ずかしいエントリーになってしまった。酔いが覚めて、エントリーを確認したら中途で終わっていたことに驚き、とりあえず体裁を整えた。

 今日は嵐山観光。タクシーで松尾大社まで行き、それから渡月橋まで歩き、桂川を渡った。桜はどこもほとんど終わっていたものの、松尾大社では山吹が満開で大変きれいだった。
 昨日は雲はなかったものの、風が強くて、少し肌寒く感じることもあったが、今日の京都はとてもおだやかで、気温は23度、湿度も低く、観光にはちょうどいい気候だった。
 渡月橋を渡ったあとは天龍寺の塔頭を2ヶ所巡った。
 その一つは名園を有し、春の特別拝観という宣伝に引かれて入った。昨日の瑠璃光院もそうだったけど、ずいぶん綺麗にしていて、拝観料が高いのも理解できる。
 精進料理をのんびり食べていたら、あっという間に14時。帰りの新幹線は16時発だったので、急いで天龍寺の八重桜をみて、竹林の道まで抜けて帰ることに。
 嵐山を借景にした庭園見事。
 嵐山はどこもずいぶんな人出だった。タクシーの運転手によれば、観光客の日本人:外国人の比率は1:4だったそうで、「コロナ前は今日の5倍の人がいたと想像してください」とのことだった。いくら京都が広いといっても、この5倍も観光客が来たらさぞかし混雑していたに違いない。鎌倉だって今の5倍も人が来たらパンクすることは間違いない。
 今は帰りの新幹線、ほぼ満席で驚いているところ。

明日考えます

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京都に来て鎌倉を考えた(一)

2022年04月16日 | 通勤・交通・旅行
 せっかく神戸まで来たのと結婚記念日ということもあり、妻と京都で落ち合い観光することに。大河ドラマで鎌倉殿の13人をやっていることもあって、自分の住む鎌倉の歴史を今一度見直しているところで京都と鎌倉の違いを考えようと思った。だが、一日中出歩いてろくに考える暇がなかった。それは明日以降にするとして、今日訪れたところを忘れないうちに。

瑠璃光院
そうだ京都に行こうの春の特別公開


原谷苑


わら天神


修学院離宮


明日帰ります

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通勤時間のロスとゲイン

2022年01月06日 | 通勤・交通・旅行
 朝のうちは雲が少し積み重なっているのがみえるが、昼前には南岸低気圧の通過に伴って関東南部に雪が降る予報なので、一面鈍色となるのだろうか。

  鎌倉は東京とは違って、大雪になるのよね

  と出がけに妻がぼやいていた。実際、東京に比べて神奈川は大雪になることが多いので、車の運転には気をつけてもらいたい。

 往復の電車は日を追うごとに混み始めている。一昨日に比べて昨日はその倍ぐらいの混雑だった。今週いっぱいは学校の冬休みのようで、助かる。それに3学期は大学生が少ないのも嬉しい。

 毎日の通勤を最近ストレスに感じる。職場とある程度離れていることは、オンオフのために必要なことではあるが、私のように”とても”離れていると、それも度を越しているのかと思うことがある。通勤に往復4時間かかる生活には慣れているが、これまでの人生にとってどれほどのロスがあり、ゲインがあっただろう。

 ロスはもちろん時間だが、ゲインといえばやはりこのブログだろう。始めたころはガラケーによるメール送信で入力していたが、スマホが使えるようになってずいぶん楽になった。いずれにせよ、通勤時間の半分以上はブログ入力に費やしているので、そういう意味では、”通勤中に考えたあれやこれや”なんてサブタイトルをつけてもいいかもしれない。

 あとは、本を読んで、論文を読んで、ということに費やしているので、かんがえてみたらそうそうぼんやりはしていない。そうはいっても、あんまり時間がかかるのもどうかというところで、この程度が限界だと思う。
それにしてもよく遅れる

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悪いのはJR東日本かそれとも私か

2021年12月03日 | 通勤・交通・旅行
一昨日、昨日、今日と3日間滞りなく通勤できた。
こんなこと最近では珍しく、幸せな気持ちだ。

鎌倉から東京方面に向かう列車は不具合がやたらと多い。
横須賀線、東海道線、湘南新宿ラインの3線は千葉埼玉と直通運転をしているのでどこか遠くで何かがあっても、離れたところで遅れが生じる。
私は都心のターミナル駅で一度乗り換えるのでその先で遅れが生じることもある。

不具合には色々あり、人身事故はもとより、車両故障、異音、踏切内立ち入り、乗客の救護、車内トラブル、緊急停止ボタン、車内警報その他もろもろ、素人の私が思い浮かぶだけでもキリがない。
列車はその都度止まったり、減速したりで5分10分遅れるので、毎朝同じ時刻にに乗っているのに、職場に着く時間はバラバラで、遅れのため1、2分の遅刻になることもある。
今の職場は出退勤管理が厳しく、遅れたら理由を届けなくてはいけない。
カードリーダーは列車の遅延など忖度してくれなどしないのだ。

もちろん大雨など自然災害で遅れが出てしまいそうな時は私だってちゃんと対応している。
幸い遅れることはなかったが、一昨日だって30分ほど早い列車に乗って行った。
だが、あれこれのマイナートラブルによる遅延は予想がつかないので、そこそこピンポイントな時間を目指して行くことになるので、1、2分の遅刻というのにつながってしまう。

 さあ、あと少しで到着

なんてところで急停車して止まると列車内全体の空気が落ち込むのを感じる。
一緒に乗っている人も大なり小なり繰り返される遅延に落胆しているのだろう。

こういう羽目に陥ることが嫌で、早くに家を出るという手もあるが、乗り継ぎのことを考えると今のタイミングが最善で、ずらすのは躊躇してしまう。
だが、そういうことをしないで文句を言う私もまあ、多分努力が足りてはいないと自覚はしている。

ある時、立ち往生した列車の中から、妻に向かってLINEで、

 また、遅れているよ。

 と嘆いたら。

 あら、JRの人も大変ね。
 あなたもこころ穏やかに気をつけて行ってください。
 あと、笑顔でね。

と返事が来た。
鉄道会社の人が困っているということを真っ先に思いやれなかったことを恥じ入った。
結局のところ、JR東日本はサボっているのではないのははっきりしているので悪くはない。
私としてはビクビクしながらも大人しく乗車し、残念ながら遅れた時にはその都度事務室まで出向き、毎回その旨届け出ている。
999に比べたら

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電車の遅延とテロと安全と

2021年11月09日 | 通勤・交通・旅行
 大雨。

 ブログのエントリーを書きながら外を見ると、車窓を伝ういく筋もの水滴の跡が見れる。それらは流れ落ちるうちにガラスの上を走る風を受けてくっついたり離れたと形をさまざまに変える。列車が一番速度を上げているところでは、跡は薄くなって真横に伸び、再び駅に着くところで今度は真下に垂れいくつもの格子を作る。駅に停車中の間に模様は新たな雨粒で塗りつぶされ、列車が走り出すとまた筋が生まれる。

 今日の列車の運行は順調だと思っているが、それは私の乗った上り列車の話で、下り列車は総武線内での遅れの影響を受けているということで、鎌倉駅のホームは混雑していた。それに都内のターミナル駅に着いた時には2分ほど遅れていた。この程度の遅れであっても、今の腰痛の身には堪える。

 鎌倉から都内までの通勤はもう25年以上にもなるが、千葉、埼玉への乗り入れが多くなったせいで、どこかでの不具合が50キロ以上離れたところの遅れに影響が出るようになった。こっちでは妻の送り迎えの協力もあり毎日同じ電車に乗っているのに、病院に着く時間が遅れてしまうことが少なくない。そんなことによって生じた5分、10分の遅れをいちいち届けるのがけっこう面倒だ。

 列車の遅れならば諦めるが、昨今の車内での放火・傷害事件には恐怖を覚える。新幹線内での殺人、小田急、京王線内での傷害、放火、そして昨日も九州新幹線で放火。京王、九州新幹線は小田急の模倣犯だったようで、こんごも同じような人物は現れていくに違いない。日本の列車というのは安全、正確というのがモットーだったのに、どうやらそんなことを言って安心していることはできなくなってしまったみたいだ。

 地下鉄サリン事件に端を発する電車内無差別殺傷行為を防ぐにはどうしたらいいのだろう。乗客同士で監視するといっても限度があるし、先日JRが監視カメラで要注意人物、不審人物をチェックするというシステムはプライバシーの問題からか一部の監視内容は却下された(2021年10月11日 JR東日本の監視カメラ問題 「顔認識」導入に潜むリスク 日経コンピュータ)。そんなことをいくらやっても、京王線の事件のようにハロウィンに乗じての犯行などは防ぎようがない。今、目の前に座っている人、後ろに立っている人が何を考えているかなどわからない。

 毎日、ほぼ満員の電車に乗って思うのは、鉄道会社というのが人間を荷物扱いしてぎゅうぎゅうに詰め込むことによって収益を上げてきたというビジネスモデルを改めるべきだということだ。コロナ禍で減収減益だというが、それでも依然として車内は混雑している。これをなんとかすることから始めなくては列車の安全は確保できない。企業はテレワークをより一層推進すべきだし、地方への中枢機能の移設も考えるべきだ。政治の中心が東京に集中している必要はない。政治家がどこにいるかなんて、誰が気にしているのだろう。
シナリオはいく通りも

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少々遅い夏休みで軽井沢に

2021年11月02日 | 通勤・交通・旅行
 昨日今日と夏休みをとり、先週末から軽井沢に行ってきた。コロナ対応で夏休みをとっていい期間が11月末までとなったので、明日が休みということで5連休となるように休むことにした。

 昨日一昨日に載せた写真の通り、雲場池をはじめとして、軽井沢は紅葉真っ盛りだった。ホテルの部屋の前の木も綺麗に色づいていた。山を降りてきたら、まだ始まっていなかったが、振り返ってみると遠くの山が美しく輝いていた。

 今年のNHK大河ドラマ、晴天を衝けの舞台のひとつである群馬を通り、世界遺産富岡製糸場に寄った。ガイドツアーの最後に、なぜ、ここが世界遺産になったかということを教えてもらい、明治5年に日本が世界に飛躍する礎ができたのだということを知った。
日本てすごい国

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緊急事態宣言解除とともに帰ってきちゃったヨッパライ

2021年10月21日 | 通勤・交通・旅行
 今朝は様々な形の雲が出ていて、その名前がひとつもわからず少し残念だった。これからは雲の画像をネットで探せば名前も出てくるだろうから、いまさらにわか知識を仕入れることもないだろうから、雲の名前は入道雲(積乱雲)ぐらいしか覚えられないだろう。そういえば清原果耶演じる気象予報士が主人公のNHKの連続テレビ小説『おかえりモネ』も今月いっぱいとのこと。彼女のファンである私としては、あの少し寂しげな顔を見ることができなくなるというのは名残惜しい。

 昨日は夜までやっぱり忙しかった。カンファレンスが長引いて、帰りの電車に乗ったのは21時少し前。車内は意外と混んでいて少しびっくりしたが、もっと驚いたのがヨッパライの姿。数人でメートルをあげているようなサラリーマンを久しぶりに見たと同時に嫌悪感を覚えた。他にも一人でドアにカバンをぶつけ続けているような若い男性がいたり、そろってゆでダコのようになっている大学生ぐらいのカップルがいたりと、緊急事態宣言の解除とともに”ヨッパライ”が電車内に帰ってきたのだ。

 私にヨッパライを責める資格は一切ない。だが、これを機にヨッパライに寛容な国というのは改めることができるのではないか。少なくとも、車内で大声で喋っているようなヨッパライや、暴力を振るうようなヨッパライに対して、強い姿勢で立ち向かうということは、その最大の被害を被っている鉄道会社にしてみたらチャンスだと思う。禁酒法を望んでいるわけではなく、マナーとして泥酔した状態で公共交通機関を利用してはいけない、というようになってほしい。

 それにしても不思議なのは、家で妻を相手に晩酌している限りは”ヨッパライ状態”になることはないのに、外で飲むとヨッパライになってしまうということ。心理的、肉体的なアンバランスがあのような状態を引き起こすのだろうが、この先外で飲むようなことがあったら、私も気をつけよう。飲食店にしてみたら、忘年会に間に合ってよかったというところだろうが、できたら飲むのは本当に気心の知れた人同士だけであって、職場などで集まる飲み会は増えないでほしい。
開き直ってはダメ

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JR東日本もお疲れ様です

2021年10月08日 | 通勤・交通・旅行
 昨晩は、夕食でワインを一杯やったあと、気分良く少しうとうとしていたところに緊急地震速報で酔いが覚めた。東京で震度5強というだけあっての正真正銘の大きな揺れで少々慌てたが、すぐに収まりほっとした。都内の母に電話して安全を確かめてから寝た。

 今朝は横須賀線がほとんど動いておらず、参った。おまけに大混雑。ひと列車やり過ごしたらいいだろうと思ったら三十分ほどやってこない。諦めて次のには乗ったが各駅で時間調整をするものだからいつもの1.5倍ぐらいかかってしまい、へとへとになりながら病院に着いた。昨晩、帰宅に重なった人はお気の毒で、それよりはよほどましだ。

 大地震とこれに続く帰宅困難。いいシミュレーションとなったといえばそうなのだが、大都市にかかわって生きるというのは恐ろしいことだ。鎌倉にこもって生活ができるようになる日が待ち遠しいが、それはまだ先の話だ。

 仕事の方もなんだか1日調子が出ないまま終わってしまった。帰りは帰りで、ダイヤ乱れは続いていた。モバイルSuicaの不調はJR東日本を責めてもいいのだろうが、天災は逆に気の毒になる。
やっぱり備えよ常に

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JR東日本のモバイルSuicaに振り回された2日と5時間

2021年10月07日 | 通勤・交通・旅行
 一昨日の朝からJR東日本のICカード乗車券Suica、正しくはモバイルSuica、に不具合が生じて、私も利用者の一人として被害を被った。一昨日のうちに一旦は、”障害は復旧しました”という知らせが来たのに、ちっとも復旧しておらず、昨日は不安なまま通勤した。さらには”今日中に処理しないと定期が消えてしまう可能性がある”というメールが来てあわてて処理したが結局復活せず、さらに不安を抱えたまま寝た。

 私のような気の弱い心配性の人間にとってこういうことは結構ダメージになる。妻など”あなただけじゃないんだから諦めたら”などという感じで、私もそれを見習わなくてはならないと思ったものの昨日は一日中、何かにつけ気になってしまった。今朝五時に復旧するということだったが、四時半には目が覚め、うつらうつらしながら五時過ぎに操作したら何事もなかったかのように復活した。お陰で今日は寝不足。

 昨夜、駅員に復旧のめどについて尋ねた時の木で鼻をくくった様な対応には辟易したが、話すうちすぐに私がネットで知っている事のほかは何も知らないとわかったので、諦めて帰ろうとしたら、横から私より少し若い男性が”俺も、同じだよ!”と息巻いて文句を言い始めた。”こちら(駅員)もわからないみたいですから”となだめてみたが、なかなか腹の虫が治らない様で、抗議をはじめた。ラチがあかないのはわかっていたから、私はその場からフェードアウトした。少し離れてから後ろを振り返ったらまだまだ続きそうな雰囲気だったが、鬱憤を晴らすことはできただろうか。

 先ほどネット上で調べ、余分に引かれたお金はなかったことが確認できたので、被害はなかったことにされてしまうのだろうが、対応するために被った精神的、時間的な被害への対応はない。メールで一言”申し訳ありませんでした”では、顧客サービスとしては片手落ちだが、これ以上の対応を期待しても無駄だ。せめて、今後はこの様な事態が2度と起こることのない様努めてほしい。みずほの様に、全体のわかる人がすでにおらず、一体何が起きているのか調べようもない、などということにJR東日本がならないことを祈る。
カード式の方がまだいいか

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これはツイていないのか、それとも実はツイているのか

2021年05月10日 | 通勤・交通・旅行
 今年はバラの当たり年らしく、ほうぼうで見事に咲く様々なバラを見る。わが家のバラもそれなりに咲いてくれて、喜んでいる。とくに、この冬に苗を植えたのが見事な大輪の花を咲かせてくれたが何より嬉しい。苦労して穴を掘った会があるというものだ。
 腰痛は一向によくならないが、病院で顕微鏡の前に座っている限りは問題ない。通勤でも、座ることが出来てしまえばまあ大丈夫。そんな私は、毎日、神奈川県から東京都内へ片道2時間近くかけて往復している。電車に乗っている時間が長いとそのこと自体がストレスとなる。とくに乗車マナーの悪さは最大のストレスであり、露骨に嫌な顔をしてしまったり、舌打ちをしてしまったりするため、身の危険を感じたことも1度や2度ではない。それでも、今まで何とか生き延びているわけで、これというのは幸運といえるのだろう。
 乗車マナーの悪さというのは、もうその人本人の問題であって、そのことに対して文句を言ったところで直してくれないので意味がない。そんな私にしてみても、気が付かないうちにひどいことをしていることがあるはず。”たまたま”スマホを開いた時にすれ違った人からみたら、立派な歩きスマホでマナー違反だ。スマホをいじりながら歩いてくる人にぶつかって怪我をさせたなんてことが事件になっていたが、歩きスマホの方が悪いのに、それでも怪我をさせてはいけないということになったみたいだ。つくづく電車通勤というのはストレスが多いものだと感じる。
 電車が来て、いざ乗ろうと思ったら自分の並んでいたドアから降りてくる人がやたらと多くて両脇のドアから乗ってきた人がどんどん座ってしまう。
とか、
 すんなり乗ったのに、今度はそのドアのところだけがやたらと混んでいたりとか、
 そんな時、ツイてないと思うのは馬鹿馬鹿しいことだろうか。それとも、こんな時は2、30分立って足腰の鍛錬になるとでも考えてツイていると考えるべきか。
 こんなこと考えてしまうこと自体、自分で余計なストレスを生んでいるわけで、バカバカしいことだ。

 こんなことなら自動車通勤にしたらいいのかもしれない。マスクは外していられるし、なにより歩きスマホの人が前から突っ込んでくることもない。毎日毎日1時間半ぐらいハンドルを握るというのも面倒だし、運転の下手な人の後ろにでもついて距離を詰めたらあおり運転なんてことになっても困る。それに、ながらスマホ運転の車に突っ込まれる危険もある。
一生痛勤地獄

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