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こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

子供はなぜ、小石を蹴るのか。今朝の場合は雪の小塊

2011年02月16日 | 日々思うこと、考えること
とても綺麗な霜柱を見つけた。


一昨日の雪がまだ至る所に残っている。
朝の通勤路、行き交う子供達が、雪の固まりを蹴りながら学校に向かっている。


霜柱を踏む、というのは、今でも時々してしまうが、雪の固まりを蹴る、ということは、しない。少なくとも私は、一向に蹴ろうという気にならない。
小学生、いや、中学生くらいでも思いっきり、雪の固まりが粉々になるほど蹴っていたはずだ。

それが、いつから、蹴らなくなったのだろう?

一つには、通勤で、雪の固まりが単独で存在するような状況になりにくくなったということがあろう。
都心の駅前の横断歩道に雪が残っていることはあまり無い。また、そのようなところで、除けた雪の小山を蹴ったり、固まりを踏みつけたりというようなことをするのは気がひける。

しかし、それよりも、なによりも雪の固まりに興味がわかないのはなぜか。
雪の小さな固まりというのは、小石のようでいて、そうではない。
やがて雲散霧消してしまう、はかないものだ。
また、よもや人にぶつかっても怪我をさせることは、まず、ない。

そういった、安心感のある、’小石’だ。
そもそも、小石を蹴ることもしなくなった。

子供はなぜ、小石を蹴るのか。
世の中では、すごくたくさんの子供が小石を蹴っている。
大人で、小石を蹴っている人もいるにはいる。だが、子供ほど必死ではない。

雪の降った翌朝は、雪の小塊。
すれ違う子供の5人に一人は蹴っていた。私の方に蹴ってしまって、「スミマセン」とかいいながら、小塊を一生懸命追っている子もいた。

子供に聞いても、おそらく理由はわからないだろう。「だって、面白いんだもん」で、終わるにちがいない。

ググっても、私のように自問している人はいたが・・・
何故だろう、だれか教えて下さい。