墓参りに行ってきた。いつものお彼岸と違い鎌倉市内に入ってくる車はとても少ない。
お墓では、家族が無事に過ごさせてもらっていることを御先祖様に感謝し、手を合わせた。
原発事故は終息がなかなみえてこない。ついには、一部の農作物から規制値をこえる放射能が検出されたとのこと。とても残念だ。
東京、神奈川は福島から200㎞以上離れており、すぐさま被害が生じるわけではなかろうが、風向きによってはどのような事態に陥るか、予断を許さない。多数の外国人が国外退去を始め、私の周りの日本人も関東地方から西日本に移動し始めている。関東圏の2千万以上の人が移動したらそれだけで、パニックになることはあきらかだ。
少なくとも、私に出来ることといえば、状況を注視し、いざとなったら、屋内に避難するというのが関の山だ。
東京一極集中がこのような事態を招いたということを私は実感する。東京で育ち、仕事をするようになってからも勤務先は常に都内。神奈川鎌倉に住むようになってもそれは変わらないし、この先も変えることは難しいだろう。
比較すればキリがないが、自分こそ、東京の機能を最大限利用してきたと感じざろう得ない。
結局は、私にとっての幸せも不幸せも私が引き寄せてきたのだなと、気がつく。
それでも、墓参りに行き、花を手向け、線香をあげる。
繰り返しのなかで、人は年を重ね、世代を重ねていく。