生きているだけで、人は他人に迷惑をかけている。
だが、そんなこと言っていては生きて行けないので、少々の迷惑には目をつぶるとして、社会にはそれなりのルールとか、マナーがある。
姪のお祝いに、今朝和菓子屋さんについてもらった一升餅と、昨日買ったプレゼントを持って出かけた。11月最後の土日、好天にも恵まれ鎌倉は大変な人出だった。こういう日は日中に車で出ることは極力避けているのだが、今日はそうもいかない。行きはせれでも良かったのだが、帰宅時が大変だった。どこもかしこも道路は人であふれ返っていて、人も車もにっちもさっちもいかなくなっていた。これに加えて、人力車とか大型観光バスまで走るとなると、もう混沌と言っていい。それでも、互いに気をつけるほどとなって、目立った事故が起こっていないのが不幸中の幸いだろう。
というようなところで、ある車も人も通りの多い交差点で停止線のところで信号待ちをしていたら、後ろの駐車場から無理に車を出した管理人が少し前に出ろと身振りでいってくる。前から観光バスが曲がって来ているのにそんなことをさせていったいどういうつもりだと、文句のひとつでも言おうと思ったら横に乗っていた妻にたしなめられた。「あの人達の身にもなってみなさいよ、無理にでもああしなきゃいけないのだろうから。あと、近所でそういうことはしないでちょうだい」と言われた。
今朝、パン屋でレジのところに品物を持って行ったら、こちらの顔も見ず、何も言わずにいきなりレジ打ちをはじめた店員に、「おはようございます」とこちらから言ったという話をしたら、同じような調子で妻に文句を言われた。「忙しかったんでしょ、それにその人に、私や娘がなにかされたらどうするの?」と。
どちらも、納得するしかないことだけど、どうも釈然としない。交通ルールを守ること、たとえば高速道路で車間距離をとっていたら、割り込まれてばかりで、後ろの車には追い立てられもする。人と人のやり取りなのに、挨拶一つない商店。電車の中のトラブルのほとんどすべてがマナー違反が原因だ。昔は、なにか勝手なことをやって開き直るのはそのスジのひとがすることだったのに、いまでは誰でも、私もそうかもしれない、すぐに開き直って自分を正当化、すなわち逆ギレする。そして、逆ギレしたほうが、だいたいの場合得をする。
「あんな人にかかわるのはやめておきなさい」なんて、今では「人にかかわるのはやめておきなさい」となりつつある。
社会が息苦しくなっている時だからこそ、互いのルールを守って、互いに気持ちよく過ごしたいと思うのだが、なかなかそういかない。
価値観が大きく転換しているというのはわかっているけれど、では、自分も自分勝手な人間になっていいのか、それとも迷惑な人に迷惑と言わない人間でいたほうがいいのか。よくわからない。
怒りたくて怒っているわけではない