最近、あれこれのことに対する注意力とか記銘力が落ちているとよく感じる。年齢のせいだとは思うけど、慌てないように一つ一つを丁寧にしたらいいのに、それができていない。昨日なんて怖くておかしな夢をみたのだから気をつけようと思っていたのに1日の終わりに失敗が待っていた。
昨晩の帰宅時、下の横須賀線で座ることができ、座ってすぐにマフラーを取った。1時間近く乗っていると途中で気持ちが悪くなるからで、マフラーは膝掛けに変わる。昨日使っていたマフラーは極寒用の大判のもの。10年か20年前に義母が誕生日プレゼントでくれたものだった。うつらうつらしているうち、気がついたら大船を過ぎていた。慌てて降りる支度をするが車内は結構混んでいる。そうこうするうち鎌倉駅についてしまって、マフラーを巻く暇がなく、仕方なく手に持って降りた。鎌倉駅まで妻が車で迎えに来てくれていたので、私の帰りに時間を合わせて同じ列車に乗って来た娘とともに車に乗り込んだ。車を降りて家に入ったところで、マフラーがないことに気がついた。車の中に忘れて来たと思い込み「どうしよう?」と妻に相談したら、「明日の朝行くときででいいじゃない」ということで昨晩はそのままにした。
ところが今朝、送ってもらおうと車に乗ったら、無い。車の外にあるということ。そうなると、鎌倉駅で横須賀線を降りてから車に乗るまでの間に落としたということになる。まずは、鎌倉駅で確認しろという妻の指示に従って、駅員さんに聞いてみる。遺失物の確認をしてもらったが、そのようなものは届いていない、とのこと。とりあえず次にやって来た列車に乗って、どうしたものかと気を揉んでいた。温かくていいマフラーだから、いいと思ったら持って行っちゃう人もいるだろう、もう出てこないかもしれない。早くもマフラーにまつわるいろいろな思い出が蘇って来て、少々涙目になる。そんなところで妻から写メがきた。
植え込みのところに畳んでおいてあったという。どうやらどなたか近所の方か新聞配達の人かが拾って置いてくれていたようだ。まったく幸せの青い鳥だ。
こういう失敗をすることの原因が年齢による脳の機能が落ちているためというような錯覚に陥るがそうではないと思う。膨大な経験が脳の皺に刻まれていて、「こうしよう!」と考えた時に、「ついでにこれも」とか、「それならこれも」だの、いろんな指令があちこちから一遍に出てくるためだと思う。敢えて歳のせいにするならば、欲張りになったからとでも言えるだろうか。
昨晩であれば、「電車を乗り過ごさないように降りる」「早く目を覚ませ」「コートのチャックを閉めろ」「マフラーを首に巻け」「ヘッドフォンをしまえ」「定期を準備して」などというのが一遍にきて一気に忙しくなったところで、「マフラーを首に巻いている暇はないから手に持って」ということであたふたしてしまった。階段を下りながらマフラーをカバンにしまうか、手に持ったままにするか悩みながら改札を抜けたあたりで、マフラーについての記憶が途絶えた。取り敢えず車に乗って妻の顔をを見たらホッとしてしまったのだろう。
家に入った時に一度は思い出したけど、寒さのせいにして放っておいたのだから、怒ったマフラーに私が懲らしめられたのもわかる。
一つ一つを丁寧に