こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

大発見はまたもお預け

2018年06月08日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

54にもなって、いまさら大発見も何もないが、「あれ?こういう所見って、今まで報告されていなかったのではないかな。」なんていうことに遭遇すると、年甲斐もなく色めき立つ。

病理診断の場合、文献を調べたら大抵の場合すでに誰かが症例報告していて自分の勉強不足を知ることとなるが、オリジナルの研究だとその確率は低くなる。

さて、先日目前に迫ってきた病理学会の準備をしていたら、その「あれ?」という所見があった。「もしかしたら、これって新しい知見なのでは?」と内心大喜び。細胞の再生過程での形質変換の可能性があると考えた。

でも、やっぱり、というか昨日もう一度別の症例について検討したら、それほどでもなかった。というか、ある程度は予想していた新しい知見ではあったのだけど、それを越えるほどのものではなかった。もちろん、”もの凄い”大発見ではなかったけど、それなりに良い研究成果で、新しい施設に移ってから1年で出したデータとしては十分満足のいくものだ。PubMedで文献を検索したら、似たような報告もあったけど、着眼点は異なるので論文にはできそうだ。

そんなに簡単に、次の次の結果は出てこない。

ポスター発表の準備は今日けっこうできた。あとは、講演の準備。

図表は揃った

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人生とはこういうものなんだ

2018年06月08日 | 生き方について考える

Eテレの「世界の哲学者に人生相談」という番組を観ていたら”良心を取るか、自分の夢を取るか”という”思考実験”が行われていて、その中でのゲストの哀川翔さんの「そいういうものだと考えますから」という言葉が印象に残った。観ている途中で夕食となり最後まで観なかったのでどんな風に終わったかはわからなかったけど、感心した。彼の言いたいことそのままではないだろうけど、『人生というものは、そういう状況になったとしても、自分の選択が正しいか間違っているか、というものではなく、ある意味運命論的にそのようになるものなのだと受け入れる』ということなのだと解釈した。

運命は決まっているものではないし、自分でその都度選択していくことはできる。それは今日読み終えたクリスマスキャロルのスクルージにしてもそう。

私にしてみても、ブログを始めて10年目にして初めて、昨日の記事の中で自分の専門領域を明らかにした。これはこれで結構な決断だったけど、後悔はしていない。潮時、というかそんなものなのだったのだろう。

以前、同僚と話していたら「こんなものですよ」と言われたことがあった。その時はなんだか投げやりな人だと思ったけど、本当はそう考えて、起こったことを受け入れいていたのだとあとでわかった。

他者への期待とか、そういうものではなくって、全ては自分で全てを受け入れる。その都度の決断が正しいとか間違っているとかではない。

人生なるようにしかならない、とも似ているけど、ちょっと違うような気がする。”なるようにしかならない”より”こういうものなんだ”の方がちょっとだけ、人生をより主体的に捉えているような気がする。”なるようにしかならない”は「放っておいてもなんとかなる」だけど、”こういうものなんだ”は「努力をしても、時に報われないこともあるが受け入れる」という感じだ。

努力をしても、良心にしたがって生きても、その思いが報われないことはしばしばある。それよりも、努力するべき目標があること、良心を発揮すべき局面がある人生であることを受け入れ感謝して生きることが大切だということだろうか。

すべてを受け入れる

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