先輩の先生たちが定年とかで第一線から退くようになって、だんだんとあちらこちらのあれこれの仕事が回ってくるようになった。
処理能力の有無にかかわらず、次の私たちの世代が対応しなくてはいけない。
同世代ではすでに教授とかに出世して活躍している人は何人もいて、そういう人がみんなで手分けしてやってくれたらいいと思うのだけどそうもいかないようだ。そういう人たちはもちろん教室の運営もあるし、外の仕事も大きな学会の運営とかに関わっていて、それより小さな、ずっと小さな仕事には手が回らず、そういったことが私のような末端のところに持ち込まれてくる。小さい仕事と言っても、数十から数百人は関わっているので、適当にうっちゃっておけばいいわけではない。どれももうしんどいからと断ってしまいたいのだけど、そうもできずに引き受けてしまう。その挙句、仕事がもうパンパンになっている。
「もう、あれもこれもでほんと、大変だよ。」と妻にこぼしたら。
「文句言ってもしょうがないでしょ!今までそれにぶら下がってやってきたんだから。今度はあなたがそれをもり立てていくのが筋っていうものでしょ?ついでに言っておくけど、そういう仕事をする時にイヤイヤオーラを出しちゃダメよ。あなたはそれがよくわかるんだから」
と、だめ押しまでされてしまった。
ぶら下がってきた、というかこれまで多くの先輩方のお世話になってやってきた。思い返せば、社会人になってから自分で頑張ったことなんてほとんどない。全て、素晴らしい先輩が、時には後輩が私がより良い方向に進むことができるようにお膳立てして、助けてきてくれた。そうしてくれた人のことは良く覚えているし、どうしてくれたかも良く覚えている。
ならば、今度は私がそれをする番。
それも、「いやいや」ではなくて、「喜んで」。
人生で起こる出来事の多くは人との関わりの中から生まれ、人との関わりの中からやるべきことが出てくる。そう考えてみたら、人間、自分でやっていることなんてほんの少ししかない。それら全てのことに対して自分は幸運な人間だと感謝の気持ちを持っていたら、嫌な顔一つしないでやっていけるはずだ。
感謝の気持ちを忘れずに