昔から知っているコメディカルの人が、医者からこっぴどく怒鳴られた、という話を噂で聞いた。伝聞だから、どんな状況で医者の怒りを買ったのかは、その場にいなかったので正確なところはわからない。噂話として私に話をしてくれた人は、その人がちょっと不器用なところを取り上げて、からかい気味に話していたが、僕は逆にその人のそんなところを突かれたことが気の毒だった。僕はその人の不器用な分丁寧に仕事をするのがいいと思っていた。
人間関係で気をつけなくてはいけないのは、立場の違いを考えないで他人を圧迫することだ。何の気なしに、職権とか立場が上の人が下の人に文句を言うのは簡単だ。でも、言われた方はどうだろう?逃げ場はなく、せいぜい言い訳しかできないのに、激昂している人間に怒鳴り散らされたらその言い訳までかき消されてしまう。仕事だから、逃げることもできない。ひどいことを言われて平気な人なんていない。慣れてしまう人もいるかもしれないが、気持ちが鈍化してしまったに過ぎない。
僕自身、以前にも増して色々なことを考えてしまうようになって、その怒られた人のことを思い出した。一人で怒られ、一人で抱え込んで、辛かろうと思った。いじめとか虐待、ハラスメント、そういうものは、すべてがそういったことを”する側”の想像力の欠如から生じる。だから、人を殺してはいけないのだ。
自分がされて嫌なことを人にしてはいけない。それがなかなかできないのはなぜか。それは、字面だけで考えているからではないか。僕はこれまで、ずっとそんな人間だった。口では、というかこのブログのなかでもそんなことを書いてきていたけど、果たして僕はその人の気持ち、立場を切実に考えていただろうか?自分が老い、人間関係に疲れ、仕事に追い込まれ、重いストレスを感じて、初めてほかの人の思いに考えが向かうようになったのかもしれない。人間は優しくなろうと思えば優しくなれる。怒りをコントロールし、その怒りの源を想像力によって封じ込め、優しさに転換させることができる。
感情を理性に変える