娘が留学で渡英して3週間ほど経った。次に帰ってくるときは、社会人としてだろう。息子も結婚して独立してくれたので、私たち夫婦の子育てはほぼひと段落、夫婦水入らずの生活がやっと戻ってきた。結婚して1年半ほどで子供ができたので妻と二人きりの生活はあまり長くなく、今更ながら妻と二人の生活をもう少し楽しみたかったと思う。そして、子育ては負担だった。若い頃は子育てに夢中だったからあまり覚えていないが、子供のために夫婦でずいぶん働いた25年だった。
かつては、集落単位で暮らしていた頃は人的経済的資源を集落内で相互に融通することでやりくりできたのではないか。それが今では核家族化により個々の家庭内もしくはせいぜい祖父母世代までで全てを完結させなくてはならなくなった。まるで総力戦。親世代だけで三人四人と子供を育てることは厳しく、私たちも三人目は教育費のことを考えて諦めた。もちろん子育てを通じ、世界は広がったかもしれないが、その広がった世界が果たして自分たちにとって必要なものであったのかはわからない。それに夫婦二人であればこそできたことだってたくさんあったかもしれない。子供を持たないという選択をする人の考え方もわかる。
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今度の菅内閣では不妊治療の保険診療が議論されていて、一定の治療は保険適応となるだろう。どうしても子供が欲しいが、不妊治療を受けようにも、金銭的に余裕がないという夫婦には朗報だ。さらには、子育てのための経済的支援を行うということも計画されている。これも早急に推進してほしい。次世代の教育は国家の基盤であり、国家の体力だ。より多くの人に高等教育を受けさせるべきなのはいうまでもない。ただし、その教育を行う大学が怠慢であってはならないが。
子供を持つこと、育てることがリスク要因であるようでは少子高齢化社会は避けて通ることができない。今も昔も幸せの尺度の一つがお金であることは変わらない。そして、多くのことがお金に換算されるようになってきている。子供を持つということはハイリスクハイリターンの投資のようになっていくのではなかろうか。さらには、AIが多くを代用してくれる時代となり、お金が全てではない、という時代は終わりつつある。SiriやOKグーグルが相棒に近くなりつつあるのをみると、近いうちに、”AI子供”、みたいなのができてそっちの方がよほど素直で育てやすく、面倒になったら別れやすくなるような時代となるかもしれない。
鉄腕アトム
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