こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

自分の身体の中でみたくない臓器

2022年08月13日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
所用があったが、台風8号がやってくる前までにと早めに済ませ、家に無事帰り着いた。
七里ガ浜を通ったら、すごい波、さすがにサーファーはいなかった。

病理医をやっているせいか、妙なことを考えた。
私も皆さんと同様いつか死ぬが、そのときに学問的に誰かの役に立つというのであれば解剖してもらうのは問題ではない。

昔、尊敬する先輩病理医が解剖されるのは嫌だと言っていたが、それは自分の身体がバラバラになるところを想像してのことだろうが、私は自分の遺体が開かれているところを想像してもなんとも思わない。
第一、病理解剖の場合、終わってしまえば、体表面の切ったところは縫閉じるし、体を洗って、服も着せてもらって遺族の元に返してもらえるから、綺麗なもので心配ない。
だが私が解剖されているときに、解剖室の上の方から自分の身体を見たとして、見たくない臓器がある。
それは血管(とくに大動脈)と肺。

入局した教室の都合で発生学の研究をすることになってしまったが、もともと血管病理を研究したかった。
それはさておき、血管というのは人間の年齢を反映する。
だから、解剖で私の大動脈が脂質が沈着して石灰化を伴って割れそうになっているのを見たくない。
どうせ死んでいるのだからどうでもいいのだが、たぶん嫌な思いをする。

もうひとつの見たくない臓器は肺。
肺は左右2個だからもう二つか。

30年ちかくの喫煙歴で、タールがべっとりくっついた、気腫で穴だらけの肺など見たくない。
学生時代バスケットボールに打ち込んでいたつもりだったが、ニコチン中毒だとは思いもよらず日に一箱以上吸い続けていたのは全くのエセスポーツマンだった。
だからきっと自分の肺を見たら自己嫌悪に陥る。

それに、喫煙は血管を収縮させるので、大動脈だけでなく脳などの小型の血管の攣縮を起こしただろうから、その血管壁の細胞が傷んでいるだろうし、ニコチンも血管の内皮細胞を傷害していた。
自分の体をずいぶんと粗末に扱ったものだ。

そんなわけで、私は自分の血管(とくに大動脈)と肺は見たくない。
こんなことを書いても、多くの臨床医も含め、病理に携わる人以外はよくわからないだろうが、書き留めておきたかった。
癌で死ぬことになったらどうだろう

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