こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

チームの仕事に部活から学んだことが活きる

2022年11月25日 | 生き方について考える
昨晩は東京ー神奈川を結ぶ横須賀線、東海道線、京浜東北線の3路線が事故のためそろって遅延して、家に帰りついたのは午前様になった。
ただ、私の場合は職場でのいろいろでどのみち遅くなって、ちょうど帰るタイミングで電車が動き出したというのは、よかったのか悪かったのか。
今日もいい天気になりそうで、寝不足ではあるが、元気を振り絞って出勤。

その仕事、労働とその対価から成り立っている。
金を払ってくれるのであれば、当然それに対する責任があり、それをまっとうしなくてはならない。
労働の内容はさまざまだが、私が従事している医療もチームで成り立っていると考える。
患者さんの健康を守るためにチームを組んで行うわけだが、それがうまく機能しない場合がある。
ある特定の人に仕事の負荷がかかっている”ように”見えて、その人から見ると他の人が何もしていない”ように”見えてしまうことがある。

そういったことでトラブルがあり、ふと学生時代の部活のことを思い出した。
私は、中学・高校・大学と10年以上バスケット部に所属し、結局、うだつが上がらないままだったが、チームメイトのおかげでそこそこの成績を残すことができた。
そのチーム、ポイントゲッターのシューターや、ダンクをするポストプレーヤーがいたりしたが、その二人では、一チーム5人のバスケットボールはできない。
私のように足が速いだけのフォワードや、ベンチで交代を待ちながら待機する人間、そんなメンバーが必要だし、普段の練習にはそれ以上の人間がいなくては、レベルアップは望めない。
そんな中には練習があまり好きでない人間もいるし、体力的にトップチームについてくることのできない人間もいた。
だが、肉体的、精神的に強靭なチームというのは、色々な人を包含し互いにリスペクトし合うことのできる組織のことだと、ふと思った。
野球にしても、サッカーにしてもスポーツはそういうことを比較的理解しやすく、今のトップアスリートのほとんどがチームを大切にするのがどうしてなのかよくわかる。

このことを現役の時から理解していたらもうすこしまともな大人になっていただろうに、気がついたのはこんな人生の終盤に入ってから。
遅きに失した感はあるものの、このことを知らずに死ぬことにならなかったことを喜ぶべきかもしれない。

ところでそのバスケット部、奇しくも亡父が、”お前のように自分勝手な人間はチームプレーをしてそういったものを学べ”といわれて、陸上部に入りたかったのを止めさせられて入ったところだったが、おかげで今になってその意味を学ぶことができたと実感する。

 チームプレーって実社会でもいろんなところで活かさなくてはならないね

と学生時代はテニスに明け暮れていた妻にこの話をしたら、

 あら、テニスだってそうよ

と反駁された。
いや、もちろん陸上にもリレーがあったので、そんなことはわかっているし、多くのプロスポーツで、コーチをはじめとするスタッフを含めたチームこそが躍進しているのは周知のことだ。
人間一人ではやっていけない

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