昨日の節分の豆まきには娘が鶴岡八幡宮まで行き買ってきてくれた福豆を撒いた。案の定というか今朝はリスが豆探しにあちこち走り回っていた。そして、きょうは立春。その言葉を聞くだけで暖かさがやってきたような気がする。春はもうすぐそこまで来ている。そういえば裏庭ではフキノトウが芽を出し始めた。
今日はまた国際対がん連合が定めた世界対がんデーでもある。
がんの人というのは身近にいる。天寿を全うしたとはいえ、父も祖父もがんで亡くなった。私が医者だということで気を許してくれるのか、”実は私、乳がんで胸をとったんです”とか、”子宮がんでもう子供産めないんですよ”なんて話をしてくれる比較的若い人もいる。そのような時、ひと昔であったら一緒に困った顔をしていたが、今はもう、がんは治る病気として応援することができる。
術前診断の技術、手術の技術、病理診断の技術さらには遺伝子検査技術の進歩により、早期に治療されていたら完治する。遺伝的素因がない人であったら、確率的に2ヶ所目にがんが発生する可能性は低いから、最初のがんのケアをしっかりすることが大事だ。遺伝的素因があったとしたら、早期発見、早期治療を心がけていく。
がんの厄介なところは、体の一部が自分にとって悪いものになってしまうということだろう。
なぜ?なんで?
自分ががんになった時のなんともいえない思いは、本人ですら言葉に表しにくいだろう。私自身、30代で大腸に腺腫が見つかった時は、診断上がんではなかったとはいえ、年齢的に若かったということもあり、ショックだったし今でもどこか別のところに他の腫瘍ができていないかと不安になる。今のところ、次の腫瘍は出てきていないが、60代、70代となったらどこかに腫瘍が見つかるようになるだろう。がんは人ごとではないからこそ、明日はわが身と備えておかなくてはならない。
朝日の朝刊に、建築家の安藤忠雄さんのがん体験記が載っていた。
(がんになってしまったことは)しゃあない
で、大きな手術を乗り越え、インスリンを補充して生活している安藤さんの生き方には感動した。
年老いてからのがん患者への支援は大切だが、小児がん、AYA(Adolescent and Young Adult(思春期・若年成人))世代がんなど、若いがん患者への支援はより手厚く行われなくてはならない。完治することの難しいがんを抱えていたり、再発の恐れをいつも抱えながらも、彼らの多くは、人生への希望を持ち、くじけずに生きている。
今のところ健康な自分にできることはなにか、ということを考えながら過ごしたい。
すぐ目の前にも患者さんはいる