フラットコーテッドレトリバーの子犬のアンのしつけで四苦八苦している。
昨夜はクレートに入れて寝たら、夜中に出せ出せと啼きだし、結局こちらが折れて出してやった。
生後4ヶ月の子犬をどう躾けたらいいのかむずかしい。
同じフラットのナイトは、わが家に来た時はすでに6ヶ月近かったし、なにより先住犬だったマルチーズのコロが躾けてくれたのでだいぶ助かった。
犬は集団生活が基本なので、私たち夫婦と一緒にしてあげるべきなのかもしれないが、それはそれで問題も生じる。
最近、本をよく読むようになった。
読書メーターで確認したら、昨年は年末に1冊読んだだけで、一昨年も似たようなもので、過去2年間ほぼ読んでいなかったようだ。
この歳になってからの資格試験の受験は厳しい戦いが予想されたし、精神的にも2度は受けられないと背水の陣を取り、当然のことながら読書も封印した。
試験が終わってからも読書を忘れてしまっていたようだったが、
このまま名作と言われる作品を読まずして死んでいいのだろうか
という考えがふと頭をよぎり、再び本を手に取った。
私は読書家というほどの本読みではない。
そもそも、なんのために本を読んでいるのかもよくわからないできた。
ただ、以前にも何度か書いているが、読書は心の栄養補給だということ。
論文を読むのは知識の補給だが、文学作品は心に滋養を与えてくれる。
私の心に滋養が入っても、人間的な成長はほとんど見られないが、ブログを書く時は登場人物の心模様が参考になる時がある。
肥料をやって花を美しく咲かせるのと同じで、心に滋養を与えたら少しはマシな文章も書けるような気がするし、滋養が枯渇してしまったことを心がSOSとして発信して知らせてくれたのかもしれない。
どうでもいいことかもしれないが、できたら、○月の読書記録が定期的に復活できたらいいと思っている。
その読書記録の日のエントリーには、リアクションがあまり付かないが、そんなことはもう気にならなくなっている。
立体的に読むようになった
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おじゃまします。
>このまま名作と言われる作品を読まずして死んでいいのだろうか
いやあ、同感ですね。私はトルストイの『戦争と平和』を読んでます。
学生時代に一度読んだのですが、退屈で、ストーリーを追うことさえ出来ず、なんでこれが世界文学の一大傑作なんだと思いながら、意地で読み終えました。
ところが今回は、驚いたことに、平凡な場面さえ実に面白いのです。年齢を重ねたからとしか思えませんね。
大長編なので、何年も読む決心がつきませんでしたが、一念発起して正解でした。現在全6巻中4巻目まで来ました。
コロ健さんも、どうぞよき読書体験を!!
それではまた。
お返事遅くなり失礼しました、お知らせいただき助かりました。
うーん、『戦争と平和』ですか、忘れてました。
プルースト、ドストエフスキーに加えてトルストイとなるとどうしましょう。
あとは、名作の読み直しも並行して行いたいと思っています。
忙しいですね。