まずまずの晴天。
子犬のアンが4時半ごろに起き出してきた。
彼女も寝ぼけていたので、6時ごろまで2度寝した。
昨日、狂犬病のワクチンを打ち、散歩もOKということになり、今朝初散歩に出かけた。
すぐに何頭かの散歩する犬とすれ違ったが、ナイトやコロの時代の犬はどこにもおらず、アンも含め私たちはまるっきりの新参者になっていた。
犬の一生はせいぜい15年、人間の寿命から見ればあっという間に10年20年分が過ぎていることになるのだから、当然と言えば当然だ。
著名人、有名人という人の訃報が連日のように流されているが、中にはそれにどれほどの価値があるのだろうかと首を傾げたくなるようなものもある。
その人が活躍していた分野に興味がないからだが、では意味のある訃報とはどんなものかと考えるとこれまた適切なものは思い浮かばない。
いわゆる現役の人の場合、現場や関連するところへの影響もあるから、亡くなったこと自体がニュースとして重要性があるものの、その組織の中には必ず”代わり”がいて、組織自体は存続するから問題はないということになる。
芸能人の場合、たいていは旬を過ぎているので、その人のファンか懐古趣味の人以外は興味を持たないし、すでに引退している政治家は必ず失敗をした過去があるからその人を礼賛するような訃報に興味は持ちにくい(注;成功を収めた政治家がいたとしたら今全ての人が幸せである)。
その点、芸術家は生涯現役の人が多く、惜しまれて亡くなる人も少なくない。ただ、物故作家作品などといって亡くなったから値段が上がるという、訃報を待っていたかのようなこともなんだか切ない。
注意しなくてはいけないのは、マスコミが訃報を情報操作に利用するということだろう。
紙面、電波を割いてまで報道するからには、政治勢力、スポンサーの意向を忖度しているという一面必ずあって、それによって社会がどのような影響を受けるか、自分の考えがそれに流されてしまわないか、ということを確認する必要がある。
もちろん、これは訃報に限った話ではない。
ジョン・レノン
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