こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

コロナワクチン、打つ打たないは個人の自由

2021年06月27日 | 日々思うこと、考えること
 台風5号が梅雨前線を押し上げて昼頃から雨になるという予報だったが、曇り空のまま夕方まで持ちこたえてくれた。ちょっとバテ気味の花たちに液肥をやったり、ヤマアジサイの剪定をしたりしたあと、街まで買い物に出かけることもできた。昨日の土曜日、鎌倉は観光客でごった返していたらしいが、今日は雨予報のせいもあってか人出はそれほどではなく、落ち着いて歩くことができた。鶴岡八幡宮は七夕飾りで涼しげだった。病魔退散の願いが天に届けばいいが、それは地上にいる人の行動にかかっている。
 私のような一人病理医が人と話すのは日にせいぜい10名、臨床医数名と検査科の検査技師ぐらいのものだ。それが、昨日のように日に200人以上の人と対面するとずいぶん疲れる。今日など疲れが出ていて、副反応どころではない。これがこの先も何度もあるのかと思うと、軽いパニックになるが仕方がない、コロナウイルスワクチン接種は、新型コロナウイルス感染症封じ込めのため、効果の有無に関わらずやらなくてはいけないことだ。

 ワクチンを打つ打たないということがネット上の話題に上ることが少なくない。コロナはただの風邪、ワクチンの効果は不明、だから打つ必要はない、打ってはダメ、という人は少なからずいるようだ。広義の風邪であることは間違い無いし、効果も不明。さらに、変異ウイルスに対する効果となると不安はますます大きくなる。だから、打ちたくない人は打たなければいいと、私は思う。
 昨日、数千人という接種希望者を目の当たりにして、ワクチンを打ちたい人というのがこれほどいるのだとつくづく思った。私の妻もそうだが摂取したくてもできない状況の人はまだまだたくさんいて、それは打ちたくない人よりほど多いに違いない。接種したい人すべてに打ち終わるころには日本が集団免疫を獲得するのではないか。そうしたら、打った人は”打ったから抑え込むことができた”、打たなかった人も”それみたことか、ただの風邪だから打たなくても大丈夫だった”と思える。結果としては打った人たちのおかげであっても、そんなことになってもそれはそれでいいのではないかと思う。
八方丸く収めましょう

ブログランキング・にほんブログ村へお願いします



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。