昨日の青空は梅雨明けの知らせで、午後のスコールは梅雨前線の置き土産かと思ったが、残念ながらそうではなかったらしい。天気予報によると梅雨明けは今週末の8月2日頃となるらしく、まだあと1週間辛抱しなくてはならない。仕事を終えて病院を出た時も雨、置き傘があってよかった。
この4連休は初日に父の49日と納骨をおこなっただけで、残りの3日は外出らしい外出はせず家でじっとしていた。まあ、この巣篭もりは大雨も後押ししてくれたともいえるので雨に文句は言えない。でも、4連休が終わり、いよいよまた東京に出なくてはいけなくなるのはとても気が重い。
この4日間にも新型コロナウイルス(COVID-19)の感染者数は増加し続けている(新型コロナウイルス感染症についてー厚生労働省のHP)。もう歯止めは効かなくなっている。2、3年で落ち着いて、本当の意味で、集団免疫を獲得するのには4、5年はかかるだろう(だから後4、5年は落ち着くことはない)。100年後、その頃に生きている人がこの4、5年を振り返って評価することがあったら、1918年-1921年に流行したインフルエンザ(スペイン風邪)のような感覚で捉えるのだろう。ただ、そんなことは今生きている私たちのほどんどが知る由もないことだ。それに、100年後から振り返ってみた4、5年は、歴史の教科書の2、3行にもならないだろうし、1000年後には”19世紀から21世紀にかけて感染症(というそのころはコントロールできるものがあって?)の世界的な流行が何度かあった”と一行にまとめられているだろう。それともコロナなどすっかり忘れられ、歴史にはペストぐらいしか残らないかもしれない。
緊急事態宣言が発令された第1波のとき、電車は本当に空いていたが、今回の第2波ではもう何事もなかったかのように混んでいる。通勤電車内での感染も現実のこととなってくるだろう。だから、通勤で一番嫌なのは、マスクをしないでいる人だ。マスクの効果自体よりも、マスクをつけて感染拡大を防ごうという意識が欠落している人がそこにいるということが嫌悪感を催すのだ。最低でも2メートル程度のソーシャルディスタンス(もしくはフィジカルディスタンス)をとっていて、すぐにマスクを着用できるようにしているのであれば問題はないが、そのような距離を取ることが難しい電車内でマスクをつけていないのは感染拡大に手を貸しているようなものだ。こういう人は、どのような考えかはわからないが、感染拡大を容認していると言わざるを得ない。
ウイルス感染だから、根本的な治療方法はないものの、重症化した際の対処方法がある程度わかってきていると思って多くの人は安心し始めている。”インフルエンザの方が怖い”とか”しょせんただの風邪”とか”弱毒化している”、などという代替的思考の広がりにより、感染拡大に対する防御体制が弱くなりつつある。さあ、”コロナは熱に弱い”などと言われていたが本当なのか。少なくとも36度程度の人の体に入っても大丈夫そうで、梅雨が明けたら果たしてどうなるだろう。もちろん、熱と紫外線に弱くて、宿主と共存できるような弱毒化された群が優勢になってくれることを期待している。
希望的観測ですが