(昨日の続き) それにしても、一昨日の「フラジャイル」はすごかった。長瀬智也演じる主人公の病理医岸京一郎に向かって、外科医の副院長が「たかが病理医の分際で!」とまで言わせちゃったのには驚いた。けれどもすぐ、「ああいう先生いたなー」、と思い出してしまったりして、まあとにかくとてもリアルだった。
あの消化器外科の副院長の物言い、まさしく病理医を臨床の下請けと考えているから出てくるものだった。自分たちのおかげでおまえらの仕事があるんだ、みたいなのあるある。こんな風に感じることが多いから病理医のモチベーションは低くなる一方で、私たちは若い人に病理を勧めることに気が引けてしまうのだ。
なんで、日本では検査部門を担当する医者は下請け、というように、一段低く見るのか。画像にしても、病理標本にしても、検体はそこにあるので、臨床医でも腕に覚えがあれば、ある程度できる。例えば癌診断が専門ともなれば、そこいらの駆け出し専門医よりよほどできる。でも問題はそこではないのだ。病理専門医は幅広い知識で多くの鑑別を挙げ、臨床医の思い込みを正すことができるのだ。一昨日の放送でも、副院長は胃癌の転移と決めつけちゃったらもう止まらなかった。生検さえしたら駆け出し病理医でも簡単に診断できる病変が分からなくなってしまったのだ。 そういう、目に見えないところまでチェックするのが専門医であり、だからこそ信頼を寄せる臨床医、患者は多い。
なぜそういう突っ走っちゃう医者がいるのだろう。その原因はそんな医者の数だけあるだろう。けど、その一つは、他人のスペシャリティーを認めたがらない意識が日本の医者には強いためではないかと思う。自分より下の人間を探して貶める、みたいな受験エリート意識があるのかもしれない。だが、そんなことはさておいても、そこには患者に奉仕するという医師本来のあるべき態度が欠如しているのだと思う。
そう考えると、日本の医師養成過程に問題があるのではないかと、ときどき思うことがある。けれど自分もそのうちの一人かと思うと、同じ穴のムジナかと思ったりする。
下請けではなく仲間だと思ってるのだけど
思春期に観た米TVドラマ「ベン・ケーシー」はダイナミックなテーマ曲と共に衝撃的でした。先輩医師や同僚医師とぶつかりながら患者にとって何が最善な治療かを突き詰めてゆく、毎回感動していました。
お疲れさまです。
「たかが病理医の分際で」と言う人は、看護師・事務員・出入り業者・病院ボランティア等々、誰に向かっても「たかが~」と見下してるんじゃないでしょうか。
みんな必要だから存在しているわけで、いなければ全体が成り立たなくなってしまうでしょう。ですので、みんな同じ価値だと私は思っていますけど・・・。
それではまた。
フラジャイルは、それほどのドラマではないと思いますが、病理医とかそういったマイナーな医者を取り上げているということがいいところです。
ちょっと染色シーンが映って嬉しかったです。
放射線診断医の先生の開業には、「その手が有ったか」と妙に納得。ちょっと胸のすく思いでした。
そういえば、私の知っている検査センターは、病理もスメア辺りは外注に出していますしね…。でも、院内に病理医がいないと、迅速診断で手術中の先生は困ってしまいますよね。縁の下の力持ちですよ!
病院勤務の職業の方々は、お互いの専門知識を持ち寄って、患者さんを治療する「チーム」の仲間であって欲しいと願います。