チャップリンに『犬の生活』という映画があったが、あれに出てくる犬は放浪者と一緒だったので、その人(犬)生は結構大変だったろう。あの犬はもともと野良犬だったのか?それとも、もともとはどこかの飼い犬だったのが、何かの理由で野良になって、放浪者と一緒になったのか。
うちの犬は二頭ともそれなりの犬生をおくっているのではなかろうか。と、人間サイドから勝手に想像する。
休みの日であれば、娘にボールを投げてもらい、それをくわえて戻ってきたり。
妻に海まで連れていってもらって、渋滞の134号を眺めてみたり(今日は、3連休の最後、大雪のあとの晴天、ということで、実際、鎌倉はすごい人出だった。私も休みをこの日にとっておいたくらいなので、当然と言えば当然だが・・・)。
朝晩2度の食事もあり、夜といえば、マルチーズのコロは娘と一緒に寝、フラットコーテッドレトリーバーのナイトも居間のクレートのなかで、大人しく寝る。
彼等は、なにを思って毎日過ごしているのだろう。
日本では犬の殺処分は年間10万頭におよぶとのこと、いろいろな理由で、殺されるのだろうが、人間が毎年10万人無作為に殺されたらどうだろう。問題になるに違いない。
犬を殺す理由も、病気とか、老衰とか、(飼い主の立場上)止むに止まれぬ(?)理由もあるようだが、人間である自分がもっと上位者から有無をいわさず殺されるようになったらどうだろう。
辛いに違いないし、その不条理さを受け入れることは困難だろう。
我家の犬が幸せかどうかはわからない。
私たちは引き取った以上、大切にして暮らしていきたいと思い、噛まれても我慢し、糞を拾って歩く。
当たり前のことだ。
家族と一緒で、私が病気や事故で稼ぎが無くなったらどうするのか、そういったことまで考えないといけない。
犬に対して生殺与奪の権利を有するわけだが、そのことの意味は、重大だ。
飼う前には十分考え、いったん飼い始めたからには真剣に飼わなければならない。
ところで、ペットショップのこれ、虐待か?
ミモザの凍りつく寒さ。
この3連休、ずいぶんと寒い。
それでも、ここでめげては負けと思い、挽回へむけて頑張ったが、それも結局は
午前中いっぱいで息切れ。
午後はバレー部に入った娘(中一)の試合の応援に妻と一緒に出かけた。
なんとか間に合って、1試合応援できた。
8校くらい集まっての練習会だったのだが、黄色い声の嵐で頭が少々痛くなった。
息子のバスケを応援していたときのような大声など出せるわけもなく(出したら娘に白い目で見られてしまうことは自明)、おとなしく応援した。
バレーのことは、中学高校の体育の授業で習っただけなので訳もわからないし。
娘の出場機会はなかったが、学校の応援ができてよかった。
それにしても、寒い一日だった。
この3連休、ずいぶんと寒い。
それでも、ここでめげては負けと思い、挽回へむけて頑張ったが、それも結局は
午前中いっぱいで息切れ。
午後はバレー部に入った娘(中一)の試合の応援に妻と一緒に出かけた。
なんとか間に合って、1試合応援できた。
8校くらい集まっての練習会だったのだが、黄色い声の嵐で頭が少々痛くなった。
息子のバスケを応援していたときのような大声など出せるわけもなく(出したら娘に白い目で見られてしまうことは自明)、おとなしく応援した。
バレーのことは、中学高校の体育の授業で習っただけなので訳もわからないし。
娘の出場機会はなかったが、学校の応援ができてよかった。
それにしても、寒い一日だった。
この3連休、たまった仕事を少しでも片付けないといけない。
幸い、今日明日は、大雪だし・・・
と、悲壮な決意で、部活に出かける娘と一緒に家を出た。
まだまだ、こんなの雨のうち、なんて、雪が積もりはじめた木道を歩く。
狸もへっちゃら
公園で、ややつもりはじめた雪に、少し不安を感じながら、病院に入った。
暗くならないうちに帰ろう、と思いはじめたのは、午後3時。
窓の外は、結構な降りだ。
そうこうする(けっきょくなにができたのかよくわからない)うちに、外が暗くなってきた。
帰ろうと思っていたら、臨床が「やっと、手があきました」って、PHSで。
午前中、連絡したのだが、その時は忙しくて手が空かなかったからって・・・
「研究(的なことを)するなら、ちゃんとまとまった時間取らなきゃ、無理だよ」、と、少々文句をいいながら、用件を済ませて、おしまい。まあ、こっちもたまっていた仕事を片付けていたので、時間を取られずによかったのだが・・・。
朝来た道を帰る。
結構な雪景色になっている。
とはいえ、狸は大したこと無く。
この空き地、家が建つことになった。
階段は、気をつけねば。
心配したほどの大雪にはならず、無事帰ることができた。
今夜は、降るようだが、明朝は大丈夫だろうか。少し心配。
幸い、今日明日は、大雪だし・・・
と、悲壮な決意で、部活に出かける娘と一緒に家を出た。
まだまだ、こんなの雨のうち、なんて、雪が積もりはじめた木道を歩く。
狸もへっちゃら
公園で、ややつもりはじめた雪に、少し不安を感じながら、病院に入った。
暗くならないうちに帰ろう、と思いはじめたのは、午後3時。
窓の外は、結構な降りだ。
そうこうする(けっきょくなにができたのかよくわからない)うちに、外が暗くなってきた。
帰ろうと思っていたら、臨床が「やっと、手があきました」って、PHSで。
午前中、連絡したのだが、その時は忙しくて手が空かなかったからって・・・
「研究(的なことを)するなら、ちゃんとまとまった時間取らなきゃ、無理だよ」、と、少々文句をいいながら、用件を済ませて、おしまい。まあ、こっちもたまっていた仕事を片付けていたので、時間を取られずによかったのだが・・・。
朝来た道を帰る。
結構な雪景色になっている。
とはいえ、狸は大したこと無く。
この空き地、家が建つことになった。
階段は、気をつけねば。
心配したほどの大雪にはならず、無事帰ることができた。
今夜は、降るようだが、明朝は大丈夫だろうか。少し心配。
エスカレーターの終わり、もう少し乗っていたい、と思うことがある。
周囲を見渡しながら、だんだんと昇る。上の階には楽しいことが待っている。そんな気持ちが続いて欲しいと思う。
時々、エレベーターの終わりのところで、躓いたりしている人がいるが、我を忘れてもう少し乗っていたい、なんていう気持ちだったりするのだろうか?
それとも、そんなことを思うのは私だけか。
これに比べると、エレベーターはブラックボックス。
行き先階への瞬間(どの程度を”瞬間”というかわからないが)移動装置であって、何十階なんていうところにいつの間にか移動しているなんていうのはびっくりだ。
エレベーターで行き先階についたとき、目の前になにが現れるかと思うと、期待と不安がないまぜになる。
デパートのエレベーターを降りる時は、期待でいっぱい。
職場のエレベーターを降りる時は、誰が待ち受けているのかわからないので、不安でいっぱいになる。
よくわからない箱に乗り込んで、身を任せっぱなし、というのはちょっと怖い。
何人かで乗って、誰かが行き先ボタンを押したと思い込んで、誰も押していなかった、なんて経験ないだろうか。
なんとも言えない、浮遊感。
どちらも、移動という目的があって乗るものだから、叱られに行くということでなければ、利用するにあたって、そう嫌な気分はしない。
エスカレーターもエレベーターも事故には気をつけましょう。
乗る時も、降りる時も、乗っている時も。
周囲を見渡しながら、だんだんと昇る。上の階には楽しいことが待っている。そんな気持ちが続いて欲しいと思う。
時々、エレベーターの終わりのところで、躓いたりしている人がいるが、我を忘れてもう少し乗っていたい、なんていう気持ちだったりするのだろうか?
それとも、そんなことを思うのは私だけか。
これに比べると、エレベーターはブラックボックス。
行き先階への瞬間(どの程度を”瞬間”というかわからないが)移動装置であって、何十階なんていうところにいつの間にか移動しているなんていうのはびっくりだ。
エレベーターで行き先階についたとき、目の前になにが現れるかと思うと、期待と不安がないまぜになる。
デパートのエレベーターを降りる時は、期待でいっぱい。
職場のエレベーターを降りる時は、誰が待ち受けているのかわからないので、不安でいっぱいになる。
よくわからない箱に乗り込んで、身を任せっぱなし、というのはちょっと怖い。
何人かで乗って、誰かが行き先ボタンを押したと思い込んで、誰も押していなかった、なんて経験ないだろうか。
なんとも言えない、浮遊感。
どちらも、移動という目的があって乗るものだから、叱られに行くということでなければ、利用するにあたって、そう嫌な気分はしない。
エスカレーターもエレベーターも事故には気をつけましょう。
乗る時も、降りる時も、乗っている時も。
昨日の人間ドックを受けるにあたり、問診表に喫煙歴についての質問があった。
二十の頃から吸い続け、四十を過ぎた頃にやめはじめ、ほぼ完全に離脱できているのはほんのこの3、4年に過ぎない。
煙草をやめられた頃は、高揚感もあり、永遠の健康を再び手に入れられたと思ったりもしたが、こういうことがあるたびに、胸中穏かざる気持ちになる。
イジメにしてもそう、小学校や中学校の頃、気の優しい友人をイジメたことがある。
少々、成績がよい、とか身体が大きいという程度のことで優越感を感じてしたことだったように思う。いずれもなんら、みずからの努力によって手に入れたものではないものだったのに。
私たち個人個人の体はなにも、私たち自らが手に入れたものではない。
親から、天から授かった、ありがたいものだ。
そのありがたい体をこれまで、ずいぶん痛ませてきた。
「自分は剖検されたら、どれほど炭粉がついているだろう?」などとうそぶきながら、同僚と一服していた頃のことが、頭をよぎる。
先日、ある芸能人が、いじめられた経験談をテレビで話していた。
いじめられた方は、そのことを覚えている。それは当たり前。
そして、いじめた方も、忘れられない。後悔ばかりだ。
後悔というもの、ずーっとあとになって押し寄せてくる。
そのときには、何も気がついていない。
そのためにも、今、自分はどこに立っていて、なにをなすべきか。
一生懸命、考えていかないといけない。
二十の頃から吸い続け、四十を過ぎた頃にやめはじめ、ほぼ完全に離脱できているのはほんのこの3、4年に過ぎない。
煙草をやめられた頃は、高揚感もあり、永遠の健康を再び手に入れられたと思ったりもしたが、こういうことがあるたびに、胸中穏かざる気持ちになる。
イジメにしてもそう、小学校や中学校の頃、気の優しい友人をイジメたことがある。
少々、成績がよい、とか身体が大きいという程度のことで優越感を感じてしたことだったように思う。いずれもなんら、みずからの努力によって手に入れたものではないものだったのに。
私たち個人個人の体はなにも、私たち自らが手に入れたものではない。
親から、天から授かった、ありがたいものだ。
そのありがたい体をこれまで、ずいぶん痛ませてきた。
「自分は剖検されたら、どれほど炭粉がついているだろう?」などとうそぶきながら、同僚と一服していた頃のことが、頭をよぎる。
先日、ある芸能人が、いじめられた経験談をテレビで話していた。
いじめられた方は、そのことを覚えている。それは当たり前。
そして、いじめた方も、忘れられない。後悔ばかりだ。
後悔というもの、ずーっとあとになって押し寄せてくる。
そのときには、何も気がついていない。
そのためにも、今、自分はどこに立っていて、なにをなすべきか。
一生懸命、考えていかないといけない。
人間ドックを受診した。
2年ぶりに、胃の内視鏡を飲んだ。生検は行われなかったが、日頃の診断、一生懸命やらないといけないと、改めて自覚した。
さて、小生47歳。今年の内視鏡はなんだか辛かった。早期発見のためとはいえ、この先、毎年これを繰り返すかと思うとちょっと辛い。こうやって、毎年検査をしていれば、ある時、なにか見つかってもそれなりに受容できるだろうか。
あと、何年生きるのだろう。生きている限りは、こうして人間ドックを受けるのか、それとも、定年くらいが目安のなのか。定年までとしてもそれまで10数回はやることになる。
大腸ファイバーもそのうちやらないといけなくなるだろうし(一度やったことがある)。
体重はなかなか減らないし、腹囲も芋洗坂係長。
暴飲暴食、とまではいかないが、夜9時前に帰宅することはまずなく、夕食は10時過ぎ。ビールの1本も飲みたくなる。嫌なことがあったりすると、酔うまで飲むので、酒量も増える。そして翌朝は6時前に起きる。
(都内に勤めるのに、鎌倉なんぞに住んでいる、というのがまあいけないわけだが、職住分離という考えがあってもいいだろう。)
内視鏡の画像できれいな胃粘膜を見たときは、我が胃粘膜に感謝の念すら感じてしまった。
体は少しずつ痛んでいくのだろう。そして、ある日突然壊れる。
私たちは、死に向かって生きているということは分かっているのだが・・・
どうやって、受け入れていけばいいのだろう。
2年ぶりに、胃の内視鏡を飲んだ。生検は行われなかったが、日頃の診断、一生懸命やらないといけないと、改めて自覚した。
さて、小生47歳。今年の内視鏡はなんだか辛かった。早期発見のためとはいえ、この先、毎年これを繰り返すかと思うとちょっと辛い。こうやって、毎年検査をしていれば、ある時、なにか見つかってもそれなりに受容できるだろうか。
あと、何年生きるのだろう。生きている限りは、こうして人間ドックを受けるのか、それとも、定年くらいが目安のなのか。定年までとしてもそれまで10数回はやることになる。
大腸ファイバーもそのうちやらないといけなくなるだろうし(一度やったことがある)。
体重はなかなか減らないし、腹囲も芋洗坂係長。
暴飲暴食、とまではいかないが、夜9時前に帰宅することはまずなく、夕食は10時過ぎ。ビールの1本も飲みたくなる。嫌なことがあったりすると、酔うまで飲むので、酒量も増える。そして翌朝は6時前に起きる。
(都内に勤めるのに、鎌倉なんぞに住んでいる、というのがまあいけないわけだが、職住分離という考えがあってもいいだろう。)
内視鏡の画像できれいな胃粘膜を見たときは、我が胃粘膜に感謝の念すら感じてしまった。
体は少しずつ痛んでいくのだろう。そして、ある日突然壊れる。
私たちは、死に向かって生きているということは分かっているのだが・・・
どうやって、受け入れていけばいいのだろう。
横浜駅の周辺というのは、結構すごい。
この方向から見ると、首都高が一番上、その下にJR、京急が走っている。
この下には、でっかいダイヤモンド地下街が広がり、その下には東急、市営地下鉄。となる。
私が驚くのは、首都高だ。
東京駅も新宿駅も駅はでかいが、首都高はちょっと離れている。渋谷は首都高3号線が走っているが、山手線のすぐ上、を走っているので、何となく、迫力が無い。
横浜駅の上を走る首都高の迫力は、その高さがずいぶん高いということ。
首都高の方から、見下ろすと駅はずいぶん小さく見える。
南はすぐ海、というぎりぎりの状態の中で、このような立体構造になったのだと思うが、けっこうすごい状態になってしまったものだと思う。
この方向から見ると、首都高が一番上、その下にJR、京急が走っている。
この下には、でっかいダイヤモンド地下街が広がり、その下には東急、市営地下鉄。となる。
私が驚くのは、首都高だ。
東京駅も新宿駅も駅はでかいが、首都高はちょっと離れている。渋谷は首都高3号線が走っているが、山手線のすぐ上、を走っているので、何となく、迫力が無い。
横浜駅の上を走る首都高の迫力は、その高さがずいぶん高いということ。
首都高の方から、見下ろすと駅はずいぶん小さく見える。
南はすぐ海、というぎりぎりの状態の中で、このような立体構造になったのだと思うが、けっこうすごい状態になってしまったものだと思う。
気がつくと、ずいぶんと暖かくなってきた。
気温も13度と先週の寒さが嘘のようだ。
今日は春の準備のために花を買いに連れて行かれた。
ずいぶんと安い花屋があって、6個500円という苗を買い込んだ。
鎌倉は緑が多いが、家を建てる時にさえ、緑化の義務がある。我が家も一年かけてせっせと、緑を増やしてきてたが、木と花は別のようだ。
花といっても、1年草はやっぱり1年草で今年限りのようだ。
同じ花屋で、チューリップの切花を1本100円で売っていた。といっても、ずいぶん安いそうで、この品種それなりの店で買ったら1本、300円はするくらいの代物らしい。
花なんて、ずいぶんと贅沢なものだ。
私にしてみれば、花より団子、というか、花より一杯。
こう考えると、花なんてなくても生きていけるのに、と思うのだが、無いとやっぱり寂しい。
妻が花好き、というのもまんざら悪くもないようだ。
花があれば、一杯やるのも楽しくなる。
そんなわけで、シバザクラを植えた。何年か後にここがシバザクラでいっぱいになるのが楽しみだ。
真珠葉ミモザも今日が開花日だったよう。
春の準備といえば、春の病理学会の準備もがんばらないといけないのだが・・・
気温も13度と先週の寒さが嘘のようだ。
今日は春の準備のために花を買いに連れて行かれた。
ずいぶんと安い花屋があって、6個500円という苗を買い込んだ。
鎌倉は緑が多いが、家を建てる時にさえ、緑化の義務がある。我が家も一年かけてせっせと、緑を増やしてきてたが、木と花は別のようだ。
花といっても、1年草はやっぱり1年草で今年限りのようだ。
同じ花屋で、チューリップの切花を1本100円で売っていた。といっても、ずいぶん安いそうで、この品種それなりの店で買ったら1本、300円はするくらいの代物らしい。
花なんて、ずいぶんと贅沢なものだ。
私にしてみれば、花より団子、というか、花より一杯。
こう考えると、花なんてなくても生きていけるのに、と思うのだが、無いとやっぱり寂しい。
妻が花好き、というのもまんざら悪くもないようだ。
花があれば、一杯やるのも楽しくなる。
そんなわけで、シバザクラを植えた。何年か後にここがシバザクラでいっぱいになるのが楽しみだ。
真珠葉ミモザも今日が開花日だったよう。
春の準備といえば、春の病理学会の準備もがんばらないといけないのだが・・・
上司と先日話したことに、「病理総論を語れる病理医が減っている」というのがあった。
私が駆け出し(今でもそうだが)の病理医の頃、病理学教室の主任教授は病理総論的な用語の使用について、きわめて厳格だった。だから、示説会(剖検例を教室員全員に供覧して、診断を述べる)で、あやふやな言葉を使うと、必ず確認、訂正された。すごく、ねちっこく。でも、正確無比。大まじめに。
「君が言っているのはarteriosclerosisかね、それともarteriolosclerosisかね?」って、当時は一体何のことやら。
そして、その周りの先輩の先生達も、とても正しく、用語を使って。
私は、病理総論的な用語を使うのは上手になれなかった。だから、剖検報告を書くのは今でも苦手だ。
今の病理学教室の教授には分子病理を専門にしてきた先生が散見される。
論文は山ほどある。もちろん、その専門の分野にはとても精通しており、その方面での第一人者であることに異論はない。研究室をもって、その分野の研究を推進していくことは、大変すばらしい(と、ご本人は思っている)。
一度偉くなってしまうと、分子生物学しかわかっていないはずなのに、病理学すべての領域について精通しているつもりになってしまう。
これは、困る。
臨床と組織像の間で苦労している(現場の)病理医の苦労、苦悩がわからない。
自分が知らないこと、文献にないことは、すべて間違い。
目の前に見えていることが見えない。
そんなふうに、なってしまうとどうしようもない。
「病理学は、形態学であり、われわれ病理医は形態学者だ」と、私の恩師は普段から言っていた。
PCR産物を確認したり、RNAや蛋白の発現量を見たり、DNAの配列を読む学問ではない。”病理医にとって”これらは、あくまでも形態学を補助する情報だ。
ナントカいうタンパク質が、何処そこで、どんな働きをしている、というのも大事なのかもしれないが・・・だからといって、それを病理学教室の新人が、2,3年かけてやることなのか?とも、思う。
まあ、人それぞれの考え方だし、そういう事をする権限を掴んだ勝ち組の人に、半分負けてるような人間が、何を言っても仕方ないのだが・・・
診断病理だからといって、それほど将来が明るいとは言えない。
おびただしい数の、各種癌取扱い規約ができるのはいいのだが、病理医はこれにいちいち対応しなくてはいけない。取扱規約など、とりあえずは現時点の分類に過ぎず、だから何度も改訂される。その時出ている、取扱規約の文言を一言一句覚えていることが優秀な病理医、となると、これまたちょっと違うように思う。人が決めた診断基準に合わせた診断を行うことは上手になるが、自分独自のものがないので、剖検診断を書くのがますます億劫になる(さっきも言ったとおり、私も剖検診断は苦手だが、意味が違うように思う)。
今流行っているのは、診断学病理で、人体病理ではないように思う。
各論ばかりでは病理の面白さは語れない。
病理学は形態学。たしかにHEだけでは足りないし、それぞれの医者が勝手なことを言っていては収集がつかない。大きな声の先生が学問をリードしてはいけないのだが、いつの間にか、論文だけ、分類を覚えているだけ、という、勉強が出来る人こそ、という方向へのドライブがきつくかかっているように思う。
こういうことをしていると、病理学はただの秀才が集まるだけの学問になってしまう。どの学問も秀才は必要だが、秀才だけだと行き詰まってしまう。
私は、もう教室に帰ることがない人間だが、人ごとながら病理学教室の将来はいったい、どうなるのだろう、と思ってしまう。
私が駆け出し(今でもそうだが)の病理医の頃、病理学教室の主任教授は病理総論的な用語の使用について、きわめて厳格だった。だから、示説会(剖検例を教室員全員に供覧して、診断を述べる)で、あやふやな言葉を使うと、必ず確認、訂正された。すごく、ねちっこく。でも、正確無比。大まじめに。
「君が言っているのはarteriosclerosisかね、それともarteriolosclerosisかね?」って、当時は一体何のことやら。
そして、その周りの先輩の先生達も、とても正しく、用語を使って。
私は、病理総論的な用語を使うのは上手になれなかった。だから、剖検報告を書くのは今でも苦手だ。
今の病理学教室の教授には分子病理を専門にしてきた先生が散見される。
論文は山ほどある。もちろん、その専門の分野にはとても精通しており、その方面での第一人者であることに異論はない。研究室をもって、その分野の研究を推進していくことは、大変すばらしい(と、ご本人は思っている)。
一度偉くなってしまうと、分子生物学しかわかっていないはずなのに、病理学すべての領域について精通しているつもりになってしまう。
これは、困る。
臨床と組織像の間で苦労している(現場の)病理医の苦労、苦悩がわからない。
自分が知らないこと、文献にないことは、すべて間違い。
目の前に見えていることが見えない。
そんなふうに、なってしまうとどうしようもない。
「病理学は、形態学であり、われわれ病理医は形態学者だ」と、私の恩師は普段から言っていた。
PCR産物を確認したり、RNAや蛋白の発現量を見たり、DNAの配列を読む学問ではない。”病理医にとって”これらは、あくまでも形態学を補助する情報だ。
ナントカいうタンパク質が、何処そこで、どんな働きをしている、というのも大事なのかもしれないが・・・だからといって、それを病理学教室の新人が、2,3年かけてやることなのか?とも、思う。
まあ、人それぞれの考え方だし、そういう事をする権限を掴んだ勝ち組の人に、半分負けてるような人間が、何を言っても仕方ないのだが・・・
診断病理だからといって、それほど将来が明るいとは言えない。
おびただしい数の、各種癌取扱い規約ができるのはいいのだが、病理医はこれにいちいち対応しなくてはいけない。取扱規約など、とりあえずは現時点の分類に過ぎず、だから何度も改訂される。その時出ている、取扱規約の文言を一言一句覚えていることが優秀な病理医、となると、これまたちょっと違うように思う。人が決めた診断基準に合わせた診断を行うことは上手になるが、自分独自のものがないので、剖検診断を書くのがますます億劫になる(さっきも言ったとおり、私も剖検診断は苦手だが、意味が違うように思う)。
今流行っているのは、診断学病理で、人体病理ではないように思う。
各論ばかりでは病理の面白さは語れない。
病理学は形態学。たしかにHEだけでは足りないし、それぞれの医者が勝手なことを言っていては収集がつかない。大きな声の先生が学問をリードしてはいけないのだが、いつの間にか、論文だけ、分類を覚えているだけ、という、勉強が出来る人こそ、という方向へのドライブがきつくかかっているように思う。
こういうことをしていると、病理学はただの秀才が集まるだけの学問になってしまう。どの学問も秀才は必要だが、秀才だけだと行き詰まってしまう。
私は、もう教室に帰ることがない人間だが、人ごとながら病理学教室の将来はいったい、どうなるのだろう、と思ってしまう。
今日は、娘の二回目の食物アレルギーのための負荷テスト。
先日とは別の候補食物を食べる。
検査費用は自費ではないらしいのだが、高い。全額自費だったりしたら・・・と考えるだけでゾッとする。
国家予算の中で医療費が突出して高い割合を占めている理由がわかった。厚生労働省によれば、国民医療費は33兆円で、国民所得に対する割合は9%とのこと(平成17年)。
アレルギーを起こす食物を食べさせる。これを医師、看護師、その他もろもろの人がアナフィラキシーショックに備える。
これには妻が付き添い、私も送り迎えに駆り出される。
一晩入院して様子をみるので、明日など私が迎えに行く。
先週の妻のインフルエンザでも大変だったが、病気というのはずいぶんと出費を強いられるものだ。もちろん、タミフルがすごく高いというわけではないが、看病するため、家族(この場合私)の仕事時間が減ってしまうという被害が生じる。まあ、看病などしない人もいるだろうが・・・
仮に私が病気で倒れたりしたら、と思うと暗くなる。
私の健康が、家族の健康につながる。
世のお父さん、お母さん、皆さんお体にはくれぐれも気をつけましょう。
無事これ名馬
というわけで、今日も私は歩く。
おっと、こんな写真を撮っていたら、車が・・・
今日は、節分。
寒さもやわらいできて、嬉しい。
家に帰ると、いきなり恵方巻きが出て来て、夕食前というのに一本食べた。
縁起物なのでありがたくいただいた。
ところで、節分。
鬼のお面をかぶって、家族に豆をぶつけられるお父さん。をやってと、娘がまだ小学校の低学年ぐらいの時にせがまれて、鬼のお面をかぶったときに、すかさず、妻は、
「パパに鬼なんて、かわいそうでしょう。みんなのために一生懸命働いてくれているのに」と言っていた。
娘はよもやそんなことを思ってもいなかったと思ったので、まあまあ、とか言いながら、お面は被った。豆をぶつけるのも、家の中でそんなことができるわけもなく、ぶつけられることはなかった。
妻にそう言ってもらい、嬉しかったので、今でも思い出す。
一家の主、とかそいうった問題ではなく、鬼に扮した人を攻撃するというのは、弱い者いじめに通じるものを感じる。
第一、この鬼は逆襲してこない、安全な鬼だ。いじめられっ子をいじめるのと同じだ。
第二に、鬼とは自分の心のなかに潜む邪念、邪心であり、あくまでも自分自身に向けるべきものだ。
鬼は外、そして心のなかに福を招じ入れる。
日々、そうしていこうと務めているが、なかなか難しい。
寒さもやわらいできて、嬉しい。
家に帰ると、いきなり恵方巻きが出て来て、夕食前というのに一本食べた。
縁起物なのでありがたくいただいた。
ところで、節分。
鬼のお面をかぶって、家族に豆をぶつけられるお父さん。をやってと、娘がまだ小学校の低学年ぐらいの時にせがまれて、鬼のお面をかぶったときに、すかさず、妻は、
「パパに鬼なんて、かわいそうでしょう。みんなのために一生懸命働いてくれているのに」と言っていた。
娘はよもやそんなことを思ってもいなかったと思ったので、まあまあ、とか言いながら、お面は被った。豆をぶつけるのも、家の中でそんなことができるわけもなく、ぶつけられることはなかった。
妻にそう言ってもらい、嬉しかったので、今でも思い出す。
一家の主、とかそいうった問題ではなく、鬼に扮した人を攻撃するというのは、弱い者いじめに通じるものを感じる。
第一、この鬼は逆襲してこない、安全な鬼だ。いじめられっ子をいじめるのと同じだ。
第二に、鬼とは自分の心のなかに潜む邪念、邪心であり、あくまでも自分自身に向けるべきものだ。
鬼は外、そして心のなかに福を招じ入れる。
日々、そうしていこうと務めているが、なかなか難しい。
上司が出張で、レジデントと二人で留守番。5時にはレジデントもお帰り。
今日は午後に病理外来もあったりして、ヘトヘトのところ、来た!
脳外の迅速。
9時半に出しますって、もう10時半じゃない(もちろん夜の話)!
オペ室行って、所見を話し、診断書を手早く打って、さすがに今夜はタクシー。
病院のいいところはタクシーだけはすぐ拾えることか。
幸い、終電の一つ前の横須賀線に乗れた。
電車の中で、このブログ(本を読みたいとかいってるクセに・・・)。
宴会は明日への活力にもなるが、夜の迅速は緊張するので、昼の3倍くらい疲れる。
外来もずいぶんと気を使うし…
帰って、食事して、風呂入って。
いや、明日の事を考えるのは止めて、とりあえず今は、寝過ごさないで鎌倉で降りることだけ考えていよう。
それにしても、脳外の医者、3人いたけど、みんな元気だったなー。(音楽は流れていなかったが)すごいハイテンション。
遅くまで付き合ってくれた技師さんありがとうございます。
みんなお疲れ様。
患者さん早くよくなるといいですね。
永久標本、明後日には出します。
今日は午後に病理外来もあったりして、ヘトヘトのところ、来た!
脳外の迅速。
9時半に出しますって、もう10時半じゃない(もちろん夜の話)!
オペ室行って、所見を話し、診断書を手早く打って、さすがに今夜はタクシー。
病院のいいところはタクシーだけはすぐ拾えることか。
幸い、終電の一つ前の横須賀線に乗れた。
電車の中で、このブログ(本を読みたいとかいってるクセに・・・)。
宴会は明日への活力にもなるが、夜の迅速は緊張するので、昼の3倍くらい疲れる。
外来もずいぶんと気を使うし…
帰って、食事して、風呂入って。
いや、明日の事を考えるのは止めて、とりあえず今は、寝過ごさないで鎌倉で降りることだけ考えていよう。
それにしても、脳外の医者、3人いたけど、みんな元気だったなー。(音楽は流れていなかったが)すごいハイテンション。
遅くまで付き合ってくれた技師さんありがとうございます。
みんなお疲れ様。
患者さん早くよくなるといいですね。
永久標本、明後日には出します。
わずか2冊とは・・・
確かに、月初めは講演だの、研究会だのがあったが・・・妻のインフルエンザも応えたか。
4~6月の学会シーズン前の隙間のような時期なのに。もう、そろそろ手を付け(論文を読みはじめ)ないと。
1月の読書メーター読んだ本の数:2冊読んだページ数:621ページ
新編 悪魔の辞典 (岩波文庫)本編よりも、ビアズの人生に少なからず、驚きを感じた。こういった文章を残すには、(おそらくは)あまり幸せでない人生が必要なのか。読了日:01月28日 著者:アンブローズ ビアス
お厚いのがお好き? (扶桑社文庫)昔、共通一次で、意味が分かっていなくても暗記だけで高得点をとれた倫社選択受験者だった私としては、隠れて復習したいと思い、軽薄そうなタイトルにもかかわらず、小山薫堂ファンということもあり、手にとった。癪だが、内容は比較的良かった。少なくとも入門書としては良い本で、筒井康隆の入っている続編も購入したいと思う。しかし、誤字の多さには参った。人様に本を購入していただきたいのなら、推敲の4,5回はやってから出して欲しい。内容はせっかくいいのに、結局はフジテレビ?って、馬鹿にされちゃうよ!惜しい一冊。読了日:01月08日 著者:小山 薫堂(企画)
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昼間はずいぶんと気温が上がったようだが、夜の気温はヘトヘトの私にはこたえる。
あれから早いもので、もう1年。
同僚の中には、今年が子供の受検という所もあって、とても他人ごとのようにおは思えない。
娘には食物アレルギーがあって、小学校には食物の除去をお願いし、給食にその食物は入れないでくれた。
小六になるにあたって、中学受験をしようと思い立ち塾に通うことにした。進学塾三つを比べたのだが、妻の選んだのは、食事対策をしてくれる塾だった。
この三つの塾、それぞれの対応があって、いろいろ考えさせられた。
一つ目の塾は、取り付く島のない対応。「その食べ物を持ってこさせないことなんて無理です。受験競争をしていたら、友達にそいうったものを食べさせようという子だっているでしょうから、塾としては対応できません」
二つ目の塾は、「やれなくもないが、無理でしょう」とのこと。消極的協力。
結局、行くことになった三つ目の塾は、徹底的に食物の除去を行ってくれた。
子供たちにとっても、そういった友達がいて、考えてあげることはいい経験になるでしょうから。と。おかげで、娘は安心して受験勉強に励むことができた。
食物アレルギーを持っていることが人に迷惑を掛ける事なのかどうかはわからないが、受験勉強で、仲間をけ落としてまで競争をするということは、必要なのだろうか?と思う。
そういった子が、将来、いい仕事に就く。
医者、裁判官、政治家。
違うんじゃないかな。
娘は結局、それなりの学校にしか進めなかったが、とても楽しく、中学校生活を送っている。
そして、入試休みの今日、食物アレルギーの負荷テストを受けている。
あれから早いもので、もう1年。
同僚の中には、今年が子供の受検という所もあって、とても他人ごとのようにおは思えない。
娘には食物アレルギーがあって、小学校には食物の除去をお願いし、給食にその食物は入れないでくれた。
小六になるにあたって、中学受験をしようと思い立ち塾に通うことにした。進学塾三つを比べたのだが、妻の選んだのは、食事対策をしてくれる塾だった。
この三つの塾、それぞれの対応があって、いろいろ考えさせられた。
一つ目の塾は、取り付く島のない対応。「その食べ物を持ってこさせないことなんて無理です。受験競争をしていたら、友達にそいうったものを食べさせようという子だっているでしょうから、塾としては対応できません」
二つ目の塾は、「やれなくもないが、無理でしょう」とのこと。消極的協力。
結局、行くことになった三つ目の塾は、徹底的に食物の除去を行ってくれた。
子供たちにとっても、そういった友達がいて、考えてあげることはいい経験になるでしょうから。と。おかげで、娘は安心して受験勉強に励むことができた。
食物アレルギーを持っていることが人に迷惑を掛ける事なのかどうかはわからないが、受験勉強で、仲間をけ落としてまで競争をするということは、必要なのだろうか?と思う。
そういった子が、将来、いい仕事に就く。
医者、裁判官、政治家。
違うんじゃないかな。
娘は結局、それなりの学校にしか進めなかったが、とても楽しく、中学校生活を送っている。
そして、入試休みの今日、食物アレルギーの負荷テストを受けている。