きんちゃんのぷらっとドライブ&写真撮影

「しんぶん赤旗」の記事を中心に、政治・経済・労働問題などを個人的に発信。
日本共産党兵庫県委員会で働いています。

そもそも税金講座⑩ 消費税 欧州より「低い」? 国税収入比は日本が高い

2012-06-25 22:37:41 | 予算・税金・消費税・社会保障など
そもそも税金講座⑩ 消費税 欧州より「低い」? 国税収入比は日本が高い

日本の消費税の税率は5%(消費税<国税>4%+地方消費税1%)で、ヨーロッパなどより「低い」といわれます。

消費に一律課税
確かに、イギリスやイタリアの消費税(付加価値税)の標準税率は20.0%で日本より高くなっています。しかし、図1のように日本の消費税が国税収入のなかで占める割合は、イギリスやイタリアより高いのです。
これらの国では、消費税非課税やゼロ税率・低税率の分野があるからです。たとえば、イギリスでは、①非課税…土地の譲渡・賃貸、建物の譲渡・賃貸、金融・保険、医療、教育、郵便、福祉など②ゼロ税率…食料品、水道水、新聞、雑誌書籍、国内旅客運送、医薬品、居住用建物の建築、障害者用機器など―となっています。フランスは食料品、医薬品、書籍が低税率、ドイツは食料品、近距離旅費、書籍、新聞が低税率となっています。
日本の消費税は、生計費を含めてすべての消費に一律に消費税を課すので世界最高水準となっているのです。


国税収入に占める消費税(図1)

諏訪園健司編著『図説日本の税制』(2010年度版)から。日本は12年度一般会計(概算)から(地方消費税は国税が徴収しているので国税収入に含めて計算)


欧州連合(EU)で採用されているのは、付加価値税と呼ばれます。欧州の付加価値税も日本の消費税も取引における付加価値(利益、利子、地代、人件費、租税など)を課税対象として、企業が納税義務者となって課税する税です。
付加価値税は、①期間中の(総売り上げマイナス総購入)×消費税率H納税額とする前段階取引高控除方式と、②(売り上げ×消費税率マイナス前段階の取引者が支払った消費税額)=納税額とする前段階控除方式があります。
EUの付加価値税と日本の消費税は、②の前段階控除方式に属します。
国内の仕入れ税額を課税期間の売り上げにかかる税額から控除する計算方式は、EU型においても、日本の消費税と同じです。
しかし、計算方法は、日本が帳簿方式を採用しているのに対して、EU型はインボイス(伝票)方式を採用しています。
EU型の標準税率は企業の純利益よりも高い20%前後となっており、複数税率などの採用で申告は複雑です。申告を誤れば、純利益が吹っ飛んでしまうこともあります。また、税務調査で増額の課税処分を受けた場合、多額の延滞税(延滞遅延金)・罰金が課されます。
インボイス方式は、個々の取引を単位として計算し、課税売り上げに対する税額計算と課税仕入れの証明にインボイスを用います。インボイスに不備があった場合、仕入れ税額控除は否認されます。
このようにインボイス方式も小企業者に大きな負担になります。
政府が2011年6月30日に決めた社会保障・税番号大綱は、①税務調査に番号を活用する②税務当局が取得する各種情報・扶養情報は「番号」や「法人番号」を用いて名寄せ・突き合わせをするーなどと述べています。共通番号制は、インボイス方式にも連動していく可能性があり、消費税増税と国民を管理支配する手段といえます。



(単位は%)社会保障財源の国際比較(図2)

※日本の「付加価値税」は消費税(垣内亮著『消費税が日本をダメにする』から)

低い事業主負担
ヨーロッパとの比較で、もう一つ、注意しなければならないのは、高福祉のためには消費税を高くしなければならないという議論です。
しかし、社会保障は消費税だけでまかなっているわけではなく、他の税金も使っています。さらに、ヨーロッパと比べると、日本は事業主の社会保険料負担がきわめて少ないのです。(図2)
消費税増税ではなく、事業主(大企業)にきちんと負担をしてもらうことが、財源問題の要です。

「しんぶん赤旗」日曜版 2012年6月24日付掲載



一般マスコミは欧米の付加価値税の税率が日本の消費税の税率より高い事ばかり宣伝しています。食料品、医薬品、新聞や書籍など生活必需品や文化的要素を含む物には課税されなかったり低減税率が適用されたりしていることは、ほとんど語られていません。
知る人ぞ知る事実です。

国税の中に占める消費税の割合・・・
欧米が消費税の税率が高いから高福祉だというのはまやかしだということがこの事からもわかります。

米国では国税としての消費税はありませんが同様の地方税があります。食料品は非課税のようです。
日本と同じぐらいの税率の米国では、映画「シッコ」に描かれたような医療難民が存在しています。


その国の医療の水準をどう引き上げるかは、その国の施政者がどういう思想で医療・福祉を行うかにかかっています。

いまこそ憲法25条に謳われた、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」を実施させるために、国に責任を果たさせるように迫ることが大事です。
「向上及び増進」とは、国家予算のなかで最優先に振り向ける分野である事を示しており、「最低限度の生活を営む権利」とは、経済成長によって変わってくる(大きくなってくる)事が定説。

特に第二項の「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」が大事です。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

攻防 消費税⑧ 看板掛け替えても

2012-06-24 20:49:16 | 予算・税金・消費税・社会保障など
攻防 消費税⑧ 看板掛け替えても

国会内外の反対を押し切って、当時の自民党・竹下登内閣は1989年4月から消費税を実施しました。消費税強行に反対する国民世論は、日本列島を揺るがし、竹下首相は退陣を余儀なくさせられました。
竹下氏は自著『平成経済ゼミナール』でインタビューに答えて、「(政権を放り出して)残念だったというような感じがしないんだな。やはりおれは実感としてひと仕事やったんだ、という自分自身に対する誇りがいささかなりともあるんだよ」と振り返っています。まさに消費税導入を自らの使命と自覚していました。しかし、消費税強行に象徴される国民を無視した自民党政治そのものがゆきづまりを迎えます。

新政権も継承
93年7月の総選挙では、自民党政治の危機が一つの頂点に達しました。自民党政治を終わらせることが問われ、選挙の結果、細川護煕(もりひろ)内閣が誕生したのです。細川連立政権は「非自民・反共産」を掲げ、「国の基本施策についてはこれまでの政策を継承」するという「合意事項」に署名しました。つまり、自民党政治を終わらせるとしながら、その内容は継承するということです。
細川内閣は「政治改革」と称して小選挙区制と政党助成金の導入を強行。つづいて手がけたのが「税制改革」でした。
「高齢化社会においても活力のある豊かな生活を享受できる社会を構築するため、国民福祉税を創設する」「消費税はこれを廃止する」。94年2月3日未明に記者会見をおこなった細川首相は税率3%の消費税を廃止するとともに、税率7%への国民福祉税を創設すると表明しました。



名前を変えた消費税アップに反対し、廃止を呼びかける「なくす会」の人たち=94年2月4日、東京・巣鴨駅前

米と財界優遇
国民福祉税構想はだれが求めたものなのか。当時、細川首相の秘書官を務めた成田憲彦氏は日本記者クラブでの講演で「まず、アメリカが強く要求をしておりました。それから日経連、それから連合の山岸章会長は大変熱心」だったと振り返っています。
当時アメリカは対日輸出を増やすための景気刺激策を日本に要求していました。それにこたえて細川首相は所得税減税を画策し、財源として消費税の増税=国民福祉税の創設を提唱したというのです。
実際、米国・ベンツェン財務長官は、「景気刺激策の公表を歓迎する。正しい方向への一歩だ」と、歓迎する声明を異例の早さで発表しました。また、当時の経団連・平岩外四会長は「所得税、法人税減税を含む税制改正に思い切った決断をしたことを評価したい。
これが実現すれば、景気にも好ましい結果をもたらすと確信する」と歓迎しています。
導入に暗躍したのが連立与党の一つ、新生党の小沢一郎代表幹事と大蔵省の斎藤次郎事務次官(現・日本郵政社長)でした。小沢氏は93年に『日本改造計画』で「現在3%である消費税の税率を、欧州諸国と米国の中間の10%とする」と明言するほどの消費税増税論者です。小沢氏と斎藤次官のパイプは自民党政権時代からのもの。
細川氏の首椙時代の日記『内訟録』には当時、官房副長官だった石原信雄氏の証言として7%という税率を小沢氏と斎藤氏が決めた経緯が書かれています。
しかし、国民福祉税は「消費税の看板を掛け替えただけのもの」などと批判を浴び、7%の根拠も「腰だめの数字」(おおよその数字)という要領を得ないものだったために、連立政権内部でも反対の声が抑えられず、国民福祉税は撤回せざるを得ませんでした。
(つづく)

「しんぶん赤旗」日刊紙 2012年6月23日付掲載

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

攻防 消費税⑦ 今も残る「9懸念」

2012-06-23 21:38:35 | 予算・税金・消費税・社会保障など
攻防 消費税⑦ 今も残る「9懸念」

「戦後政治の総決算」をかかげ、税制抜本改革と称して売上税導入に執念を燃やした中曽根康弘首相は、結局、導入を果たせないまま1987年11月に退陣します。その中曽根氏から後継指名を受けて首相就任したのが、消費税を導入した竹下登氏です。
国民生活産業・消費者団体連合会の清水信次会長は、首相就任直前の竹下登氏に呼び出されました。「実は、次期首相の指名を中曽根さんから受けた。ついては売上税の後始末をつけなきゃならないから、相談に乗ってくれんだろうか」と持ちかけられたといいます(『日経ビジネス』2008年12月22日・29日号)。退陣する中曽根首相から、まさに大型間接税導入という遺言を受けて発足したのが竹下内閣だったのです。

新たな作戦で
竹下首相は就任-週間後には、政府税制調査会に対して「所得・消費・資産の間で均衡がとれた安定的な税体系」の構築を目指す「望ましい税制のあり方と実現に向けての具体的な方策」を審議するよう諮問しています。財界も新型間接税導入を後押ししました。『経済団体連合会五十年史』には、「山中貞則税制調査会長と法人税減税、新型間接税のあり方などをめぐり懇談したのをはじめ、渡辺美智雄政務調査会長、税調幹部などへの働きかけを続けた」とあります。
竹下首相は、中曽根内閣の失敗から学び、304議席を背景に導入のための作戦を周到に用意しました。例えば、選挙のない1988年中に成立させることや、公明・民社などの野党を抱き込むことなどです。その一つに、質疑応答で「内閣が変わったので公約違反ではない」「行政改革に努力してきたので国会決議に抵触しない」など、野党の追及に反論しながら布石を打つ作戦を行いました。
竹下首相は国会答弁で、消費税について①逆進性②不公平感③低所得者への過重負担④税率引上げの容易さ⑤事務負担の増加⑥便乗値上げ―の六つの懸念があると述べ、それらの解消に努めると表明。その後、⑦商品価格に転嫁できるか⑧消費者が負担した税が確実に納付される保証があるのか⑨地方税の減収により地方財政運営に支障が出るのではないか―の3点を加えて、9懸念すべてを解消するとしました。しかし、これらの懸念は解消されないまま、現在にいたっています



消費税法案採決で“牛歩戦術”をとる日本共産党の各議員=1988年12月23日、参議院本会議

密室で援助し
竹下首相の作戦も国民をごまかすことはできませんでした。当時発覚したリクルート事件と合わせて、公約違反の消費税に国民の怒りは沸騰しました。しかし、広範な統一行動には時間がかかりました。
国会内では、社会、公明、民社の野党が自民党との密室協議で臨時国会の日程や税制特別委員会の設置に合意するなど、運営面や質疑で自民党を助けました。こうして88年12月24日に消費税法が成立したのです。
当時の新聞は次のように論説しました。
「国会の舞台裏での手練手管と体系のない『バラマキ福祉』で一部野党の顔を立てながら、関連法案の成立だけを目指した自民党と、消費税の仕組みについてロクな質問もしなかった野党、特に公明、民社両党の共同制作である」(「日経」88年12月25日付)
(つづく)

「しんぶん赤旗」日刊紙 2012年6月22日付掲載



1988年の牛歩戦術はマスコミも取り上げ、話題になりましたね。今は亡き宮本顕治さんも、高齢ながら頑張ったことを記憶しています。
今は参議院はボタン投票なのでこんな事はできませんが・・・
9つの懸念。逆進性や不公平感、低所得者への過重負担はもちろん、中小業者が商品価格に転嫁できない問題などは今でも解決されていません。
消費税導入の際にはあれだけ苦労したものを、3%から5%への値上げの際には、いとも簡単にやってのけたことは、4番目の税率引き上げの容易さがあります。
だからと言って、今回も許すわけにはいきません。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

攻防 消費税⑥ 増税の火種消さず

2012-06-22 21:52:15 | 予算・税金・消費税・社会保障など
攻防 消費税⑥ 増税の火種消さず

中曽根康弘内閣が導入をねらった売上税を葬り去ったのは国民各層の運動の勝利でした。当時、自民党は衆議院で304議席もの圧倒的多数を占めていましたが、公約違反の売上税を国会で一度も審議されることがないまま廃案に持ち込んだのです。

議長あっせん
しかし廃案に持ち込む過程で、衆院議長が示した「あっせん」を、日本共産党を除く各党が承認したことは後に禍根を残しました。
議長あっせんは売上税法案の審議が紛糾したために、1987年度予算の成立が危ぶまれた事態を打開するために出されたものです。その要旨は次のようなものでした。
①高齢化社会に備えるためには、直間比率の是正などの税制改革が急務であり、②各党は協調し、「税制改革協議会」を設けて協議する―これを承認することは、大型間接税導入の思惑に賛成することを意味します。大蔵省主税局長や国税庁長官を歴任した水野勝氏は「大蔵省としてはどのような事態になっても税制改革の火種が消えないようにすることが必要であると考え、これを強く各方面に要請した」(『主税局長の千三百日―税制抜本改革への歩み』)と当時のことを振り返っています。大型間接税に一貫して反対してきた日本共産党は反対しました。しかし、自民党、社会党、公明党、民社党の与野党が合意したため、後に導入される消費税への足がかりとされたのです。
水野勝氏は議長あっせんについて次のように評価しました。
「まったく審議されずにきたものが、議長あっせんによって野党もその審議の場に臨むことになったのであるから、一つの前進である」
「これまでは国会における総理の発言、選挙における公約的発言などさまざまな制約条件があったが、この議長あっせんによる打開によって一応これらのものとは切り離されて、国会でフリーの立場で審議がおこなわれることになるのであるから、ある意味では論議の展望が開けたということもできる」
経団連も「税制改革への新たな足がかりが残された」(『経済団体連合会五十年史』)と評価しました。




「大型(新型)間接税に反対しましょう 日本百貨店協会」の垂れ幕をかける伊勢丹=86年12月4日、東京都新宿区

野党取り込み
議長あっせんによって87年度予算は4月にずれこんだものの成立しました。予算の衆院可決の際、中曽根首相は次のような談話を発表しました。
「今回の税制改革は、ぜひ実行しなければなりません。政府は、謙虚に、かつ、慎重に、かつ、強力に、これが実現に努力いたす所存でありますので、国民の皆様のご協力をお願い申し上げます」
ここには大型間接税導入に向けたすさまじい執念があらわれています。
結局、議長あっせんにもとづく税制改革協議会は何の成果もないまま通常国会の閉会とともに幕を下ろします。売上税も審議未了、廃案となりました。しかし、日本共産党以外の野党が議長あっせんに合意し、税制改革協議会に参加したことで、大型間接税導入をねらう政府・自民党に取り込まれることになりました。
(つづく)

「しんぶん赤旗」日刊紙 2012年6月21日付掲載



「議長あっせん」と言えば、小選挙区制導入をめぐって、1994年1月の社会党(当時)の土井たか子のものが記憶に新しいのですが・・・
1987年の時の衆院議長は、いわゆる「ハラケン」こと自民党の原健三郎。くしくも、社会党(当時)の土井たか子と同じ旧兵庫2区の選出議員だ。
旧兵庫2区は定数5の中選挙区制だった。
今になって思えば、自民党と社会党のいわゆる55年体制は、いまでいう談合政治の「はしり」だったのですね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

攻防 消費税⑤ ウソついた「この顔」

2012-06-21 21:00:06 | 予算・税金・消費税・社会保障など
攻防 消費税⑤ ウソついた「この顔」

大平正芳内閣が導入しようとした一般消費税が総選挙で与党・自民党の大敗をもたらし、最終的に「国会決議」という形で葬り去られたことによって、「財政再建」を口実とした大型間接税の導入は難しくなりました。こうした状況を消費税推進勢力が打破しようとしたのが中曽根康弘内閣のときでした。

首相の「公約」
まず動きだしたのは財界です。1986年2月、経団連の稲山嘉寛会長が記者会見で「増税なき財政再建を放棄するわけではないが、それ一点張りでは無理」と述べ、大型間接税導入に前向きな姿勢を示しました。3月には意見書「行財政改革と税制の抜本改革について―中間報告と提言」をとりまとめ、「所得、資産、消費に対する課税の適正化とバランスを確保するためには、国民が広く薄く負担する税体系を構築しなければならない」としたうえで、「課税べースの広い間接税導入の是非を含む税体系について、根本的に再検討する必要がある」と踏み込みました。
一方、国民の審判にさらされる政治の側は大型間接税の導入をなかなか口にできませんでした。政府税制調査会の委員、会長を長く務めた石弘光氏は著書『消費税の政治経済学』で当時の自民党の作戦について「選挙前まで減税中心でそれを中間報告にまとめ、選挙後にその減税に必要な財源を検討するといった基本戦略」と述べました。
実際、政府税制調査会は4月に所得税、法人税などの減税に関する報告を発表。衆参同日選挙に向けて6月に開かれた自民党の決起集会では中曽根首相が「国民が反対し、党員も反対するような大型間接税と称するものは、やる考えがない」と公約しました。
当時、大蔵省主税局長を務めた水野勝氏は中曽根首相の発言から大型間接税はすべてやらないと読みとられる恐れがあると懸念し、発言の翌日早朝、遊説前の中曽根氏を首相官邸に訪ね、「この取り扱いについての慎重な対応と、でき得れば発言の修正をお願い」したといいます(『主税局長の千三百日―税制抜本改革への歩み』)。それほど公約は重く、世論を気にする状況でした。しかし中曽根首椙からは「それほど懸念に及ぶ必要はなく心配はいらない」との言葉が返ってきました。
86年7月の衆参同日選挙で中曽根首相は「大型間接税と称するものは導入する考えはない」「この顔でウソをつきますか」と繰り返し、304議席を獲得しました。



大型間接税に反対する人で埋め尽くされた10・25二万人大集会=1986年10月26日、東京・明治公園

売上税を突如
87年に入ると中曽根内閣は所得税、法人税の税率引き下げを含む大企業、大資産家優先の減税法案とともに、大型間接税としての売上税法案を突如国会に提出しました。大平内閣時の一般消費税と同様、国内における商品とサービスの売買に5%を課税するもので、食料品や新聞などが非課税だったほかはほとんど現行消費税と同じ仕組みです。
公約違反に怒りの声が上がったことに加え、当時、円高不況に苦しんでいた業者を中心に反対運動が広がりました。デパートやスーパーなどの大企業も巻き込み、各地のデパートには「売上税反対」の垂れ幕が下がりました。そのさなかに行われたいっせい地方選挙では自民党が大量の議席を失う一方、日本共産党が議席を伸ばしました。こうしたたたかいの結果、売上税法案を含む税制改革関連法案は87年5月に廃案になります。
(つづく)

「しんぶん赤旗」日刊紙 2012年6月20日付掲載



304議席と言う絶対多数をもってしても、国民世論には逆らうことができなかったのですね。いっせい地方選挙での自民党の敗退は国政の勢力圏には直接関係しませんでしたが、相当なショックだったようです。共産党の躍進と合わせて、自民党の動揺ぶりはよく記憶しています。
あのころはまだ、マスコミも一定程度はその事を報道していたように思います。


今日の民主党の多数を頼んでの79日間の会期延長(9月8日(土)まで)。民自公3党の密室での談合を実現するためとでしょうが、国民世論は許しません。
民自公3党の議席は中曽根さんの時の304議席よりはるかに多いいですが・・・


会期延長を受けてJR元町駅東口で日本共産党の「経済提言」のパンフレットを配布しながら宣伝しました。あいにくの雨模様の中、多くの方に受け取ってもらいました。目線があって、「決意した思いで受け取っている」と思えるのは、今までにない事でした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする