きんちゃんのぷらっとドライブ&写真撮影

「しんぶん赤旗」の記事を中心に、政治・経済・労働問題などを個人的に発信。
日本共産党兵庫県委員会で働いています。

わが名を語る “オンナヤ”ではありません

2021-02-06 07:59:56 | 日常生活
わが名を語る “オンナヤ”ではありません

群馬県高崎支部 女屋定俊

私は自分の名前が嫌いでした。
“メヤ”とか“ジョヤ”などです。極めつけは“オンナヤ”です。それに続いて「お前は女郎屋か?」と言うのです。子ども心に傷つきました。
先生まで「何だ、オンナヤか!」と傷口に塩を塗るような仕打ちです。強度の近眼で生徒名を番号で呼ぶ先生に「何と良い先生」などと思ったものです。
教育実践家の三上満さんが「妻の姓を名乗った民主主義者」という話を聞きました。私も民主主義者ですから「妻の姓」を名乗ろうと思いました。でも妻は「女部田(オナブタ)」です。これじゃ変わり映えしません。もし吉永小百合であれば、すぐに“吉永定俊”になって民主主義者になれたのに!世の中には「ツイてない」人がいるものです。
不幸な“オナヤ”の姓は、群馬の前橋には比較的多くあります。赤城山の南麓に広がる関東平野の小さな村の一つが女屋村でした。そこが合併で前橋市女屋町になりました。前橋ではあまり間違われません。そこで生まれ育った父が前橋隣接の高崎で結婚して、私が生まれたのです。高崎では“女屋”はいません。そこで悲劇が起きて、「名前は嫌いだ」となったのです。
人間はつらい経験でも克服できるのです。最近では慣れてきて“感じなく”なりました。オレオレ詐欺の電話がありました。「娘さんが会社の金を使い込んだ」と。でも詐欺師が「メヤさんのお宅ですか?」で始まる電話でした。妻が「詐欺をするなら読み方を調べて掛けなさい」と説教をしたそうです。“オナヤ”もナカナカいい名前だなあ、と思っているこの頃です。

「年金者新聞」2021年1月15日付掲載


変わった苗字は地名に由来するものが多い。「女屋(おなや)」もその一つだとか。
別の地ではなじみのない苗字も、個性として受け入れてあげましょう。

学術会議任命拒否政府文書 作成過程読み解く③ 削られた「会議の独立性」

2021-02-05 07:37:06 | 政治・社会問題について
学術会議任命拒否政府文書 作成過程読み解く③ 削られた「会議の独立性」
菅義偉首相による日本学術会議の会員候補任命拒否問題で、政府が持ち出した「首相は任命拒否できる」とする法解釈と、それに向けて2018年9月から11月にかけて続けられた内閣府と内閣法制局の協議過程を示す文書。学術会議の、政府からの独立性に配慮した表現が徐々に削られ、弱められていく様子が見て取れます。


黒線や下線が引かれ、推敲(すいこう)を重ねた様子がみられる協議過程文書。黒塗り部分も

学問の自由消す
例えば、2018年10月9日付の文書。結論部分は「内閣総理大臣は、会議から推薦された者の任命を行わないことができないとまでは解されない」としており、任命拒否を正当化する記述です。
他方、学術会議の性格を説明する部分では次のような表現がありました。
①「学問の自由は憲法で保障されているところであり」②「日本学術会議が時々の政治的便宜に左右されることなく…自主性を持つため」③「職務に関して政府等から独立した立場を保証されている」
10月16日付ではこれらのうち、①が削除されています。
また、②と③に続いて「とは言え」が挿入され、「内閣総理大臣が日本学術会議に対して一切の人事権を持たないと解することは憲法の趣旨に反している」と論旨を逆転させました。
さらに10月22日付では②も削られます。
それでも、その22日付には別の部分に次のような表現が残っています。
「実質的な任命権は日本学術会議にあり、内閣総理大臣の任命権は形式的なものとなることが期待されている」この“実質的任命権は会議、首相は形式的”とする表現も、10月30日付では黒線で消されました。最終段階である11月13日付にもこの部分はなく、より弱まった「内閣総理大臣は…学術会議からの推薦を十分に尊重する必要がある」という記述が残りました。
一方、首相が任命を拒否できるとする部分は、表現ぶりはやや揺れ動いているものの、常に登場します。
首相が「推薦された会員候補者の任命を行わないことができるものと解される」などとしていた時期もありますが、最終的には「推薦のとおりに任命すべき義務があるとまでは言えない」という表現に落ち着いています。
これも、任命を拒否するという「結論ありき」で協議が進んだことの表れに見えます。

黒塗り部分残る
一連の協議過程文書の多くには、黒塗り部分が残っています。結論の直前部分が隠されているため、結論を導いた論理が分からないものや、結論部分そのものが隠されているものもあります。
内閣府日本学術会議事務局は、黒塗りの理由を「任命権者の考え方につき、誤解を招きうる記述なので」と説明します。任命権者とは首相。当時の首相は安倍晋三氏ですが、事務局は「『特定の首相の考え方』という意味ではない」と説明をぼかします。
協議過程を示す一連の文書の日付は、いずれも安倍前政権期。日付通りに文書が作成されたとすれば、学術会議が推薦した会員の任命拒否は安倍政権で準備が始まり、菅義偉首椙が初めて実施に踏み切ったかたちです。(おわり)(この連載は安川崇が担当しました)

「しんぶん赤旗」日刊紙 2021年2月3日付掲載


推敲の過程で、“実質的任命権は会議、首相は形式的”とする表現も、10月30日付では黒線で消され、最終的には「推薦のとおりに任命すべき義務があるとまでは言えない」という表現に。

学術会議任命拒否政府文書 作成過程読み解く② 「過去から一貫」の不自然

2021-02-04 07:57:36 | 政治・社会問題について
学術会議任命拒否政府文書 作成過程読み解く② 「過去から一貫」の不自然
菅義偉首相による日本学術会議の会員候補任命拒否問題をめぐり、政府が持ち出した「首相は任命を拒否できる」とする法解釈。これが「過去から一貫している」という政府の説明の不自然さも、やはり日本共産党の田村智子参院議員が昨年末に政府に開示させた一連の文書から際立ちます。


菅義偉首相と日本学術会議

発端は人事介入
法解釈の検討の出発点は、2018年にあった学術会議の補欠人事に首相官邸が介入したことだった―。そんな疑いが文書から浮かびます。
18年9月12日に開かれた、学術会議の選考委員会(第4回)の議事要旨があります。
ここでは当時の山極寿一・学術会議会長が委員らに、官邸による人事介入の経緯を説明していました。やり取りからは、会議が対応に苦慮した様子がうかがえます。
委員長(山極氏) 「(官邸側から)推薦順位を逆転した方がよいとの話がきた」「理由については明示されていない」
山極氏はこれに続いて委員らに、理由なく推薦順位を変えることは「日本学術会議の独立性の観点から困難」と判断したと説明。事務局長に、再度官邸側に説明するよう指示したと述べました。
しかし「先方(官邸)も強硬」で、理由の説明も拒まれたと報告を受けたと説明。「粘り強く調整していく必要がある」などと語っています。
この議題は8月22日に開かれた第3回の選考委員会でも議論されていました。ここでは委員が官邸の姿勢に「遺憾」「理由が一切示されないということが問題では」などと発言。人事介入を問題視しています。
首相による会員候補の任命拒否を「正当化」する法解釈を詰めていた、内閣府と内閣法制局の協議過程を示す一連の文書の日付は18年9月~11月。学術会議の18年補充人事の時期と重なります。
協議過程の比較的早い段階の文書にも、きっかけになったのが学術会議の補欠人事だったと読み取れる記述が出てきます。
例えば、同年9月20日付の文書は次のように記します。
「今般、…3名の欠員が出ることとなり…」「会員の補欠の推薦順位に関して、各部(学術会議)と任命権者(首相)の間で意見の隔たりが生じた」
その上で学術会議事務局は内閣法制局に、①補欠会員の候補者を首相が任命しないことが法的に許容されるか②首相が推薦順位が下位の者を任命することが法的に許容されるかーを問い合わせていました。
しかし政府は国会で、この時の協議過程について「従来からの法的整理を確認した」と答弁(昨年12月)。法解釈は「過去から一貫している」との姿勢を崩しませんでした。

削除された記述
「補欠人事から問題意識が生じた」と読めるこうした記述は後に削除されました。最終的に確定した11月13日付のものも補欠人事に言及せず、一般的に「推薦のとおりに任命すべき義務があるとまでは言えない」と述べています。
そして、菅首相が推薦された会員候補の任命を初めて拒否したのは20年9月。補欠人事ではなく、3年ごとの会員の半数改選(105人)の際でした。
(つづく)

「しんぶん赤旗」日刊紙 2021年2月2日付掲載


2018年の補欠会員の人事。「(官邸側から)推薦順位を逆転した方がよいとの話し」に対して、山極氏は…委員らに、理由なく推薦順位を変えることは「日本学術会議の独立性の観点から困難」と判断。
当然の判断ですが、その裏で山際会長も知らない中で協議が続けられていたってこと。

学術会議任命拒否政府文書 作成過程読み解く① 「結論ありき」で理由探し

2021-02-03 08:09:38 | 政治・社会問題について
学術会議任命拒否政府文書 作成過程読み解く① 「結論ありき」で理由探し
菅義偉首相による日本学術会議の会員任命拒否に関して、内閣府と内閣法制局が協議を重ねて「首相が任命拒否できる」との法解釈を作り上げていました。日本共産党の田村智子参院議員が政府に開示させた、その協議経過を記した文書からは、政府が当初から「結論ありき」で理由付けを考えた過程がうかがえます。


日本学術会議=東京都港区

日本学術会議会員任命拒否問題と「2018年文書」
菅義偉首相は2020年9月28日、日本学術会議が推薦した105人の次期会員のうち6人の任命を拒否しました。過去に例がありません。6人は過去に、安保法制や共謀罪に反対を表明していました。発覚後、政府は「内閣府日本学術会議事務局」名義の2018年11月13日付文書を開示。首相に「推薦のとおりに任命すべき義務があるとまでは言えない」との法解釈を示す内容でした。

同議員が開示させたのは、内閣府の学術会議事務局が法制局に法解釈を相談した一連の文書。2018年9月5日付から同年11月13日付まで計19の文書があり、削除部分を線で消したり、加筆部分に下線を引いたりという「推敲(すいこう)」作業の経過が分かります。

狙い露骨な一文
最も古い日付(9月5日)の文書に、協議の狙いをストレートに表現する一文があります。
「推薦された候補者について、内閣総理大臣が会員に任命しないことが法的に許容されるかどうか」
日本学術会議法(日学法)は、同会議の推薦に基づいて首相が会員を任命すると定めています。実際、これまでは会議の推薦どおりの人数を首相が任命してきました。しかし9月5日付の文書の時点で、政府は任命拒否を明確に想定しているように読めます。
「任命拒否が許容されるか」という問いを立てた後、文書は任命拒否を正当化する「理由」をさまざまに検討していきます。



日本学術会議が推薦した候補者を首相が任命拒否することを想定したことがうかがえる記述(2018年9月5日付)

矛盾の文章併存
挙げた理由は―。
「『推薦』という語は…薦められた側を拘束することまで含意されるわけではない」
「内閣総理大臣は(会議を)所轄する立場からの責任を負っている…裁量の余地がないとまでは考えられない」
9月20日付や27日付の文書では、会員の選考が過去の選挙制から推薦・任命制に変わった(1983年)ことを念頭に「会員選考の要件が緩和され…会員選出を外部が確認する必要性はより高まっている」と書き込んでいました。
日学法が想定しているとは考えにくい「理由」を次々に挙げ、検討していたように見えます。
一つの文書の中に矛盾する文章が併存する「混乱」も見て取れます。「内閣総理大臣に拒否の権能はないものと解するのが椙当である」とした後に、「拒否の権能が全くないとまで解することはできない」と正反対の判断を示し、その後の結論部分が黒塗りになっています(日付なし)。
菅首相は国会答弁で、「首相が任命拒否できる」とする法解釈が任命制の導入以来、一貫していると説明しました。
しかしその説明とは裏腹に、18年の学術会議の補充人事がきっかけになってこの解釈検討が始まったことも、田村議員が開示させた資料から読み取ることができます。
(つづく)

「しんぶん赤旗」日刊紙 2021年2月1日付掲載


日本学術会議の次期会員の任命に関して、首相に「推薦のとおりに任命すべき義務があるとまでは言えない」との法解釈の変更。
18年の学術会議の補充人事がきっかけになってこの解釈検討が始まった。

「学問の自由」侵す学術会議介入 「子どもの学ぶ権利」も侵害

2021-02-02 07:50:57 | 政治・社会問題について
「学問の自由」侵す学術会議介入 「子どもの学ぶ権利」も侵害
教育内容は研究成果が反映されるもの 何が真理か決めるのは国ではない
子どもと教科書全国ネット21代表委員 石山久男さん

菅義偉首相による日本学術会議への人事介入。政府が「学問の自由」を侵害する大問題です。家永教科書裁判の杉本判決では「学問の自由」の侵害は「子どもの学ぶ権利」を侵害すると指摘しました。この意味を子どもと教科書全国ネット21代表委員の石山久男さん(歴史教育者協議会元委員長)に聞きました。
本吉真希記者




政府介入ただした家永裁判
家永教科書裁判(別項)第2次訴訟の東京地裁判決(杉本判決=杉本良吉裁判長、1970年7月)は、国の教科書検定不合格を憲法違反と認めました。昨年は杉本判決から50年でした。
高校の社会科教員だった私は、家永教科書裁判で2度、証言の機会を与えられ、「子どもたちは事実をありのまま知ることから過去の過ちに学び、新しい未来へ進もうとする」と証言しました。
杉本判決は「教育の本質は子どもの学習する権利(教育を受ける権利)を充足」すること、「国家に与えられる権能は条件整備で、教育内容への介入は基本的に許されない」と断じました。判決はこの考え方を世界史の大きな流れのなかで取りあげています。
一つは、ルソーなど近代教育思想や教育法制の発展からです。「20世紀に入って生存権的基本権が各国の憲法に規定されると、子どもの権利としての教育を受ける権利が確立した」とのべています。その例として、西ドイツ基本法(49年)や世界人権宣言(48年)を挙げています。



教科書検定違憲訴訟勝利判決の喜びを述べる家永三郎東京教育大学教授=1970年7月17日、東京弁護士会館

【家永教科書裁判】
高校日本史教科書『新日本史』の執筆者、家永三郎さん(旧東京教育大学教授・思想史研究)が、文部省(当時)の教科書検定は憲法違反だとして国を訴えた一連の裁判。たたかいは1965年の第1次訴訟から97年の第3次訴訟終結まで32年間に及びました。

保障あってこそ
教師は▽学問の成果を子どもに理解させ、事物を知り、考える力と創造力を得させるべきであるとしました。そのため教師には「学問の自由、教育の自由が保障されなければならない」とのべ、それは戦後日本の教育改革の方向とも一致すると指摘します。
その上で判決は▽子どもの学習する権利を正しく充足するには、真理教育が要請される▽真理を教えるにあたっては、心身の発達に応じた正しい教育的配慮が必要で、科学的知識が不可欠―とのべています。こうした教育的配慮自体が学問的実践で、「学問と教育とは本質的に不可分一体」だと捉えています。
つまり何が真理で、何が正しい教育的配慮かを決めるのは、学問の自由が尊重・保障されるもとでの学問研究の結果なのです。
杉本判決は子どもの権利保障と学問・教育の自由との関係をこのように判示し、それを近代の人権思想と教育思想の長い歴史的発展の成果であり、現代世界史の太い流れとして位置づけたのです。
だからこそ、その後も強まる司法反動のなかでも、杉本判決の論理を全面否定することはできませんでした。76年の学力テスト事件最高裁判決で、教育の本質が子どもの学習権の充足にあることが法的に確定しています。

ゆがめられた朝鮮人虐殺犠牲者数
ところが2014年に教科書検定基準が改定され、①政府見解や最高裁判決に基づいて記述②通説がない場合はそれがないことを明示―することなどが追加されました。
大きく変えられた一つが、関東大震災での朝鮮人虐殺の犠牲者数です。大震災当時の司法省の資料に233人という記録があります。それを主張する声が大きくなると、それまで教科書にあった6千人、7千人という数字は「通説ではない」とされ削られました。
しかしこの犠牲者数は、司法省の資料も踏まえて総合的に判断された数字です。通説であるかないかを判断するのは国ではなく、学問の世界です。
数字の問題では南京虐殺も同じです。日本軍「慰安婦」や沖縄戦「集団自決」(強制集団死)でも、強制連行はなかったという政府見解や、軍命はなかったという一部の人の主張を理由に教科書の記述が後退しました。
学問の自由が制約されたり、侵害されたりすると、いま以上に記述が制限されてくるでしょう。執筆者の萎縮にもつながります。
学術会議会員の任命拒否という形で、学問の自由が侵害されました。それは教員の学問研究をゆがめ、結果的に子どもたちにゆがめられた内容が教えられることになります。
杉本判決の理念をいまこそ学び直し、学問の自由と教育の自由の侵害、子どもの学習権の侵害とたたかわなくてはいけません。

「しんぶん赤旗」日曜版 2021年1月31日付掲載


歴史教科書への検定が違憲だとしてたたかった「家永教科書裁判」。「国家に与えられる権能は条件整備で、教育内容への介入は基本的に許されない」と断じた杉本判決。
日本学術会議への人事介入も同じこと。許される問題ではない。
それは教員の学問研究をゆがめ、結果的に子どもたちにゆがめられた内容が教えられることに。