先週、相撲ネタを書いていた際に、全勝対決は過去4回と書きましたが、それに登場する横綱、隆の里の思い出です。隆の里は、今は幕内の若の里の師匠ですが、この若の里と体型が非常によく似た、固太りの力士でした。しかし、隆の里の出世は遅れました。理由は当時の相撲界が、無理に太らせるメタボ養成?の食事をしていたからです。
これで隆の里は糖尿病の持病を抱えるに至り、ちゃんこで野菜から先に食べざるを得なくなるという苦労を味わっています。大関昇進は29歳、横綱昇進は30歳と、大きく回り道した相撲人生でした。その苦労が理由で、辛抱の生活をした当時の朝の連続ドラマのヒロインにちなんで「おしん横綱」という愛称ももらっています。
しかし、そんな隆の里は、一瞬ですが相撲界で輝いた時期がありました。それは横綱に昇進した直後で、大横綱千代の富士と、4場所連続で優勝を争い、3度優勝を果たすという短いながらも全盛期がありました。新横綱での優勝も評価されましたが、あの千代の富士と、時期は短いとはいえしのぎを削った力士は隆の里しかいません。
そんな隆の里は、千代の富士打倒を果たすため、千代の富士の関係者から好きな本などの情報を仕入れ、生活パターンを可能な限り同じにして、千代の富士の行動パターンを読むということをしています。千代の富士側が、何か読まれている、おかしいと気付いたのはしばらく経ってからでした。
ただ、隆の里の全盛期が短かったのは、やはり年齢的な衰えがあったからです。怪力なら角界No.1と言われた力が衰えては、相撲巧者のタイプではない隆の里も横綱は張れませんでした。最後は明らかに引退すべき成績ながら、途中休場して多くのファンの非難を浴び、翌場所本当に引退することになりました。
親方になってからの鳴門親方は、自らが糖尿病で苦しんだことを、弟子の指導にも生かしました。無理に太らせず筋肉で少しずつ体重を増やすという方針で、若の里、隆の若の二人の関取を育てました。大関、横綱を出せなかったのは残念ですが、今は部屋の数も多く幕内力士を育てるのも大変になっていますから、決して失敗ではないでしょう。
これで隆の里は糖尿病の持病を抱えるに至り、ちゃんこで野菜から先に食べざるを得なくなるという苦労を味わっています。大関昇進は29歳、横綱昇進は30歳と、大きく回り道した相撲人生でした。その苦労が理由で、辛抱の生活をした当時の朝の連続ドラマのヒロインにちなんで「おしん横綱」という愛称ももらっています。
しかし、そんな隆の里は、一瞬ですが相撲界で輝いた時期がありました。それは横綱に昇進した直後で、大横綱千代の富士と、4場所連続で優勝を争い、3度優勝を果たすという短いながらも全盛期がありました。新横綱での優勝も評価されましたが、あの千代の富士と、時期は短いとはいえしのぎを削った力士は隆の里しかいません。
そんな隆の里は、千代の富士打倒を果たすため、千代の富士の関係者から好きな本などの情報を仕入れ、生活パターンを可能な限り同じにして、千代の富士の行動パターンを読むということをしています。千代の富士側が、何か読まれている、おかしいと気付いたのはしばらく経ってからでした。
ただ、隆の里の全盛期が短かったのは、やはり年齢的な衰えがあったからです。怪力なら角界No.1と言われた力が衰えては、相撲巧者のタイプではない隆の里も横綱は張れませんでした。最後は明らかに引退すべき成績ながら、途中休場して多くのファンの非難を浴び、翌場所本当に引退することになりました。
親方になってからの鳴門親方は、自らが糖尿病で苦しんだことを、弟子の指導にも生かしました。無理に太らせず筋肉で少しずつ体重を増やすという方針で、若の里、隆の若の二人の関取を育てました。大関、横綱を出せなかったのは残念ですが、今は部屋の数も多く幕内力士を育てるのも大変になっていますから、決して失敗ではないでしょう。